>おどるさま
わたしの方こそ、おどるさんを非難したつもりはなかったです。
おどるさんの文中に、中島氏を軽んじるような意味をうけとった
わけではありません。
一部で、中島河太郎氏の業績が軽んじられているような気がして、
おどるさんの発言に便乗して、自分の不満を述べたにすぎません。
ここに載せるべき発言ではありませんでした。
こちらこそ、お詫びします。
>戸田さま
わたしが「取りこぼしが多いので信用できない」という文を見たのは具体的に
どこだったのか、はっきり覚えていません。
「デマ」にのって雷同する輩となってしまい、反省しております。
>>そのリストを見るにあたっては、大体は揃っているだけに、信用してかかる
>>と失敗することがある、くらいは認識しておかないといけないんじゃないか、
>>とは思っています。如何でしょうか。
全く同感です。島崎書誌についても同感です。
しょせん、どんなものにも完璧はないのですから、ミスを見つけて鬼の首を
とったような言動はせず、先人の業績をもとに、ひとつずつ完璧に近づける
作業がただしいと思います。
もちろん、戸田さんやおどるさんが「ミスを見つけて鬼の首をとったような言動」
をしたということではありません。戸田さんの文章にうかがえる冷静な態度こそ
見習いたいです。
お騒がせしました。
> 中島書誌を「取りこぼしが多いので信用できない」という文を目にしたことが
> ありますが、とんでもないことです。前人未到だということを考えてください。
> この基礎的な書誌がなければ、後に続く人の作業労力がどれほど大変か。
多分、ちょっと趣旨は違うと思いますが、私も“中島書誌をは取りこぼしが多い”くらいは書いたことがあるように思います。ただ、“信用できない”という表現はした記憶がなく、“注意が必要”くらいのつもりでしたが。
実際、私も、中島書誌をもとに作品収集を始めた者の一人ですが、一通り収集を終えた後で、ひょんなことからリストに漏れている作品を見つけたことがありました。だから、そのリストを見るにあたっては、大体は揃っているだけに、信用してかかると失敗することがある、くらいは認識しておかないといけないんじゃないか、とは思っています。如何でしょうか。
島崎リストについても同様で、やはり完全なものとは限らない(実際、宝石に載ったリストに漏れがある作家がいる)ことは認識しておく方がいいだろうとは思っています。
順序は逆になりましたが、そういったことで、中島書誌にはそれなりに漏れがあり、基礎的な資料としては十分に機能しますが、網羅的なものと考えることはやめた方がいいとは思います。勿論、その後の補完も、十分ではありません。(>おどる様)
> 中島書誌に抜けているのは、あとに続く人たちが補完して、より完璧なものに
> していけばいいのです。
こちらは、同感です。逆に言えば、漏れがある前提で見て、抜けていることに気付いたら、順次追加していくことを心がけるのが、後に続くものとして、行うべきだと思っています。
思っているだけで、なかなか出来ないのが、自分ながら情けないとも思っているのですが……。
以上、森下氏に反論したような表現になってしまいましたが、他意はないことをご理解ください。
すいません。No.965の発言の名前ですが、入力を間違えて登録してしまいました。
「おどる」の発言でございます。
お詫びの発言だったのに。ごめんなさい。
森下祐行様
いつも大変お世話になっております。
先の中島書誌に対する書き込みについて、誤解が生じているようです。
ぼくは中島河太郎の業績が抜けがあるから、信用できないというような意味で書き込みをしたのではなく、単に「どの程度完全なものなのだろうか」という疑問を書いただけに過ぎません。中島書誌を「取りこぼしが多いので信用できない」という文があったということも知りませんでした。中島河太郎の業績が前人未踏ということも十分認識しているつもりでおります。特定の作家や雑誌の書誌は、今後出てくる可能性はあっても、こうした網羅的な仕事は出てこないでしょうね。
文章のコミュニケーションというのは難しいものです。
ところで、森下さんがおっしゃっているように、インターネット上に点在している作家や雑誌の書誌をまとめるだけでもすごいものになりそうです。どこに空白があるかということがわかると、あとに続く人がどこを埋めるべきかわかりますので、加速度的に充実していくような気がします。誰も中島河太郎にはなれないかもしれませんが、インターネットが後を継ぐかもしれません。
