末永さん、ありがとうございます。確かに、怪しげ
ですね。
この新月書房については、都筑さんの本にでていますが、
全体的に、よくわからないように思われます。
久我荘多郎『菊池千本槍』(昭和17年立誠社)、入手され
ましたか。
私のリストでは、もれています。これで、戦前のは、一冊
ふえて、17冊目です。戦後には、9冊、確認していますが、
あとどれだけあるのか、わからないように思われます。
南総二郎、末永さんの分野ですね、何冊あるのでしょうか。
末永さん、短期間の旅行でいろいろと入手されるとは、
やはりすごいことですね。
古書目録に、このところ、「戦線文庫」がでています。
やはり、昭和18年が注目されていますね、2月の、52号、
8月、9月の発行のものに目が行くのでしょうか。最近の
古書目録には、これらはでていませんが、このところ、この
文庫、よく出品されています。
ありましたか。
三一書房の本で欲しいのがあったのですが、入手が難しいかと半分諦めていました。
さっそくさっき電話で在庫を確認したので、FAXで注文してみます。
桜様。
仙花紙ものと言っても、今回は時代ものがほとんどでした。
実はまだ旅先で発送した荷物を全部受け取れていないのではっきりしませんが、牧逸馬の『この太陽』は、熱海で発行されたというだけで面白がって購入しました。仙花紙ではありませんが、久我荘多郎『菊池千本槍』(昭和17年立誠社)は大阪の出版社なので購入。南総二郎という人の『龍虎の呪符』という捕物帳を買いましたが、奥付欠なのでいつのものかわかりません。
まあ、大体こんなところで、私なりには珍妙なものが入手できたと喜んでいます。
あ、それから来年の講演は私というお話はありませんよ。
■徳島の小西昌幸です。海野十三や香山滋の三一書房版『全集』をコツコツ探求している方は必ずいると思いますが、ご承知のように同社は厳しい労使の対立によって、闘争が続いています。その関係で、流通面に支障をきたしているのですが(倉庫を組合ががんばって管理しているため現経営陣は過去の刊行物を思うように流通できない)、確実に海野本や香山本を入手するには、次のような方法をオススメします。
■三一書房労働組合の通信販売係に電話かファクシミリで連絡を取り、在庫確認の上、注文してください。こちらの住所氏名を伝え、本が届いてから速やかに同封の振替用紙で送金するという仕組みです。連絡先は次のとおり。
《三一書房労働組合 通信販売係》電話/03・3812・3132、3233 ファクシミリ/03・3812・3119 住所 113−0033文京区本郷2−11−3
■私は香山全集は毎月1、2冊ずつ直接労組に注文して割引価格で帯付き美品を全巻揃えることができました。電話の際は、「徳島の小西という人から教えてもらったのですが、これこれこういう本は入手可能でしょうか」と、ていねいに聞いてみてください。先方は私の名を知っているので、親切に教えてくれます。まとまって買うと送料もサービスしてくれたと思います。
■私は、同労組を支援する会に入っております。故尾崎秀樹先生や紀田先生も労組を支援する声明をお出しになりました(小西は直接的には東京の支援者―NHKのディレクターで土方巽の優秀なドキュメンタリー番組を作った人―からの要請で入会)。未入手の本などは、どしどし注文してあげてください。私は今度は折を見て中井さんの作品集を探求しようかなあなどと考えています。モチロン、東京創元社版全集は買っていますが。おじゃまいたしました。
末永さんも、前に出られたそうで、来年の予行演習
のようでもありますね。
その怪しげな、仙花紙本、差し障り無ければ、題名
だけでも、知りたくなります。
徳島に出かけると、駅から近い、あの古書店には
かならず行きます。あの中の乱雑さにひかれます。
4月にでた目録から。6点希望して、そのなかの
1点のみ入手。『白眼鬼』永瀬三吾、同光社、昭和33
著者唯一の長編小説。
小西さんのおっしゃる通り、日下さんの講演会は大変な盛況でした。
さて、徳島の古書店ですが、全国的な流れ(?)に乗って大型リサイクル系店がいくつもありました。丹念に回ると面白そうなのですが、古いものがなさそうなところはパスしました。
徳島市は地図で見ると平地が少なく、狭い町のように見えるものの実際は大変に広く、道が入り組んでいるうえに古書店が散在しているため、自動車で地元の方に案内していただかなければかなり苦しいと思います。今回は小西さんにご案内いただき、大変助かりました。
