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小野里工業のあゆみ
70周年記念誌(70年のあゆみ)より

前橋の小野里工業
 日本の建設業は48万、年間の建設事業は50兆円を超え、国民総生産(GNP)
焼け野原からの出発
 空襲で廃墟となった地に小野里工業が再興されようとしていた20年10月1日
戦後と亀澄社長
 戦争の敗戦は大きなショックであった。よもやこんな打撃を受けるとは誰も思い及ばなかったにちがいない。
天皇の行幸
 昭和21年3月、天皇陛下が復興状況ご視察のため、前橋に行幸された。よく晴
復興工事の施工
 戦後の復興需要は活発であった。住居、店舗、工場、公共施設の建設は休む
四万温泉
 亀澄は、四万温泉によく出かけた。時には長期にわたることもあった。
拡大の中での挑戦動乱ショック
 24年4月、分離していた小野里木工株式会社と、小野里商事株式会社を小野
鉄筋コンクリートへ進出
 25年5月に群馬県で行われた植樹祭にわが社も参加、わが社の持山の植樹
初代社長 亀澄逝去
 30年12月26日、初代社長小野里亀澄は脳溢血のため、住吉町の自宅で死
亀澄初代社長を偲んで___小野里亀澄追悼録より
・・・亀澄さんは、使用人に対しては、相当無理を言う人でした。しかしその反面、非常に同情心が
墓参
 昨年春以来、いつも”暇になってからでよいからハイヤーで茨城へ墓参に行きたい”と言っていたが、
小野里光明、社長に就任
 小野里亀澄社長死去のあとを受けて、専務取締役であった小野里光明は31年1月に社長に就任、常務の小野里善雄も専務に昇格した。
民間投資の増大と工事量の増加
昭和33年下期から36年下期へかけては、岩戸景気と呼ばれる好況に見舞われ、建設業も民間民間設備投資の増大に支えられて順調な伸びをみせた。
会社基盤の確立
40年6月に赤城道路舗装促進期成同盟会の発注による赤城大鳥居を受注した。
安全管理の充実
43年10月、社内に安全パトロール委員会を設置した。
本社社屋の完成
45年2月25日、前橋市下小出町に本社社屋が完成した。
高層住宅の施工へ
44年11月に埼玉県から県営浦和高層住宅を受注、起工した。


 
小野里工業株式会社  群馬県前橋市下小出町1−1−12