著作権の切れた小説等を公開する「青空文庫」というサイトがあったかもしれませんが、推理小説関係の書誌をまとめて公開するサイトがあったらいいですね。古い推理小説に対する関心が盛り上がれば、最近の復刊ブーム(?)が定着するかもしれません(甘いですか?)。
ITの普及で、データベース機能を装備したソフトが当たり前のものになっていることも、インターネットの普及で発表が容易であることも好条件です。問題は、初出誌をあたる雑誌の入手が、益々困難になっていることが挙げられますが、図書館を利用すればある程度は困難が回避できるかもしれません。インターネットにより、どこになにがあるかがわかりますし。
しかし、「新青年」や「宝石」など、古のビックネームにチャレンジしなくとも、もっと簡単にできて、有益な書誌があるような気がします。例えば、現役で続刊中のハヤカワミステリマガジンや小説推理など、あるいはオール読物や小説現代のような中間小説の書誌を、せめて今後発行される分からコツコツとつくりはじめれば、将来的には大変な財産になっているような気がします。
現役の雑誌の書誌については著作権上問題はないのでしょうか。
桜さんの購入の基準を10分の1にしたら、見事に自分の基準となりました(笑)
桜さんがしばしば凄い本を入手し、一方で自分のコレクションは一向に充実していかないというのも納得できる数字でした。
>おどるさま
中島河太郎氏の偉業は、とにもかくにも「日本の推理小説の全体」をフォロー
しようとしたところにあると思っています。
個々の作家について細かく見れば、取りこぼしはけっこうありますが、それは「全体」をフォローしようとした作業の前には、しかたがないことだと思います。いわゆる基礎資料として、中島書誌は前人未到の偉業です。
中島書誌を「取りこぼしが多いので信用できない」という文を目にしたことが
ありますが、とんでもないことです。前人未到だということを考えてください。
この基礎的な書誌がなければ、後に続く人の作業労力がどれほど大変か。
中島書誌に抜けているのは、あとに続く人たちが補完して、より完璧なものに
していけばいいのです。
で、代表的な作家の書誌は、個別に作成されて、散見されます。単に利用したい
だけのわたしなどの希望をいえば、それをまとめてもらえると助かるけどね。
日本版の Crime Fiction III みたいなのが欲しい。
新刊で、光文社文庫の「黒いトランク」、3刷を確認。
増刷されています。
おどるさん、初出誌、やはり、丁寧に調べていくことに
なるのでしょうか、これが随筆、評論などになると、また
もれも出てくるのでしょうね。
「推理小説研究」、さらに継続して欲しいものです。
土田さん、ありがとうございます。まとめて出されて
おられるのでしょうか、「SFマガジン」をみて申し込んだ
ので、その分遅れているのでしょうね、以前は、葉書で
知らせていただいていたのでした。
ぼくも届くまで1ヶ月近くかかりましたので
かなり不安になりましたが
ちゃんと届きました。
入手したばかりの「推理小説研究」の「戦後推理小説総目録」を見ながら気が付いたのですが、中島河太郎氏のこの偉業はどの程度完全なものなのでしょうか。こまめに補遺されており、「総目録」とあるので、かなり網羅的なものであると認識していたのですが。
気がついたものを列挙すると、海野十三の「夜毎の恐怖」、横溝正史の「車井戸は何故軋る」「百日紅の下にて」、大下宇陀児の「剣と香水」、城昌幸の「絶壁」など、いくつかの作品の初出誌が欠落しているように思います。
未所持の第四集にまとめて補遺されてる、なんてことはないでしょうね。
単行本があるので、文庫は所有していませんでしたが、
『推理日記 V』佐野洋、構談社文庫
1995.8月。揃うまで、あと一冊。
この VI が新刊で出るようですが、実に、文庫では
七年ぶりです。
この V、単行本二冊分で、パートV(1988)、
パートVI(1992)からです。
「未来趣味」、送金してから、はや、3週間。来ません。
昨日、驚愕の一冊を入手。いずれ、どこかで公開
すると思いますが、この本が昭和17年に出ていたとは、
しかも、大阪圭吉とも関係のある出版社でした。
もう少し、資料をさがして、確実にしたいと思います。
驚愕しました。
最近は、なぜか、本にめぐまれているような気が
していますが、これは、一瞬の出会いにより決まりますので、
多くの機会をうしなっていることは確かでしょうか。
新刊で、『土屋隆夫推理小説集成 7』、創元推理文庫。
初出の雑誌が小説のあとにあるので、戸惑いますが、一点のみ、
「暗い部屋」の初出について。
「裏窓 臨時増刊 第7集」昭和33.5月、とされた方が
