山名さん、高志書房で、あの『屍体七十五歩にて死す』
の、三版、です。おそらく、初版が、上の題で出て、
その二版は、どのような題であるのか、確実には
私はつかめていません。
収録は上のものと同じで、見開きでは
上の題のまま、表紙をはりかえたものでした。
二版が『地蟲』ならば、おもしろいな、と思います。
体は、旧漢字です。
日下さんは、すでに、山名さんがあげられた文庫の
リストに、あげられていたように思います。
今日、午前7時20分ごろ、NHKのTVに、日下さんが
登場されて、
山田風太郎さんの「創作メモ」、20冊以上でしょうか、
について、話されていました。さらに、その内容が知り
たくなります。数分間でしたので。
山名です。
久しぶりに覗いてみれば...
○桜様
はじめまして、山名と申します。
桜様の入手された『謎の刺青』について、扶桑社文庫『二十世紀鉄仮面』
に掲載してある著作リストをみまして、さがしてみましたが、見当りませ
んでした。一体どのような作品が収められているのでしょうか?やはり発行
元は高志書房でしょうか?気になります。おしえて頂けないでしょうか?
以上よろしくお願いします。
その後、梓林太郎さんの、単行本「走行超過」への言及
があるかどうか、山前さんや中島さんの、梓さんの文庫本で
の解説を、B-OFFなどでみても、ないようですが、新人賞受賞
と同じ、1980にだされたと考えた方がいいので
しょうか、WEB-OPACでみると、書誌では、年度のみ、
1981、とされています。月日が記載されていま
せんので、不明です。どれも、1981、です。
「男の隠れ家」五月号、新刊で。うつ伏せ書き、という
スタイルをはじめてしりました。本が床まであふれて
います。
「彷書月刊」四月号で、末永さんの、「城田シュレーダー」
のこと。複雑なことになりつつあるようです。
さらなる真相がまたれます。
博多にでかけて、初版の角川文庫、夢野久作のいくつかを
入手。見かけないような気がしています。
『謎の刺青』小栗虫太郎を入手して、これが三版、昭和
二十三年三月五日でありますので、二版は、いつの出版か、
追求したくなります。初版は昭和二十二年二月五日です。
中様、月曜日に拝受しています。ありがとうございます。
博多にでかけて、返事が遅れてもうしわけありません。
大塚様
「小城魚太郎」は小栗虫太郎が「白蟻」等でご自分を作中人物と取り扱う際に使った名前だと思います。ちなみにルビは「こしろうおたろう」とあります。
岡村雄輔の創造した探偵、秋水魚太郎はそこから影響を受けているようです。
でも、主要登場人物としてなら、山田正紀の「ミステリ・オペラ」のほうかな。
創元推理文庫、鮎川さんの二冊、新刊で購入。
「名探偵登場30」には、明智小五郎登場。新刊案内とは
別に、ひさしぶりのパンフレツト(リーフレット)。
均一棚で、梓林太郎の「走行超過」蝸牛社、1980
として、クレジット、されています。短編集で、最初の
単行本のようです。ただし、印刷日、発行日、記載無し、
帯にかかれていたのでしょうか。
「日本ミステリー事典」には、1981、とある。
初版ははたしてどちらでしょうか。
奈良さん、筆名のこと、準、とおもっていました。
中様 ありがとうございました。
仰せの通り、単なる素朴な疑問に過ぎません。ご指名をしたわけでもないのに、お忙しいところ、お手を煩わせてしまったようで、かえって申し訳ないくらいです。
PS.素朴な疑問ついででいうと、小城魚太郎というのは、何かの主人公だったかなと、ふと頭をかすめました。(それだけの話です)
瑣末です。水谷準のジュンですが本日「虎の王冠」の表紙を見ていたら(凖)と表記してありました。えっと思い検印を見るとやはり(凖)でした。手持ちの他の本は作者名は(準)ばかりで検印は(凖)でした。本当は(凖?)だったということを知らなかった恥ずかしい話です。
