ホフマンは人の名前
こんつわ、なみさまんさです。

先日、栃木県野木町という栃木の一番南にある町へ行きました。ちょっと前からレンガ窯の中を公開していて、それが見たくて。

野木町煉瓦窯。明治23年から昭和46年までの約80年間、赤レンガを焼き続けた窯です。野木町の近代産業を支え続け、現在では国の重要文化財にも指定されています。

このレンガ窯は形が面白い。16角形になっていて、煙突は8角形。設計者の名前を取り「ホフマン式輪窯」と呼ばれてるそうです。1つの釜をリング状に並べたから16角形なんですね。

窯の全景
なんか日本ぽくないですよね。

さて、なぜ野木町でレンガを焼いていたかというと、この窯の隣は渡良瀬遊水地になっているのですが、渡良瀬川や思川などなどが合流していることもあり、良質な粘土質の土が取れたということと、運ぶのに川が役に立ったのでしょうね。少し先へ行くと利根川に合流するというのもあったと思います。

その窯をボランティアの方々がガイドをしてくれて見られます。操業している頃は、子供だったということですが、時折、操業中に遊びに来ていたとか。

窯に並べられたレンガ
初めて知りましたが、レンガを並べるのも職人さんがいたそうです。積み師というのかな、そういった専門職の方が並べないとうまく焼けなかったということです。
なぜ窯をリング状に繋げたかというと、ここの窯、第一号窯から第十六号窯までがあり、それらが全部、繋がっています。ということは、第一号窯に火を入れるとどんどん広がって十六号窯まで時間を追いながら火が回るということです。プラス、この窯の上に、穴がいっぱいあるんですが、そこから粉炭という粉の炭を入れて焼成していたようです。

粉炭を入れる穴
一つの窯の上に、25個の投炭孔(とうたんこう)があります。その周りには、線路が敷かれていてトロッコで炭を運んで入れてたそうです。線路も1週するように敷設されています。ここは、2階になるのですが、2階までは人の手で炭を上げていたようです。ガイドのおばちゃんによると、遊びに来ると投炭孔で焼き芋を作ってもらったという話をされていました。

煙突も、関東大震災で崩れたそうですが、その後、修復された形跡が見つかったのは、煙突と投炭孔の間に埋められていて見つかってわかったということでした。

レンガというと、富岡製糸工場もそうだけどなんとなく古い感じが良いですよね。

初めて知りましたが、レンガの積み方には「イギリス積み」と「フランス積み」というのがあるそうです。長いレンガと短いレンガの積み方を変えるだけみたいですが、面白いですよね。

このホフマンさん、たくさん窯の設計をされていて、昭和26年頃には日本に約50基あったそうですが、現存しているのは4基のみだそうです。

野木町煉瓦窯

見学は、ガイド付きでないと見れないので、行かれる際は確認をしてくださいね。
場所的には、国道354号線をひたすらまっすぐ東に来ると、茨城県古河町に着くのですが、その近くです。
2016.06.07 17:03 | つぶやき | コメント (0)
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