>もぐらもちさん
ちくま文庫の『恋愛曲線』の発刊おめでとうございます。また新しい読者が増えるといいですね。
ところで「二重人格者」は国書の『人工心臓』に入っていますよ。確かにオヤジギャグですね、これは。読んだとき脱力してしまいました。
鮎川さんの、光文社文庫『黒いトランク』、2刷も出て
います。
いつもならば、帯に、初版1刷には、「今月の新刊」
と印刷されていましたが、印刷されず、再版は予定
通りでしょうか、2刷にも同じ帯でした。
こしぬまさんの書き込みで、本棚で確認しました。
2刷や、先の書きこみでの創刊など気付かないもの
ですね。
本棚の光文社文庫の2シリーズを眺めていて気がついたのですが。「幻の探偵雑誌」1(2000年4月刊)の帯には「創刊15周年」とあり、「山田風太郎ミステリー傑作選」5(2001年9月刊)の帯には「創刊17周年」とあります。ウーム。
もぐらもちさん、いくつかの情報をありがとう
ございます。
最近は、文庫本で読むことがよろこびに
なっています。幻影城でよむことも楽しいもの
でした。
『改造目次総覧』ということ、大変助かり
ます。昭和14年の号にある記事のようなので、
その本で、該当号の記事が探り出されそうです。
ありがとうございます。先の本にはないよう
なので。
古本さん、鮎川さんの本は、是非、出してほしい
と私も思います。
重ねて『小酒井不木集』初出データの訂正です。
私のところでリストをまとめる時に一年間違って入力してしまいました。
日下さんにもご連絡済みです。ご迷惑をおかけしてすみません。
「猫と村正」
(誤)「週刊朝日」昭和2年7月特別号 → (正)「週刊朝日」大正15年7月特別号
昭和2年の初出じゃ、大正15年刊行の『恋愛曲線』に入っているわけないです。
何故今まで気がつかなかったのか。本当にお恥ずかしい限りです。
桜さま
「愚人の毒」初出の、「改造」秋季特大号は大正15年9月号です。
日下さんにもメールでお知らせしておきました。増刷されて、訂正が反映されると
良いのですが。
今回のシリーズから定価がちょっと上がってますが、部数を維持できれば
第三期・第四期が期待できますから、是非とも応援したいと思います。
ちなみに「改造」の総目録というのは、総目次と執筆者索引の二巻になっている
『改造目次総覧』というやつのことだと思います。図書館のリファレンスで
存在は知っていましたが、出版社等詳細は存じ上げておりません。私も専ら
『雑誌「改造」の四十年』の方にお世話になってました。
鮎川哲也さんの話が出ているので、便乗する形になりますが、角川文庫の「鮎川
哲也名作選」は、唐突に7巻から出て13巻で終わっているような形になっていま
すが、1巻から6巻はどんな予定だったのでしょうか? 以前調べても判らないま
まになっていたことを思い出しました。
「白樺荘事件」はずっと待っています。何とか鮎川哲也さんに最後まで書き上げて
欲しいです。
新刊で、『小酒井不木集』、購入。日下さんの
渾身の仕事が続いています。
もぐらもちさんのHPへの言及もあります。
「改造」のリストを調べることがあり、
「雑誌「改造」の四十年」を見ていますが、
それ以外にも、「改造」の総目録がある、ということ
を、古書店主に聞いたのですが、その本の名前を
教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いします。
ところで、その「改造」です、未見のため、確認
できていないのですが、「愚人の毒」大正15年
秋季特大号は、9月号、あるいは10月号でしょうか、
気になりました。
岩堀さん、鮎川さんには、もうひとふんばりして
いただきたいですね。
桜さま
>鮎川さんの「貨客船殺人事件」
>が収録されていまして、大正8年、と書かれてい
>ます。昭和52年の刊行です。
拝読して、「貨客船殺人事件」たしかツンドクであったなあと
引っ張り出したら、光文社文庫の、犯人当て推理傑作集(昭和61年)
という副題ついてるものでした。これには生年は書かれてませんでした。
昭和52年というと鮎川さんも還暦間近という頃ですから、お年の方も素直
に…という心境になってきたのでしょうか。若い頃は覇気満々・稚気満々で
生年の方も楽しんでおられた…?
小林さま
>わざわざ会社を休んで、「ミステリー文学資料館」に行くのは、道を踏み
>外しかけているような気がしますが…(笑)
う〜ん、キビシイお言葉…。でも、リタイア間近になっては今更本道には
戻れないですね。これからは、踏み外した先の道を本道として生きていくと
しますか…(^o^)。
古書展の初日がウイークデイでも、開店前に必ず最前列に並ぶ会社勤めの方
もおられますね。似たもの同士でしょうか…(^o^)。
>『戦後雑誌発掘』などの福島鑄郎氏は、発掘の時間を作るため、敢えて
>夜間勤務の仕事をされていたとか。
>もしかして、金光さんも同じですか!?