いいと思います。「裏窓」から独立して、印刷のものになった
のは、昭和33年9月。
おどるさん、古書価、気になりますが、喜びは、均一棚で入手
すると嬉しくなりますね。
末永さん、雑誌で、引越しを知ったので、大変だな、と思い
ました。
日本推理作家協会賞は再受賞ができないせいか、必ずしもその作家のベストの作品が受賞しているとは限らず、オールタイムベスト10級の作品で、協会賞を受賞しているのは、「不連続殺人事件」「大誘拐」など少ないのではないかと思います(私見ですが)。横溝正史の受賞作「本陣殺人事件」より、後に発表した「獄門島」のほうが評価が高いというのは再受賞ができない(当時はそういう規定はなかったようですが)ので仕方がないですが、高木彬光も鮎川哲也も対抗馬が強かったなどという事情はあったにせよ、「刺青殺人事件」「黒いトランク」は受賞していません。
協会賞は、受賞しても本の売上増には結びつかず、受賞したことを帯に印刷されないことがあるということを昔聞いたことがあります(その話を耳にしたのは、新本格隆盛以前のことでしたので、現在はそういったことはないのでしょうか)が、そうした理由もあるのでしょうか。
同じように再受賞ができない芥川賞、直木賞も受賞作より、その人の過去の候補作のほうが面白かったりする場合があるような気がします。こういった性格の賞は、作品が受賞するというよりも、過去の業績により人が受賞するという傾向になってしまうのは、やむを得ないと思います。大下宇陀児が受賞した際、関西探偵作家クラブから「タライ廻し」と揶揄されて怒ったという話があったかと思いますが、そう考えると怒ることもないのかと。
再受賞を許し、さらに、優秀な作品を順位をつけず複数選定すればある程度、同時代の作品について“正当な”評価を下すことも可能なのではないかと思い、それは即ち「年鑑」なのではないかと思ったのが、「年鑑」について考えをめぐらすようになったきっかけです。そのわりには、協会賞の受賞に比べて、「年鑑」への選定が注目されていないのはなぜだろうかと不思議に感じました。その後、「年鑑」も知るほどに“正当な”評価ができているかは怪しいと思うようになりましたが。
同時代の作品について“正当な”評価を下すというのは、難しいことなのだと思います。作品について“正当な”評価を下すことができるのは、時を経るしかないのかもしれませんね。
新刊書籍の価格は発行部数に関係しており、需要がある本ほど安いという傾向があるのではないかと思います。一方、古書は(珍しい本であれば)、需要がある本ほど高いという傾向があると思います。上記の理論を当てはめると、古書のほうが時間軸の評価をくぐり、より“正当な”評価がされているのでしょう(作品の評価が高ければ、再版され、いつまでも現役を保つのでしょうが、それでも初刊の古書価は高くなるのではないかと思います)。したがって、オーナーやよしださんのおっしゃるとおり、古書価の高いことは決して悪いことでないかと思います。
ぼくは某古書店の価格が高いとこぼしたのは、古書価が高いことをこぼしたのではなく、欲しい本が、買いたいと思う価格よりも高いことを嘆いたに過ぎません。いわば総論賛成各論反対という、極めて小人的な意見でした。申し訳御座いません。
ごぶさたしています。
今年になって、引っ越しはしなければならないわ、仕事は立て込んでくるわ、体調はよくないわで、書き込み自粛していました。
引っ越しがこんなに大変とは、想像以上でした。もう二度としたくない(笑)。
まだ全然未整理なので、いろいろ支障があるのですが、またボツボツ書き始めますので、これまで通りお仲間に入れてください。よろしくお願いします。
古書価の件、ある程度高いのはしかたないですね。
私は目録買い中心なので、目録に載る値段になってくれたほうがありがたいです。
よしださんが書かれた話題、私なりに最近の購入
の基準を。
ランクにわけています。私なりの価値基準にあわせて、
優先順位1(是非ほしい) 10万(単行本) 1万(雑誌)
2(できるだけ) 2万(単) 5千(雑)
3(あればなぁ) 5千(単) 3千(雑)
4(いずれほしい) 2千(単) 2千(雑)
5(とりあえず) 1千(単) 1千以下(雑)
として、ランクのものがその価格(まで)なら、葉書を
だしているように思います。
一度だけ、10万の古書がありました。
しかし、HPB、文庫は、基準をもうけていないような。
しばしば、そのような基準はみずからやぶります(笑)
先の、古書店、そのリストを見ているだけでも、楽しい
ものですね。
あの古書目録のまえには、しばらくは、私家版のものがあり、
