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25年5月に群馬県で行われた植樹祭にわが社も参加、わが社の持山の植樹
をした。赤城地区には主として松、榛名地区には杉14万本ほど植えた。これが その後のわが社の大きな財産となった。現在の所有林は35ヘクタール。わが社 が景気の変転のなかで、よく社業を展開させてこられたのは、この所有林による 木材の自給体制が大きな力になっている。 26年7月、南北朝鮮の停戦会談が始まって乱動が収束し、27年4月には日本
と連合国との間の講和条約が発効した。これで7年間にわたる占領体制は解除 され、日本は自主独立の途をすすむことになった。 この27年1月、わが社は群馬県営集合住宅の工事を完成した。地上4階、RC
造り(鉄筋コンクリート造り)1棟で、わが社がRC造りを手がけたのは、これが初め てであった。 浦和出張所を浦和支店とし、東京都千代田区飯田町に東京出張所を移したの
も27年で、とくに浦和支店は前橋の本社に次ぐ重要な営業拠点をしての地位を 固めていた。浦和支店長は宮沢源三郎である。 浦和では28年に浦和市初のRC造りの建築の別所小学校を受注した。28年7
月に浦和市の岸町小学校(木造)を完成したが、その工事中に別所小学校の建 築を聞き込み、これも受注に結びつけた。資本金は4月に350万円に増資した。 27年は挑戦動乱の収束による生産活動の停滞はあったが、建設投資は順調
に伸びた。しかも28年に入ると、第4次吉田内閣が@治山、治水のための多目 的ダムの建設、A重要幹線道路、資源開発道路の急速整備、B庶民住宅、労働 者住宅の大量建設−−などの建設政策を掲げ、公共事業の促進を基本政策とし て打ち出したため、建設工事の増大が期待された。 わが社もこの時期、順調な進展をみせ、28年は片品川水力建設所、浦和市岸
町小学校、29年は埼玉県発注の分譲住宅を完成、在日米軍建設局ランドリー、 富士見峠マイクロ波中継所などを施工、30年に入っても前橋市立総社町中学 校、日本専売公社中之条出張所、前橋営林局庁舎と相次いで手がけている。 富士見峠のマイクロ波中継所は電源開発の発注で29年7月から12月までの
工事であったが、山の上の工事で非常に苦労をした。細い道のため馬を30頭調 達して、砂利、砂、セメントを運んだ。水はドラム缶を並べて雨を待って雨水を使う 騒ぎで、3,000万円の大きな金額だったが、工事は苦しかった。 ![]() 小野里工業株式会社 群馬県前橋市下小出町1−1−12
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