おはようございます。さしたる用事はないのですが、昨日の投稿に誤字脱字がありましたので(あれお恥ずかしい)、ちょこっと訂正をば。最初の「●大塚俊一様」の前に一字アキが抜けておりました。三段落目の「訊いたみた」は「訊いてみた」の誤り。同段落の末尾には句点が必要です。誤字脱字には充分注意しているのですが、やはり万全ではありません。それにいま読み返してみましたところ、昨日の投稿にはなんだか怒りながら書いたような気配が感じられます。何を怒っていたのかは自分でもよくわかりませんが、怒りながらキーボードを叩くと誤字脱字が生じやすいようです。気をつけなければいけません。それでは。
小林様
今日はじめて、日本近代文学館へ行って参りました.私にとってはカードで検索したりコピーを依頼するといった事が全て生まれて初めての経験で、体中が緊張感でプルプル震えました。そして、お目当ての「シュピオ」を全巻手に持ったときの感動もひとしおでした。早速、編集後記から虫太郎が担当した部分を全部ノートパソコンに手入力しようとした矢先バッテリー切れの警告が....仕方なくコピーを依頼しようとしたところが給料日まえで、お金がなく七枚しかできませんでした。でも、暫くは日本近代文学館通いが続きそうです。貴重な文献と触れ合えることがいまの私にとって限りなく楽しいひと時となりました。きっかけを与えてくださいまして有難う御座います。(内容が幼稚ですみません)
よしださま
いつもお気づかいありがとうございます。ああ、でも、これは書誌の制作を焚き付けられているのですか。
「未来趣味」第九号、来ました。
この号から、編集人、発行人があたらしくなっています。
横田さんの入手の本、昭和17,18年辺りが、競争
になっていることがわかり、あれとこれは、横田さんの
手元にいったことなどと、思い至りました。
「ヒストリア」177号、掲載の「米田三星論ノート」細川
を読む。鮎川さんの小説、「王を探せ」にあらわれた登場人物
のひとり、とわかり、おどろく。
中様、いろいろとありがとうございます。
●大塚俊一様
お尋ねの件、名義は「小城魚太郎」でした。慶應義塾大学推理小説同好会編『宝石作品総目録』をひもとくと、「宝石」昭和35年12月号(15巻14号)に次の記載があります。
新刊展望台 小城魚太郎
「長い長い眠り」結城 ほか
まだこのあと、「新刊展望台」と中公文庫版『長い長い眠り』の解説とを突き合わせてみる作業を経なければ、両者が同じ文章かどうかを確定することはできないのですが、そこまでは手が回りません。それにそもそも、まことに失礼な話ながら、ご質問には当方にそこまでの作業を強いるだけの切実さないし重大さは感じられず、ただ思いついたからなんとなく訊いたみたといった程度のお尋ねであるとお見受けいたしますので、まあこの程度のお答えで充分ではないかと判断いたします。なんとも傲慢不遜で申しわけありません
それから中島河太郎先生の変名に関しては、先生から頂戴した書状に次のとおり記されておりました。
お尋ねの件、小城魚太郎も石羽文彦も私のもので、「幻影城」には玉井一二三というのがあります。
きのう思い出せなかったもうひとつの変名は、石羽文彦というものでした。こうした事実を知っている人間は、機会があればそれを公開してその知識を公のものとしなければならないという、大袈裟にいえば文学史的責任を担っていると思われます。むろんこの場合はじつに些細な問題で、石羽文彦が中島先生の変名であると判明したところで本邦探偵文学史には蚊が死んだほどの変化もないわけですが、それでもやはり公にされるべき事実ではあると愚考されますので、中島先生から教えていただいた個人的知識をこの「小林文庫の新ゲストブック」で公のものとさせていただく次第です。
●桜様