い、いや、たまたま就職したところが昼夜二交代制だったんで、はじめ
から志向したわけでは。そこまでの根性はあらしまへん(苦笑)
# 夜勤もあるのに気が付いて「ラッキー」と思ったのは事実 :-)
>ぷろふいる社の『新人傑作探偵小説選集』は自社の雑誌「ぷろふいる」に
>掲載した作品から選んだ、年間傑作選集です。
>ですから、「新青年」初出というのは、違うような気がします。
すみません、そのとおりです。私の勘違いでした。ご指摘感謝します。
たった今著作リストを確認しました。「土蔵」の初出は「ぷろふいる」
です。お恥ずかしい…… なにを見間違えたのかなぁ。
それにしても、早いうちに気が付いてよかった。ほんと、感謝しており
ますです。
ところで「新青年」作品リストを確認すると西尾「試膽会奇話」(1938.11)
なる作品が。これは知らなかったなぁ(このザルめが)。
すると西尾作品は…… 総計30作品か。
(リンク先に作品リストがあります。これに「試膽会奇話」と、「奎子の
場合」(「ぷろふいる」1935.11)の 2篇を加えてください。計30作)
小林さん、『「新青年」傑作選』、新刊で購入。
作家別作品リスト、103ページ、もあります。
これで、調べもののとき、新青年のリストを
見なくてもいいですね。
傑作選が左、女性は右向き、動物はフクロウ
でした。
あれを見て、幸せな人生を送られている、
と思いました。確かな情報でしょうか。
均一棚で、中島さん編集の『血ぬられた海域』
を入手。岩堀さん、鮎川さんの「貨客船殺人事件」
が収録されていまして、大正8年、と書かれてい
ます。昭和52年の刊行です。
彷書月刊の特集号(2000)や山前さんの
「日本ミステリーの100年」2001、には
やはり、そのようでした。
金光寛峯 さん
『戦後雑誌発掘』などの福島鑄郎氏は、発掘の時間を作るため、敢えて夜間勤務の仕事をされていたとか。
もしかして、金光さんも同じですか!?
> そうでしたか、ぷろふいる社『新人傑作探偵小説選集 9年版』に掲載の西尾
> 作品は「土蔵」だったのですか。「新青年」初出の作品が選ばれたというと
> ころがポイントでしょうね。てっきり、自分のところの雑誌に出た「海よ、
> 罪つくりな奴」を採ったとにらんでいましたが、とんだ見くびりだったよう
> です。
私の書いた投稿を確認していませんが、何か誤解があるような…
ぷろふいる社の『新人傑作探偵小説選集』は自社の雑誌「ぷろふいる」に掲載した作品から選んだ、年間傑作選集です。
ですから、「新青年」初出というのは、違うような気がします。
『新人傑作探偵小説選集 昭和九年版』に収録されている西尾正の作品は、間違いなく「土蔵」です。
こんな時、買ったばかりの光文社文庫『幻の探偵雑誌シリーズ』が超便利。
確認してみると、「土蔵」は「ぷろふいる」の1935年1月(昭和10年1月号)に掲載されています。
「新青年」には、西尾正の「土蔵」という作品は無いようです。
雑誌「ぷろふいる」と『新人傑作探偵小説選集』の「土蔵」が同じ作品化は、あとで確認してみますね。
それとも、私が何かヘンな事をかいていたのかなぁ…。
『幻の探偵雑誌シリーズ』の完結を記念して、探偵雑誌の書誌(作品目録)の所在を、整理してみたくなりました。
連休に間に、やってみますね。
岩堀さん
わざわざ会社を休んで、「ミステリー文学資料館」に行くのは、道を踏み外しかけているような気がしますが…(笑)
桜 さん
> 残るのは、世に出るまでの職歴や、原田さん
> が解説で書かれていた、もうひとつの事でしょうか。
とは、あれの事でしょうか?(笑)
私も、あと1点、気になる証言がありました。
岩堀さん、鮎川さんの誕生日、あんなに異なる
なんて、思いもよりませんでした、
残るのは、世に出るまでの職歴や、原田さん
が解説で書かれていた、もうひとつの事でしょうか。
均一棚で、『殺し屋テレマン』ウィリアム・ハガード
杉浦安 訳、1963.5、入手。荻巣さんの評価では
超A、のようです。ひさしぶりの、桜ふぶき、でした。
話題に乗り遅れた感なきにしもあらずですが…
「黒いトランク」、光文社文庫版はすぐ買ったのですが、創元推理
文庫版は数日前やっと購入しました。
鮎川哲也さんの生年月日は「大正八年(一九一九年)ニ月十四日」
で確定したようですね。
手持ちの本で見てみると、鮎川さんの生年に関する記述は以下のように変遷?