全体的に古い雑誌が少なかったので、私としてはほかの場所より買うものが少なかったという結果でしたが、怪しげな仙花紙本などが買えたので、荷物の到着が待ち遠しいです。
物集さんのテレビは見た記憶があります。もぐらもちさんのおっしゃる通り「洒脱なジゴロじいさん(実は高名)を面白おかしく紹介する」という扱いだったと思います。
大倉テル子さんのご縁者は(今では)連絡がつかないという話を伺ったことがあります。
『「南方の火」のころ』椿八郎、古書店で入手。
何度か通過する度に、いつしか売りきれているので
今度は購入。
『鼠の王様』椿八郎もあるので、見つけたい。
でも、よく見かけるので、その時まで。
中島河太郎さんによる、作品目録があります。
小西さん、ご盛況のこと、おめでとうございます。
次の、ハンド・ブック(?)、勢いがつきそうですね。
小林さん、着きましたか。
その後、大東亜出版社の本、一冊入手しました。おなじく、
広告があり、情報も、ありました。
大阪圭吉さんの広告もありますので、送りましょうか。
もぐらもちさん、追加です。ききましたところ、
友人の記憶では、落ち着いた感じの人が、そばに
おられたということですが、そんなには若くはない、
ということでした。
また、家ですが、高台の、それも、おおきな庭つきで、
コレクションの山にかこまれていた、ということ
でした。このあたりは、異なるようでした。
■小林文庫オーナー様
海野十三の会の小西昌幸です。5月12日の海野十三忌/日下三蔵氏講演会「海野十三・再々評価に向けて」(阿波観光ホテル4階ホール)は、おかげさまで60名の参加者があり大盛況となりました。通常この種の催しは、いつも資料を50部作れば充分なのですが、今回は足りなくなって大いにあせりました。東京から末永昭二さん、名張市から中相作さん、神戸から野村恒彦さん、吹田市から臼田惣介さん、愛媛から藤原正明さんというとんでもない顔ぶれの人たちが集まりまして、大感激でした。
講演会は日下さんは大変そつなくお話になり、私たちは、せっかくなので末永さんや中さんにもご登壇いただき発言をしてもらいました。講演内容は、海野のデビューから作家たちとの友情や交流、没後刊行された百点以上の単行本の詳細な傾向の分析、海野作品の魅力、日下さんが海野について今後数点は単行本化を仕掛けたいとお考えになっていることなど、多岐にわたる興味深いものでした。
徳島新聞文化部や読売新聞徳島支局の記者なども取材に来ていました。
日下さんは、この日10時着の飛行機で徳島入りされたのですが、古書店めぐりのご案内をする約束をしておりましたから、まず、空港から車で5分ほどのブックオフに直行。肩慣らしのつもりでちょっとのぞいていただければ良いと思っていたのですが、日下さんはここでいきなり7千円台のお買い物をされました。アニメも守備範囲なのだそうで、もう私はただただ感服しておりました。
講演会終了後は、私が過去に山前譲氏や池田憲章氏や長谷邦夫氏や杉浦康平氏をお連れした古書店「徳島古本流通センター」に皆で行って、楽しくブック・ハンティングをしたわけです。
そして夜は、中さんを中心に恐怖の大宴会に突入し、私はボー然としていたという次第です。
13日は撤収時刻ギリギリまで、ほぼ終日、徳島市内の古書店を駆け巡ることになっております。私が果たして無事生還できるかどうか、皆さん、どうかお祈り下さい。失礼いたしました。
物集さんの話題が、2方向に広がり…、興味深いお話ばかりで、勉強になります。
小西昌幸 さん
名著普及会の社長のお話もそうですが、小西さんのお言葉も「熱い」ですね。
そのお気持ちが、現在の海野十三の会その他でのご活躍に繋がっているのでしょうか?
昨日の「海野十三忌 講演会」、ご盛況だったと思います。
また講演のご様子なども、教えて下さい。
一昨日、上野の国際子ども図書館に行って来ました。
あまたの作家のエッセイに登場する、旧上野図書館の面影を、どれくらい残しているのでしょうか。
建物はとても重厚、でも職員の人は親切で、改装されているので明るくて綺麗な、とても気持ちの良い図書館でした。
また、行ってみるつもりです。
国際子ども図書館に行った理由は、大阪圭吉の著書チェックなど。
国会図書館所蔵の大阪圭吉の著書を、総て再確認しようとしたところ、何故か『海底諜報局』が、国際子ども図書館に移送されていたのでした。
児童書では無いのに!?
