http://onozato-kogyo.co.jp



復興工事の施工

 戦後の復興需要は活発であった。住居、店舗、工場、公共施設の建設は休む
間もなく続けられ、わが社も住宅を中心に工事を施工した。
 終戦後に手がけたもっとも大きな工事は、前橋医学専門学校付属病院で、21
年5月に完成した。このあと日赤病院、農業会加工場、伊勢崎高等女学校、富士
見中学校、上陽村河岸不急工事などを受注、多忙を極めた。
 当時、建設業者を苦しめたのは資材の高騰である。悪性インフレの進行により、
工事の施工中に諸資材が値上りし、当初の請負金額内での工事の完成が難しく
なることもあった。
 このため小野里光明専務が副会長となった群馬県建設業協会でも当局に猛運
動を起こし、公共工事の既契約の金額の更改を要請、群馬県河川改修復旧工事
等について、県当局と県建設業協会との間に契約更改を成功させるなどの動き
もあった。
 もう一つ建設業者を悩ませたのは、公共工事支払の遅延である。順調に工事
は発注されても、諸資材の値上りと支払いの遅延はきびしく、建設業者の経営を
圧迫した。しかも24年4月になると、アメリカ政府の指令により、インフレ抑制の
ためのドッジ・ラインによるデフレ政策が強行された。この結果、金づまりによって
資金ぐりが悪化し、業者の倒産、休業を誘発した。
 建設業は資本金の十数倍にのぼる金額を扱う業種であり、金融引締による打
撃を受けやすい。わが社も金繰りに四苦八苦し、薄氷を踏む経営を続けた。
 ただわが社の強味は、製材場を傘下に持っていたことである。諸資材価格が変
動するなかで、主力材料である木材の自給があるていど可能であったことは、苦
境を切りぬける大きな力となっていた。


戻る
戻る
 



小野里工業株式会社  群馬県前橋市下小出町1−1−12