しています。
同じ昭和41年発行なのに、「リラ荘…」では「人それ…」より1年早くなって
いること、それより3年あとの「鍵孔…」では「リラ荘…」より3年遅くなって
いるのが面白いですね。やはり作者が確信犯的に読者を惑わせて楽しんでいる
ようですね。
1)東都書房 日本推理小説大系13巻
「鮎川哲也・日影丈吉・土屋隆夫集」昭和35年10月第1刷
東京に生る。(注、鮎川氏は経歴不詳で有名である)…
2)講談社 ロマンブックス 「砂の城」 昭和40年10月第1刷
大正5年、東京に生まれた。
3) 同 「人それをを情死と呼ぶ」 昭和41年2月第1刷
大正5年、東京に生まれた。
4)日本文華社 文華新書「リラ荘殺人事件」 昭和41年10月第1刷
著者は大正四年に東京に生まれ、…
5)光文社 カッパ・ノベルス 「鍵孔のない扉」昭和44年6月 初版
大正七年(一九一八年)東京生まれ、。
6)角川書店 KADOKAWA NOVELS 「王を探せ」 昭和56年初版
大正の生まれ。
ミステリー文学資料館 土曜日も開館とは「一般的に」いいニュースですが、
私は複雑…。「ウイークデイでも気兼ねなく行けるのが定年生活の特権、その日は
もう近い…」とわくわくしていたのに…。
森下 祐行様
私は、会社を休んで行ったことありますが、それでもまあ「まっとうな」
会社員と思っていますが…(^o^)。
扉野さん、森ミヨシさんのこと、知りませんでした。
「ぷろふいる」には、記事を書いているのでしょうか、
光文社文庫の目次が注目されますね。
創刊号では、東京支社の住所、2号では、編集部の
住所が、九鬼さんの住所でした。2号で、東京支社は
書かれていませんので、最初だけのようです。
3,4号で、支社の住所が、松富町になり、5号の
昭和22年、12月では、神戸市になるようです。
小林さん、似顔絵はそこからきていたのですか、
「小説」にも、おもしろいことが分かりそうで
刺激的です。
金光さん、紛失する、と言うことがやはりある
のですね、除籍印のない本を入手した時には
とても気になります。
ミステリー文学資料館土曜解禁 (は、ヘンか) は慶事ですね。
今まで夜勤シフトのときに眠い目こすりながら閲覧していたのが、かなり
楽になりそうです。
それから。
すみません、金光の風眼を許してください。小林さん、西尾正のこと御教示
ありがとうございました (昨年11月11日書きこみ)
そうでしたか、ぷろふいる社『新人傑作探偵小説選集 9年版』に掲載の西尾
作品は「土蔵」だったのですか。「新青年」初出の作品が選ばれたというと
ころがポイントでしょうね。てっきり、自分のところの雑誌に出た「海よ、
罪つくりな奴」を採ったとにらんでいましたが、とんだ見くびりだったよう
です。
自分のところだから、とかじゃなくて、作品主体で選ぶようにしていたの
ですね。
あの後、じつは『新人傑作 探偵小説選集』も調べようと国会図書館行った
のです。そうしたらなんと、この本紛失している! だーれーだー。
トビラノラビット さん
「sumus」8号の、池内素江さんインタビュー「熊谷市郎さんの横顔」、拝読しました。
今まで断片的だった熊谷市郎さんの生涯が、インタビューにより繋がって、探偵雑誌との関わり方も、良く解りました。
トビラノラビットさんと池内素江さんの、不思議な縁が、ここまで熊谷市郎さんの生涯を発掘する事に繋がったと思うと、感慨深いものがあります。
たまたま手元に本が有ったので、ご質問にお答えします。
『探偵小説百科』に引用されている、熊谷さんの似顔絵は、「探偵春秋」第一巻二号(昭和11年11月号)の、「らくがき」というコラムに掲載されていたものです。
「らくがき」は、「探偵春秋」に不定期に掲載されていた、探偵作家を紹介する1頁のコラム。
大阪圭吉ファン頁の、大阪圭吉の似顔絵も、別の号の「らくがき」から、転載したものです。
ついでに、戦後版「ぷろふいる」の2巻2号(昭和22年8月発行)に掲載された、九鬼澹のエッセイ「誰彼のこと」によると、この時点で堀場慶三郎さんは亡くなっていた様です。
池内素江さんインタビューで、雑誌「小説」に日本画家の絵が表紙として使われていた理由が、納得行きました。
熊谷家に有ったという林武の絵が、熊谷さんの関わった雑誌の表紙に使われいないか、捜してみたくなります。
とだ さん
ミステリー文学資料館のニュース、ありがとうございます。
やっと、土曜も開館するようになりますか!