チェックに行った結果は、所蔵書は私の所有しているのと同じ版(再版)でした。
現在、圭吉の著書の発行日を再確認しようしているので、途中経過はまた報告します。
桜さん
お送り頂いた資料は、土曜日に拝受致しました。
大変、参考になりました。ありがとうございます。
もぐらもちさん、不思議なもので、昨日、古書店
から手に入れた、大隣社の本の広告に、すでに
翻訳としてもぐらもちさんが書かれています、
『紅木婁の騎士』、木ヘンに婁、で一字
四六版・美装・定価1円40銭
とされていました。楼が旧漢字でしょうか。
物集さんの周辺のこと、知りたくなりますね。
ぜひ、インタビューに行き着かれることを希望
します。
小西さん、岩堀さんと同じように、紀田さんが
講演された理由がわかりました。
松本清張記念館より、「松本清張研究 第三号」
2002、の刊行を知らせる小片が、同封されて
きました。定価2000円。
小西昌幸様
小西さんの講演会に紀田順一郎さんを呼んだのはそういう
ことだったんですね。(「『新青年』趣味」の小西さんの寄稿、
拝読しました)
「古書街を歩く」にはいろいろな話が載っていて読み物としても
非常に面白いですが、一番印象に残っているのは物集高量さんの
話と「北村透谷『楚囚之詩』」発見の話です。
物集さんと名著普及会の社長さんとのやりとりは、何度読んでも
感動しますね。
徳島の小西です。物集さんの話題で盛り上がるとは感激です。私も、岩堀様が書かれていたように、紀田順一郎先生が『古書街を歩く』で紹介された『広文庫』復刻のエピソードに大きな感銘を受けたクチです。読んだときは、涙がボロボロこぼれました。
名著普及会の社長と部長が、死んだと思われていた物集さんが存命だったことを知り、駆けつける。物集さんは1人暮らしで、生活保護を受けていた。『広文庫』を復刻したい、という社長に対して、物集「よしたほうが良かありませんか、あなたの会社がつぶれますよ。ごらんなさい、うちもこうなった」。「良いものは売れる。売って見せます」という社長に、物集さんが問いかける。「世間のことに自分はすっかりうとくなっているが、あなたの会社と講談社とではどちらが大きいのですか」。社長は「確かに規模から言うと講談社が大きい。しかし精神では、はるかにうちが大きい」と答えるわけです。このとき物集さんは90代半ば。復刻企画は大成功をおさめ、物集翁を支援する学者や文化人の組織も作られる。物集さんは苦労の連続だった人生の最後の最後にスポットが当てられ、106歳で大往生を遂げる……。
私は、心に迷いができたとき、いつもこのエピソードを読み返してきました。鳥取であった「第5回本の学校」の分科会で河上進氏(=南陀楼綾繁 なんだろう・あやしげ氏)のご指名で発言したときにも、「なぜ本を作るのか」という志(出版人の心意気)の一端を明示したエピソードとして引用させていただきましたし、職場で紀田先生の講演会を企画開催したのも、このエピソードを先生に直接語っていただきたかったからでした。私が読んだのは福武文庫の『新版 古書街を歩く』でした。
本日(5月12日)いよいよ日下三蔵さんの講演会です。講演会資料は、なんとA4サイズ8頁ビッシリ。私は泣きながら11日午後10時過ぎまでかかって作業を終えました。私は会場では、末永さんと書籍売り場に立って『「新青年」趣味』9号や、ちくま文庫版『海野十三集・三人の双生児』などを販売してまいります。それでは失礼いたします。
桜さま
続報、という具合に行かないのが非常に歯痒いのですが。
物集高量さん、テレビ出演の内容等に関しては全くチェックして
いませんでしたから、ちょっとわからないのですが、100歳、103歳
それぞれのエッセイ集の内容から推測出来るのは、当時の物集さんは
物集家の跡取り、という立場ではなく、アパートで独り暮らしだった
らしいこと。そして、非常に若い恋人(笑)がいて、身の回りの世話を
してくれていたらしいことです。
松井玲子さんだとしたら1980年当時、60歳を越えておられるのでは
ないかと思います。テレビに映っていたのがもっと若い方でしたら
多分それが当時の恋人さんでしょう。羨ましい話です。
そういったわけで、高量さんのお住まいから割り出して現在の物集家の
人々とコンタクトを取る、というのはちょっとむずかしいようです。
ただ痩せても枯れても『廣文庫』の物集高見博士の家系ですから、
本気で探せばご遺族の方は見つかると思います。
しかし大倉テル子の研究者を歓迎してくれるかどうかは……(笑)。
何にせよ物集家の縁者の方、あるいは大倉テル子さんと関わりの
あった編集者の方など見つかったら是非お話を聞きたいと思います。
続きです。
TVに出られていたとき、いくつかのコレクションを