巽昌章さんの変名の件ですが、「ぎょたろう」と読むというのは巽さんにかなり近しい方からお聞きした話で、近しいと申しますか要するにまあ巽さんのご令室からお聞きした話なのですが、ご令室はたいへん気さくで面白い方でいらっしゃるのですが、何と申しますかちょっとちゃらんぽらんなところがないでもないような観がまったくないでもなく、それにだいたいこのお話をうかがったのはたしかどっかの酒席だったはずで、と申しますか私はご令室とは酒席以外の場所でお会いした記憶がなく、つまりこれは世間でよくいう酒のうえの話でありますので、「ぎょたろう」という読みに関して私は文学史的責任を担いうる立場にはないような気がいたします。ご本人の自己申告がなければ「ぎょたろう」かどうかは確定できない、と申しあげておきたいと思います。
中さん、巽昌章さんの作品リストには、小城魚太郎名義
がありまして、ながく、中島先生とおなじだ、と思い
読み方まで気付きませんでした。
芦辺さん、単行本のほうも読んでいます。また、アンソロジー
もこの春ということで、内容もさる事ながら、編集される
苦労がとてもあるような気もしてきます。
大塚さん、鷹見緋沙子、見当がつきませんが、私は勝手に、
「高みの見物」からきたのかな、と思っています。
●大塚俊一様
おはようございます。中島河太郎の懐刀と呼ばれたことなど一度もなかった私ですが、お尋ねの件、調べればわかると思います。お尋ね前段の分です。鷹見緋沙子に関しては皆目見当もつきません。
試みに新潮社『日本ミステリー事典』で中島河太郎先生の項を引きますと、小城魚太郎、玉井一二三というふたつの変名が記されています。前者は「宝石」、後者は「幻影城」で使用された名前です。同事典によれば『長い長い眠り』は1960年の刊行ですから、当該の新刊紹介はおそらく「宝石」に掲載されたものかと推測されます。「宝石」の目録で『長い長い眠り』の新刊評を調べれば、答えは一発で判明するはずです。「宝石」の目録(慶應大の推理小説同好会がつくったやつです)にそこまで詳しいことが載っていたかどうか、いささか疑問ではありますけれど。
ところが中島先生は、「宝石」誌上で小城魚太郎以外の変名も用いていらっしゃったと記憶します。それがなんという名前であったのか、にわかには思い出せないのですが、中島先生の変名に関しては先生からおたよりで教えていただいたことがありますので、その書状を探してくればたちどころにわかります。中島先生から頂戴したおたよりはすべて、へっへっへ、しばらく寝かしといて売りさばいたるねん、へっへっへ、と思って大事に保管してありますから、すぐに見つかるはずです。しばらくお時間をいただければと思います。
ちなみに、小城魚太郎という変名は巽昌章さんも学生時代に使用されており、中島先生の場合は「うおたろう」、巽さんの場合は「ぎょたろう」と読むと聞いたことがあります。
>桜さん
ご期待いただきましてありがとうございます。『少年探偵王』は4月発売確定です(のはずです)。季節に合わせ、往年の少年雑誌にならって「進学・進級大躍進号」と銘打ってお届けいたします。
このところの論争とは関係ないですが、いくつか。
まず、このところ個人的にはハマッテいる結城昌治。彼の文庫解説を、珍しく中島氏が担当している「長い長い眠り」(中公文庫)の解説の中で、(初版刊行当時)別名義で新刊紹介の欄を担当していたとして紹介文を引用しているのですが、このときの名義をご存知の方はいらっしゃいますか。
それから、鷹見緋沙子名義の徳間文庫を結局買ってしまい、創元推理文庫の「わが師はサタン」の新保氏の解説を傍らに置きながら、中島氏の解説文を読んでいますが、改めて仕掛け人、狂言回しとしての中島氏の存在を認識させられました。ところで、鷹見緋沙子の名前の由来をご存知の方はいらっしゃいますか。
先日、小西さんに教えていただいた、「サライ」掲載
の「今日泊亜蘭」のインタビュー。昨日発売。
九十一才で、とても元気そうです。
「桜田門」、「河太郎帰化」
読んだことがないような気がします。
芦辺さん、いよいよ、光文社文庫から発売でしょうか、
「少年探偵王」、こちらも楽しみな新刊です。
以前も告知させていただいた上方講談師・旭堂南湖さんの「名探偵ナンコ」第四弾のお知らせです。なんと、今度は乱歩の通俗長編『魔術師』が講談化されます!