そのリストは垂涎のものでした。
小林文庫オーナー様
はじめまして。お世話になります。「年鑑」についての詳しい調査、ありがとうございます。お手を煩わせ、大変恐縮しております。
年鑑については「推理小説研究15号 日本推理作家協会三十年史」の記述を読むと、経緯についていろいろ想像してしまいます。探偵クラブ賞と連動をとり、書誌も充実させようという「年鑑」派と、そういったことにはこだわらない「傑作選」派という図式がうかがえるようです。
かねてより初期の年鑑に採られている顔ぶれを眺めていると、どの号も同じような名前が並んでいるのに気づき、「作家が少ない状況もあったかもしれないが、仲間内の馴れ合いという要素もあったのだろうか」と想像していたのですが、「日本推理作家協会三十年史」には中島河太郎がそうした部分にも言及しており、疑問も氷解しました。
中島河太郎は「年鑑」派のようですが、乱歩はどちらだったのでしょうか。乱歩にしてみれば、心情的には「年鑑」の立場を取りたかったのかもしれませんが、立ち上がったばかりの探偵作家クラブの内情を考えると、「傑作選」派の意見をないがしろにできなかったのではないかと思います。乱歩の死後に創刊された「推理小説研究」は、「年鑑」の書誌部分が分離したという見方もできるような気もします。
年鑑と推理作家協会賞との関係は、現在では連動が図れているようですが、文庫化され、広く普及されるようになると、タイトルが変更され、前年回顧が省略されるなど、営業政策的な意味もあるとは思いますが、「傑作選」派の流れが強くなっているようにも見えます。
もう一方の作家団体の「年鑑」である日本文芸家協会の「年刊創作傑作集」は、その後、純文学、時代小説、エンタテインメント、戯曲、エッセイと拡散・分化していきましたが、「推理小説年鑑」は今後どのような形で続いていくのか気になります。
図書館については、できるだけ利用を図りたいと考えているのですが、家庭の事情で休日は自分の時間が満足にとれず、都立中央図書館など資料が充実している図書館に足を運ぶことができません。
ぼくは埼玉に住んでいるのですが、埼玉県は市立図書館から県立図書館への蔵書請求が可能になっており、県立図書館に蔵書がある古い本などは取り寄せております。会社の近くには渋谷区図書館があるのですが、東京都は区立図書館から都立図書館の蔵書請求はできないようで残念に思います。
いずれもっと歳を取り、休日に自分の時間がとれるようになったら、さまざまなところに足を運んで、調べものにいそしみたいと、年輪を重ねるのを心待ちにしています。
某古書店への記述については、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。実は、ごく最近にも他の掲示板でも同様の過ちを犯し、お叱りを受けております。十分反省をしたつもりなのですが、立て続けに似たような過ちをおかし、恐縮しております。大変申し訳ございませんでした。お手数をおかけすると思いますが、必要に応じ、発言を削除していただければと思います。
ご承知の方も多いと思いますが、
以前、光文社文庫の《山田風太郎ミステリー傑作選》の第2巻『十三角関係』での、
「帰去来殺人事件」削除のことが話題になっていたようですが、
最新刊『達磨峠の事件』の解説・解題で日下さんが事情を詳細にお書きになっていました。
第4刷以降は元通りになっているようです。
日下さんは、8、9、10巻の出版中止も視野に入れて編集部と協議されたとのことです。(おそらく悲壮な決意を胸に秘めておられたことと思います)。
日下さん、どうもお疲れ様でした。
ところで、SFの分野には柴野拓美さんの『塵も積もれば』や
福島正実さんの『未踏の時代』のような編集者・出版関係者による貴重な証言記録があるのですが、
ミステリーの分野でもその種の本をもっともっと出していただけないかと考えています。
例えば出版芸術社の原田裕さんの回想録など、貴重で、一定部数は絶対売れると思うのですが。私は買います。
だって、山田風太郎さん追悼のときは原田さんがフル登場だったわけです。
柴野さんの本のようなインタビュー集成でもよいし、
古い同僚編集者による座談会というのも面白いと思います。
原田さんの薫陶を受けた日下三蔵さんは5月に徳島に来るので、
ちょっとけしかけてみようかな、と考えています。
> なお、「推理小説研究」は国会図書館や都立中央図書館には揃っていたと思います。
> 上に上げた資料は、都立中央図書館には総て所蔵していた「筈」と思います。