見せられていたということです。もぐらもちさんが
あげられていたエピソードに関係があるようです。
そのとき、そばにいた(?)、あるいは身のまわりの
世話をしておられたのが、松井玲子さんでは(?)、
というのが、友達の証言です。TVにもでていたようだ、
とも。
とすれば、高量さんがおられたところに、まだ住んで
おられるのではないか、というのがストーリーですが、
もぐらもちさん、いかがでしょうか。
ご存知のように、WEB-OPACによれば、松井さんの、本が
所蔵されていますね。
もぐらもち様
昨日は、「『新青年』趣味」第9号を読んだり、もぐらもちさんの書きこみ拝見
したりで大騒ぎでした(^o^)。「別冊宝石 江戸川乱歩還暦記念号」を本棚から
取り出して(こういう本が平積みとはマズイなあ)みたら、大倉Y子のエッセイ
たしかにありましたね。隅々まで読んでなくて気付かなかったです。
森まゆみ『明治東京畸人伝』(新潮文庫)もどこかにあった筈と…、部屋の隅
からやっと探し出しました。物集高量さんのいいお写真が載っていますね。
大倉Y子(物集芳子)は、妹の和子といっしょに二葉亭四迷から文学の
個人教授を受けていたそうですね。
物集高量については、紀田順一郎「古書街を歩く」(新潮選書 昭和54年
初版)にも、「廣文庫」を復刊したい出版社との邂逅の感動的なエピソードが
載っています。
末永昭二様
「『新青年』趣味」第9号では、「海野十三と無線雑誌」に書かれている鉱石ラジオ
の話も大変なつかしかったです。我が家か学校か忘れましたが、後ろから見ると、
ポーッと付いている真空管が丸見えのラジオでよく聞いたものです。ザーと雑音が
入る…、時々聞こえなくなると、本体をガンとひっぱたくと何故か又聞こえてくる
んですね。秋田では昭和30年頃まだ子供達を集めてのラジオ組みたて教室という
のがありました。「バリコン」という言葉覚えてます。それが「バリアブルコン
デンサ」(容量可変器)の略語であるらしいと知ったのは大人になってからでした。
岩堀さま、桜さま
物集高量さん、亡くなられた時は106歳でしたが、晩年メディアに注目され、
各方面で活躍していたのは本当です。
100歳を越えてから出版された3冊のエッセイ集にはそのあたりの事情にも
触れられており、テレビ出演の際の写真なども収められていました。
(手元に資料がないので、曖昧な記憶なのですが、「徹子の部屋」か何かに
出演した写真があったと思います。)
テレビでの扱いはわかりませんが、本の方では、国文学者であるとか名家の
長男だとかそういう事はどちらかというと些末事で、いたって自由気ままに
100年も生きた挙げ句、30何人目かの恋人と楽しく暮らしている面白い
ジゴロ爺さんという所に注目していたように思います(笑)。
洒脱な性格の上にお喋りが達者だったらしく、インタビュー形式で語られる
エピソードの数々が非常に生き生きと綴られています。探偵小説作家・大倉
テル子の参考文献という期待をもって読むべき本ではありませんが、この人
自身非常に興味深い人物であり、一読の価値ある好エッセイでした。
また、物集高量さんのことは、森まゆみ『明治東京畸人伝』(新潮文庫)にも
取り上げられています。
物集ファミリーの中で、メディア露出があって有名だったのは『廣文庫』
編纂者物集高見、その協力者だった長男物集高量、三女の物集芳子(大倉テル子)、
四女の物集和子(藤浪和子)くらいでしょうか。しかし他に何人も年の離れた
弟や妹がいて、その子供・孫の代まで行くと多分本人達も系図上のつながりは
あっても実際のつき合いはなくなっていると思いますし、物集芳子さんをよく
知る位の人になると、もうお亡くなりになって久しいのではないかと推測されます。
せめて芳子さんの娘で、やはり作家だった松井玲子さんの縁者にでもお会い
出来たらと思うのですが、雲を掴むような状況で、なかなか難しいものが
あります。
本で知り、その雑誌は何冊あるのか、と思っていた、
「麒麟」が古書目録で全六冊であることを知りました。
(「中央線古書展出品書目録」より)。
「顎十郎捕物帳」覚え書、「海野十三著書目録」
が所収されているようです。
須川さん、ご指摘ありがとうございます。山沢晴雄
さんでした。私も、ファンのひとりです。
今後とも、よろしくおねがいします。
岩堀さん、友人の一人に、電話したら、彼の記憶によれば、
物集さんは、なくなられる寸前(1985年死去)まで、テレビ、
それも、たけしの、スーパー人間みたいな特番にでたり、NHK
にもとりあげられた、と言っていました。
しかし、その人が、確実に当人かどうか、すこし、あいまいだ
と電話の向こうで話していました。果たして、真実は?