《第四回 名探偵ナンコ〜よみがえれ!探偵講談〜》
3/24(日)開場/6:00 開演/6:30
会場/デジタルエイト=旧関西テレビ=地下一階、Team火の車稽古場
(JR大阪駅・地下鉄梅田駅下車徒歩十五分程/北区西天満6-5-17)
料金/1000円
会場への地図:http://www5b.biglobe.ne.jp/~jax/map/team.jpg
旭堂南湖「長講一席 探偵講談 魔術師・序」(原作・江戸川乱歩)、旭堂花鱗「幸助餅」
前回、前々回に引き続き、私は南湖さんとの対談「探偵講談と探偵小説あれこれ」でおしゃべりをします。ぜひみなさんおいでください!
おどるさん
著作権が保護する対象となる著作物については、著作権法第2条1項
1号に「思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学
術、美術又は音楽の範囲に属するもの」と定義されています。この定
義に従えば、雑誌の書誌を作るという作業は、廃刊になった雑誌であ
れ現行の雑誌であれ、著作権侵害にはあたりません。ただし、目次を
そのままコピーして掲載するだけだと、それは著作権侵害に該当しま
す。目次の内容は著作権が保護する対象ではありませんが、目次のレ
イアウトは著作物と言えます。
ですから、雑誌のバックナンバーをひっくり返して書誌を作るという
ことは、なんら著作権法の問題にはひっかからないはずです。
ところで、書誌というものは「思想または感情を創作的に表現したも
の」ではありません。通常、著作権が発生する著作物には、単に事実
を記しただけのものは含まれないのですが、じゃあ書誌には著作権が
発生しないかというと、そんなことはありません。著作権法第10条
1項に具体的な著作物の内容が列記してあり、いわゆる書誌のたぐい
はこの中に含まれていないのですが、10条1項に含まれていないも
のでも「二次的著作物」「編集著作物」「データベースの著作物」に
著作権が認められるというのが通説となっています。
ただし、オリジナリティ(創意、工夫)がないものには、著作権は発生
しません。先に書いた目次をコピーしただけのものなどがこれにあた
ります。著者別リストなどのオリジナリティがあって、初めて保護さ
れる対象となります。
さらに付け加えると、著作権が発生するためには公表されているとい
う事実が必要になります。
というわけで、遠慮なく書誌を作成して、その成果を公表してくださ
い。期待しています。
森下さん、こんにちは。
森下さんの書きこみをもう一度拝見すると、なるほど非難されているわけではないですね。こちらこそ失礼しました。掲示板のようなところに書きこみをはじめて、二ヶ月弱になるのですが、ネットにおける人との距離の取り方は、実生活と異なり、戸惑います。過剰反応する傾向があるようです。
中島書誌、完璧でないことがよくわかりました。この掲示板の過去ログも再度読み返してみましたが、そういった記述を発見しました。見落としていたようです。
ちなみに、このあいだ中間小説誌など、現役で続行中の書誌を整理していくことも必要ではないかと記述しましたが、実際にそういったことに着手されているサイトをみつけました。
「てつの本棚」 http://homepage2.nifty.com/te2/index.html
です。小林文庫オーナーが先月にサイト上の探偵小説書誌を整理なさいましたが、EQMM、ミステリマガジン、別冊クイーンズマガジンの書誌として紹介されていました。
中様、早速、ご教示ありがとうございます。
めずらしく、締切の仕事で、夕方まででかけています
ので、今日夕方、私への送り先などをおくりますので、
ご送付のほど、お願い致します。
お忙しいなか、もうしわけありません。
中島先生には、いくつかのことをおそわりました。
1 まず、資料の存在をしること
2 その次に、コピーで入手する機会があれば、それで
てもとにおくこと
3 さらに、次には、原本や掲載誌などを手に入れる
ということをいわれていました。