私も記憶で書きますが、「推理小説研究」は、国会図書館には、最新はない(途中で終わっている)と思いました。一方、都立中央は、最新号まで入っていたように思いました。この資料に関しては、都立中央の方が、確実性は高いと思います。
> (当然「ミステリー文学資料館」には揃っているのでしょうが、私は訪館したことが
> 無いので未確認です)
基本的には揃っていたと思いましたが、全巻揃っているかどうか、は確認していないなぁ……。資料館で「推理小説研究」を見るときは、河太郎編の書誌の号しか見ないもので(汗)。
オーナー様
>>ちなみに、私は古書の価格が高額である事は、けして悪い事では
>>ない、と思っています。
この意見に全面的に賛成です。僕が賛成しても説得力がないんだけどさ(笑)
古書価が高いということは、その本があとまで残る可能性を高くしてくれるわけです。最近、サブカルチャーブームで、まさか古書価がつくまいと思っていたような本にまで値段がついていますが(SM雑誌とか)、そうなることでその本が後世に残る可能性が高まっているわけですよね。しかも、コレクターにとって「お金を出せば買える」存在となるわけです。
いわゆるジュニア文庫のたぐいは、どんなにレアな本であってもほとんど値段がつかず、どんどん市場から消えていっています。また、「かなりの額まで出してもいいんだ」と思う本であっても、そもそも古書価がつかないので見つけることができません。専門古書店があって、それなりの値段を出せば手に入るという状況であれば、嬉しいという人も多いはずなのですけど。
ただ、中途半端な知識でむちゃくちゃな値段をつけている古本屋をみると、むらむらと怒りがこみあげてきますね(笑)。「それなりの値段をつけるんだったら、きちんと勉強せんかい!」って。
あっ、古書価が高いと安く見つけた時の喜びが倍増するってことも、オーナーの意見に賛成するひとつの理由だったりもするんですけど(石を投げないでね)
久しぶりに、六件も、目録からだしました。どれも、
一軒ごとに一点です。そのなかでも、一点のみが
入手したいものです。
あとは、カストリ探偵実話関係です。戦前の一冊は
勉強のためでした。
詳しくは、当たれば。しかし、競争が激しそうです。
書影のあるものはすでに入手済みの為に、他のもの
をだしました。
小林さんも恐らく見られましたでしょうか。
もし、見られていないのならば、その目録を連絡します。
休刊する、「三省堂ぶっくれっと」No153、たのしみな
「本棚探検隊」も最終回。「休刊のごあいさつ」は小さな
紙片で。
おどる さん
色々なミステリーサイトへの積極的な投稿、拝見しています。
小林文庫にも訪問していただき、ありがとうござます。
これからも、書き込みをお願いします。
「探偵小説年鑑」発刊の経緯について、私も手もとの資料を読みなおしてみました。
確認したのは、おどるさんとほぼ同じですが、乱歩の『探偵小説四十年』、「推理小説研究15号 日本推理作家協会三十年史」、「探偵作家クラブ会報」、『探偵小説年鑑1948年版』です。
『探偵小説年鑑』には、乱歩の「序」が書かれていますが、発刊の経緯には、それほど踏みこんだ記述はありませんでした。
一番詳しいのは、中島河太郎の「三十年史」かと思います。
したがって、おどるさんの記述とそんなに変わらないのですが、各資料をまとめるとこんな感じでしょうか。
昭和21年6月15日 第1回探偵小説土曜会 開催
昭和22年2月22日 「土曜会通信」第1号 発行
昭和22年6月21日 探偵作家クラブ 設立
昭和22年6月 「探偵作家クラブ会報」第1号発行
昭和23年1月 「探偵作家クラブ会報」第8号発行 「報告四件」掲載
昭和23年1月31日 昭和22年度探偵作家クラブ賞 決定
昭和24年1月25日 『探偵小説年鑑1948年版』発行
「クラブ会報」第1号の乱歩「クラブ設立の経過と今後の事業について」と「三十年史」によると、クラブ設立の時点で「年鑑」の発行は計画されていて、クラブ規約にも明記されていたようです。(おどるさん記述の通り)
「クラブ会報」第8号の「報告四件」は、文字通り会員への報告で、その内1件として「年鑑」の編集方針について報告しています。
これも、おどるさんの想像の通りなので、日付が逆転している事は無いかと思います。
なお、「推理小説研究」は国会図書館や都立中央図書館には揃っていたと思います。
上に上げた資料は、都立中央図書館には総て所蔵していた「筈」と思います。
都立中央図書館には、ミステリー関係のレファレンス書はかなり揃っていて、出庫にも時間は掛からないので、図書館利用も考えてみてはいかがでしょうか?
