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小野里光明、社長に就任

 小野里亀澄社長死去のあとを受けて、専務取締役であった小野里光明は31年1月に社長に
就任、常務の小野里善雄も専務に昇格した。
 小野里光明は復員後、専務として社長を助け経営に当るかたわら、23年3月に群馬県建設業
協会副会長、25年11月に前橋商工会議所常議員、26年4月に前橋市議会議員、27年に協
同組合前橋乾燥場理事長、28年4月に群馬県交通安全協会連合会常務理事、29年1月に群
馬県建築士会副会長などに就任、建設業界および地域社会における活動を続けていた。
 小野里光明が社長に就任した昭和31年は、日本経済が神武以来の好況に巡り合わせた年で
ある。輸出の進展と農産物の豊作をベースに内需が活発化し、各産業の設備投資が促進され
た。この年の7月の経済白書は「もはや戦後ではない」という脱戦後宣言をしている。
 電気洗濯機、テレビ、冷蔵庫などの電気製品が急速に普及したが、一方では日本住宅公団に
よる住宅団地の建設が始まり、生活環境も変貌をみせつつあった。団地が初めて出来たのは3
1年、東京・三鷹の牟礼団地。このあと各地に2DKタイプの団地建設がすすんだ。
 わが社も日本住宅公団が埼玉県で初めて発注した団地工事を受注した。鉄筋ブロック造りの
植竹団地第2住宅で、31年7月に完成した。次いで公団発注の大宮市桜木町団地第1住宅も3
2年11月に完成している。
 住宅公団関東支社が浦和市で初めて発注した北浦和施設付住宅も受注した。鉄筋コンクリー
ト造り5階、延600坪(約2,000平方メートル)で34年10月の完成である。この施設付住宅は
1、2階を小野里工業埼玉支社、3階以上を住宅公団が所有するもので、わが社としては、創業
50周年記念事業の一つでもあった。
 一方、東京出張所は32年4月に東京支店とし、文京区本郷の現在地に移転した。支店長は小
野里善一、社員は支店長以下5名である。東京出張所は大正12年10月に日本橋区蠣殻町に
開設し、昭和2年3月に浅草区北清島町、27年4月に千代田区飯田町に移っていた。
 35年4月には前橋商工会議所で創業50周年記念式典および祝賀会を挙行、従業員140名
のほか多数の来賓が出席した。この50周年の記念行事には前橋公園、幸の池に桜を植樹して
いる。




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小野里工業株式会社  群馬県前橋市下小出町1−1−12