中様、本当にありがとうございます。感謝します。
●小林文庫オーナー様
昨19日、名張市の定例市議会が開会され、総額約二百十六億円の平成14年度一般会計予算案など四十四議案が原案どおり可決されました。名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』の予算も認められました。とりいそぎご報告申しあげます。
●桜様
お尋ねの件、三つ折りA5サイズのごく簡略なリーフレットで、外側の面には「故中島河太郎(中嶋馨)先生お別れの会」という表題らしきものと「自筆略歴」「中島河太郎(中嶋馨)先生 その生涯と業績」、内側には北方謙三、戸川安宣、山村正夫諸氏らの追悼文が掲載されています。お入り用でしたらコピーをお送りいたします。お申しつけください。
■中島河太郎先生の思い出その一
もう六年も前の話になります。上京して初めて中島先生にお目にかかったときのことです。正宗白鳥の研究者でもいらっしゃった先生は、こんなことをおっしゃってました。
「いまでも暇があると、国会図書館に通って、新聞や雑誌を調べて、白鳥の文章を探しているんです。そうすると、やっぱり出てくるんだよね、見落としていたものが。出版のあてはないんだけど、これはやっておかなくちゃいけない仕事だと思ってね」
■中島河太郎先生の思い出その二
『江戸川乱歩執筆年譜』が、調査に手間取ったため予定をかなり遅れて完成に近づいたとき、刊行の遅延をお詫びする手紙を添えて、最終校正をお送りした。
折り返しおたよりが届いて、なかにこんな一節があった。
「こういう種のものは、簡単に再刷もできませんから、やはりお気にさわらぬ程度で我慢する他はなさそうです」
書誌の編纂には、じつは終わりというものがない。
もう少し待てば、新しい発見があるかもしれない、不明だったものが判明するかもしれないと、例の「おいでおいでのデーモン」が手招きをするからだ。
ひとたび刊行されてしまえば、不備や遺漏は消しがたい烙印となって残ってしまうのだし、それを訂するための増刷の機会もあまり望めない。
しかし刊行されなければ、そもそも書誌は意味をなさない。
だからこそ、まさに「気にさわらぬ程度で我慢」して、不完全は百も承知で上梓するしかないのである。
書面を眼で追いながら、先生はこれまで、いったいどれほどこうした我慢を経験し、断念を重ねてこられたのかと思い返さずにはいられなかった。
中島さんには、手紙を出して、交通していたことを
おぼえています。
いくつか、贈呈された雑誌をいただいたこともあり
ました。
一度、ここにも書いたのですが、偲ぶ会で、中島
さんの、追悼集のような、業績記載のものが配布された
らしいことを聴いているのですが、その本(?)の名前は
何でしょうか、誰かおしえてください。
いや、そのようなものはない、ということでもいいの
ですが、探求していますので、ぜひ、知りたくなります。
中島さんの、膨大な、文庫などへの「解説」は今では
まとめて読みたいものの一つです。これはかなわぬ夢なの
でしょうか。
よしださん、手にいれているのは、本当に必要なもので
ないような気がしていまして、何とか、ランク1、のものを
購入したいものです。
このところ、ランク4、5のものが多くて、悩みの種です。
創元の新刊で出る鮎川さんの「憎悪の化石」で、トリック部分に一つ改変がある、ということですけど、これって、天城さんが昔から言っている、鮎川さんは、時刻表の読み方を知らなかったとしか思えない、という有名な(?)ネタに関する部分なのでしょうかねぇ。
そうだとすると、直していただくことは嬉しいんですけど、逆に言うと、今までそのままにしていたことの方が不思議なくらいな点ではあるんですけど。
まあ、「呪縛再現」の時刻表トリックも不自然だと思うし、これはこれで、鮎川さんの一つの世界、と思うべきなのかなぁ、と思ったりもするんですが。
……って、全然違う部分だったら、どうしよう?
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