(当然「ミステリー文学資料館」には揃っているのでしょうが、私は訪館したことが無いので未確認です)
最後に一言。
おどるさんは、3月13日の投稿で、特定の古書店の固有名詞をあげて、批判的とも取れる意見を書いていらっしゃいますが、この掲示板では固有名詞をあげるのは止めていただきたいと思います。
せめて、仮名にしてして欲しいですね。まぁ、あそこで仮名にしても、一目瞭然ですが…(笑)
こんなHPは影響力があるわけでは無いのですが、ネチケットとして固有名詞の使用は禁止、本HPの方針として特定の個人・組織に対する批評は禁止(掲示板上部を参照)、でお願いします。
どんな方が見ているか解りませんよぉ。
ちなみに、私は古書の価格が高額である事は、けして悪い事ではない、と思っています。
たまたま最近、古書価や古書店との関係について考えていたのですが、まだ纏まっていません。
近いうちに、一度私の考えを投稿したいと思っています。
それから(いつまでたっても終わりにならない:笑)…。
「探偵作家クラブ会報」の復刻版を読んでいて思ったのですが、初期の号は文字を読み取るのが、非常に困難です。
昭和20年代のガリ版刷り同人誌や、仙花紙本は、劣化が激しくて、消滅してしまう寸前ではないでしょうか。
なんとかして、復刻や保存できないでしょかねぇ。
(月曜日にも、某所でそんな話をしていました)
藤本様、桜様、コメント、情報ありがとうございます。
小西様、ぼくも無事「推理小説研究」を手にすることができました。情報をありがとうございました。
早速、「日本推理作家協会三十年史」を繰り、「年鑑」について調べてみました。それによると、探偵小説年鑑の刊行は、昭和二十三年一月に、乱歩の「報告四件」によってはじめて公開されたとありました。
中島河太郎の記述を読むと、中島河太郎(と江戸川乱歩)が「年鑑」に相応しいこだわりをもって運営しようとしていたことが窺えます。
ところで、探偵作家クラブは昭和二十二年六月二十一日の例会にて設立され、同日、会員総会にてクラブ規約が承認されたとあります。その規約の第三条七項に「探偵小説年鑑の編輯並に出版」と記されていますが、日付が逆転しているのが不思議です。この項はあとから追加になったのでしょうか。それとも、「報告四件」によって公開された内容は探偵小説年鑑の編集方針等についてでしょうか。よくわかりません。
>中樣
重ね重ねありがとうございます。
『国光』も現物の確認というより、どのような雑誌なのかまったく情報が無いので、
突っ込みようがありませんね。しばらく別の方を突こうと思っています。
>小西様
はじめまして。
小西様の情報を拝見しすぐに推理作家協会のほうに注文しました。
現金書留で入金後、翌々日には到着しました。
いや、すごい情報ありがとうございました。
>おどる樣
はじめまして。
1948年の『探偵小説年鑑』にはその類の記載はなかったと思います(やや虚覚え)。確かに「前年回顧」は見ているだけで面白いですね。あれは残すべき。
と、書いて、話は喜国さんの本にはじまります。
なぜ、「底無沼」角田喜久雄、は「妖奇」オール・
ロマンス明記の原稿用紙にかかれていたのか、以下の
ことからではないでしょうか。
1)これは「妖奇」に掲載されていない
(予定だったかもしれない)。なぜか
2)「スバル」昭和23年十月、に再録されたから。なぜ
3)「スバル」編集人、後藤竹志は、「妖奇」編集人、
本多喜久夫に頼んだ。なぜか
4)二人の編集人と、都筑道夫は知合い、また角田喜久雄も
5)十月には、「秋の亡霊」角田、が「妖奇」に再録され、