これで、ミステリー文学資料館へ調査に行かない言訳が出来なくなってしまう…(笑)
月−金しか開館していないと言うことは、まっとうなサラリーマンや一般人を相手にしていないと云う事で、それではいけません。
6月になったら、絶対に行ってみます。
去年の夏にした、熊谷市郎さんの長女、
池内素江さんのインタビュー、ようやく
活字にすることができ、少しずつですが
熊谷市郎さんの追跡をすすめています。
すでに桜さんが言及してくださっていますが
小さな事実からまた判ってくることがあれば
うれしいです。
今回のインタビューでも触れていますが、
私の祖父と素江さんとに不思議なつながりがあり、
そのことが私にとって熊谷市郎さんを調べようという
大きな推進力でした。
これからも、こつこつと判明した事実を報告していくことが
できればと思います。
思いあたる調査は『ぷろふいる』
創刊に深く関わったと思われる都新聞の編集者だった
森ミヨシが、新聞紙上に『ぷろふいる』に関連した記事を
書いていないか、など調べる予定でいます。
ところで九鬼紫郎氏の『探偵小説百科』に清水昆描くところの
熊谷市郎さんの肖像が掲載されており、以前そこから私の拙文にも
孫引きさせてもらったのですが、この肖像は『ぷろふいる』誌上
に掲載されたものなのでしょうか? 小林文庫さんの大阪圭吉のページ
で用いられている肖像も清水昆が描いたものだと記憶しているのですが、
同じ出典なのか気になっています。御教示いただければと思います。
古書店で、青木喬介著『子猿の猿吉』、北信書房、
昭和21、を入手。
少年探偵小説がある著者ですが、童話があるとは
知りませんでした。
手元にあるのを見ますと、昭和22年、二冊、
昭和25年、一冊。
まだまだ、出てきそうです。
googleの検索で偶然辿り着きました。折角ですから、汚して行きます。
実は掲示板とゲストブックの違いを探していました。
此方は探偵小説の会議室ですか。場違いでしたらご容赦下さい。
ボストンの探偵は好きです。犬を飼ってる女プロレスラーの続刊は待ち遠しいです。最初に読んだのは、Yの悲劇、学習雑誌の付録でした。
ミステリー文学資料館の土曜日開館はありがたいですね。
これまでは、まっとうな(笑)会社員が利用しようとしたら、会社を
休んでいかなくちゃ行けなかったですから。
もっとも、まっとうな会社員はあそこを利用しないか?
新刊で、『新樹 −山手樹一郎生誕102年記念号ー』
小池書院、2002.2.11を購入。
雑誌のように、「号」がありますが、同人誌があった
ため、このようにされたのでしょうか。厚くて、800円。
年譜もあります。
小林さん、「くろがね 会報」の編集兼発行人の記載は
年譜にはありませんでした。しかし、その頃、他の雑誌
の編集もされていたのですね。
実際は、生誕103年のようです。
とださん、土曜日も開館になるということ、利用者がます
ように思われますね。
土曜日開館のお知らせ
ミステリー文学資料館では、2002年6月1日(土曜日)より、土曜日を開館する運びとなりました。
5月1日、年末12月27日〜1月5日と、日曜、祝日の閉館日を除いて、毎週土曜日を開館日といたします。(祝日にあたる土曜日も)
開館時間は通常と同じ午前10時〜午後5時(入館は4時半まで)。
どうぞ、ご利用ください。
……というお知らせが掲示されていました。さて、入館者数はどうなるでしょうか?
下と同じ雑誌には、趣味誌のことが書かれて
いました。
また、「発禁本 III」平凡社には、「戦後
の趣味誌状況」が掲載されていて、刺激的です。
「琥珀」、「マイコレクト」などは当時のミステリ
同人の方の出された雑誌でしょうか。
そんな折、戦後すぐのミステリに造詣の深い
人から、当時出していた趣味誌をいただきました。
これらはどのくらいあるのか検討がつきません。
小林さん、お役にたててうれしいです。
ところで、書き込みの時間、2が並んでいます。
確率的に起こりそうにないですね。
出ました「sumus 8」。「熊谷市郎さんの
横顔ー池内素江さんに聞く」聞き手 扉野良人、
池内・それそれ、九鬼さんの家だ。
ということで、東京支社の住所が確認されています。
昭和21年のあと、3号のでた、昭和22年には、
中野区鷺宮から、神田区松富町に移転。これは誰の
住所でしょうか。九鬼さんは、昭和30年6月調べ
でも、鷺宮におられます。新たな疑問ですね。
扉野さんの関係者も登場し、展開に驚きます。
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