桜さん
山沢晴雄です
桜様
「物集さん」、その方の大叔(伯?)父さんという関係ではなかったかと…。
それほど近い親戚ではなかったようです。
遠い昔なので記憶喪失気味…、申しわけありません。
小林さん、遅れましたが、朝イチでおくります。
また、その後、今年一番の、単行本も古書目録から
無事入手しました。
準備ができたように思われますので、書くだけです。
その古書店にはどれほどのものがあるのか
予想できませんほど、素晴らしい品揃えです。
『別冊シャレード65号 山沢春雄 特集5』を拝受。
山沢春雄評論特集です。いつもありがとうございます。
「『新青年』趣味」、夜、メール便で受け取りました。
振替にて支払い予定。末永さん、ありがとうございます。
読み応えのある項目がならびます。末永さん、本当に、
細目になりますね、よく流れがつかまれます。
表紙には、青版、赤版があり、再版では、表紙の色を
かえたようです。うら表紙の広告で、再版がどちらか
であるか、わかりますが。
発行日はいじらずに。
小林さん、6周年おめでとうございます。
これからも、よろしくおねがいします。
ある雑誌をみて、戦後の、昭和二十年代後半に
ミステリ同人誌で活躍され、その後小説も書かれた
船知彗さんが、昨年冬死去されたことを知る。
岩堀さん、物集さん、どのような姻戚関係か
知りたくなります。
よしだ まさし さん
『戦後ミステリ・冒険小説全目録』は、かなりの線まで行っていたのですか!?
期待していたので、残念です。
書誌の作成は、労が多い上、その後ますますお忙しくなった方々ですから、完成させるのは難しかったのでしょうね。
本当に、残念です。
昨日、5月7日 小林文庫HP開設六周年を迎え、7年目に入りました。
HPを訪れて、励まして下さった皆様、大変ありがとうございました。
青息吐息のHPになっていますが、地道に継続して行くつもりです。
これからも、よろしくお願いします。
末永昭二様
「『新青年』趣味」第9号、有り難うございました。まだちらっと見た
ところで、これからじっくりと…。口座番号のご連絡もたしかに拝受、先刻
振りこみにいってきました。
おりも良く?、ツンドク本の中から「 新青年 読本 全一巻」(1988年、
作品社、これも素晴らしい本ですね)を取り出して昨日から読み始めて
いたところです。又偶然ながら、1週間程前に鎌倉の古本屋で三一書房の
「海野十三全集」の11巻を購入していました。私は海野マニアとかファンとか
言うほどの者ではありませんが、この11巻は美麗・箱入り・帯付きで
1200円(これは安いのでは…)、「地球発狂事件」「四次元漂流」など
(私にとっては)珍しい作品が入っているので即買いでした。これからも、
海野十三全集は見つけたら買いたい気持ちです。
阿部崇さんの「女傑 大倉Y子伝説」が載っていますが…
本名 物集芳子さん、「廣文庫」の物集高量さんの妹であるという事を、恥ずかし
ながら最近知りました。大昔同じ職場に「物集」さんという方がいましたが、
その頃、紀田順一郎「古書街を歩く」や山田風太郎「人間臨終図巻」に物集高量
さんの話が出ていたので、その方に聞いてみるとやはりご親戚でした。今思うと
大倉さんの話も聞けたのでは…となるのですが、無知故にあたらチャンスを
逃してしまいました。残念無念です。
オーナー様
>>「関口苑生、長谷部史親ら、本大好き人間と企んだ『戦後ミステ
>>リ・冒険小説全目録』の作業もいよいよ本格化しそうで、楽しみ
>>もある。乞う、御期待!である。」
これですが、実は友人が専用のデータベースソフトを開発し、データ入力もある程度までは進んでいたはずです。ただ、関わっている方の多くがプロの方たちですので、なかなか継続的に時間を割くことができなかったのではないでしょうか。予定ではかなり網羅的なデータベースが完成するはずだったと伺っております。
小林さん、その通りです。正しく、末永さんの本は
目から鱗状態でした。幸運が訪れますように。
久しぶりに、貯った本を整理していましたら、同じものが二冊
もある、
雑誌SPA!,1996。
現在活躍中の二人の写真があります。まだ、本名の人と、
山前さん。
おふたりが、べつべつに、写されているのは珍しい写真かも
しれません。
保存用にとりおき。
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