後藤さんの「スバル」にわたされて、こちらに再録
(後にも角田さんの作品は「スバル」に再録、あり)
6)「妖奇」原稿用紙があとにのこる
雑誌「スバル」には気付きませんでした。
おどるさん、下の古書店では、1点ねらいで出すようにして
いますが、なかなか当たりません。
1948年版、入手は余り困難ではないように思います。
先頃も、他の目録にでていました。仮説、どれも真実の
ようにも思われますね。
桜様
アドバイスありがとうございます。H文庫という手がありましたね。H文庫は総じて高いので、乱歩文庫収集の最後の一冊を注文したとき以外、購入したことはなかったのですが、探求書を一冊決め打ちで購入するときには便利だと思います。
ところで、日本推理作家協会から刊行されている推理小説年鑑は、前年に発表された秀作短編を編集委員会によって選定し、さらに「年鑑」の名に相応しく書誌などを添えて、刊行、その印税(の一部)を作家団体の運営資金に当てるというアイデアが秀逸だと思います。なにより「年鑑」という名が魅力的に映ります。協会の経済基盤を支える大きな力になっているのもこのアイデア故なのではないかと推測します。
このアイデアにはなにか元があるのでしょうか。書誌を添えるというのは中島河太郎の提案だったというには聞いたことがあるのですが。自分なりに幾つか仮説を考えてみました。
仮説1.探偵作家クラブはアメリカ探偵作家クラブを参考に設立されたので、アメリカ探偵作家クラブが刊行している「年鑑」を参考にした。MWAは「年鑑」を刊行している(いた?)という話を聞いたことがあるのですが、不勉強ながら詳細はわかりません。日本の年鑑のような形態でしょうか。
仮説2.探偵小説年鑑より一年早く、日本文芸家協会から1947年より刊行された「年刊創作傑作集」を参考にした。書誌を添えるというアイデアは、やはり日本文芸家協会が刊行している「文芸年鑑」から採った。
仮説3.戦前に探偵小説趣味の会が刊行していた「創作探偵小説集」を参考にした。
仮説4.当時、「EQMM」や「幻影城」のようなアンコール雑誌を発行し、印税を作家団体に寄付するというのが流行っていた(江戸川乱歩の「探偵小説四十年」にそのような記述あり)ため、上記のアイデアは当たり前のものだった。設立まもない探偵作家クラブは資金難だったため、誰ともなくそういうアイデアが沸いた。
1948年の探偵小説年鑑は実際に拝見したことはないのですが、そのあたりの記述はないのでしょうか。
刊行元が講談社に移ってからは、単行本のあと、文庫化されますが、古い作品が並んでいるというイメージを払拭するためか、巻末の前年回顧の頁が省略されているのは残念に思います。
なぜか、このところ、終刊のものが気になりますが、
偶然以下をみていますと、ありました。
古書店で、ひとくくりの「週刊朝日別冊」、昭和
34年4月から、昭和37年3.1(これが終刊で、
4月14日から「文芸朝日」となる)まで。
「発光妖精とモスラ」中村真一郎、福永武彦、堀田善衛
が、昭和36年1月1日発行にありました。珍しいような
気がします。
昭和34年の号では、
目次には著者の名前は無いのですが、「アンケート」
という項目。
ここには、江戸川乱歩が答えています。
一(お宅ではテレビを)茶の間に置いています
一(ダイヤルをどなたが)私の孫の小学二年の男の子が
一(番組への注文)スポーツの放送は結構です
という三問に答えています。
おどるさん、H文庫にはときどき出てきますので、
注目されたらいいですね。
Powered by T-Note Ver.3.20 |