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小林文庫の新ゲストブック

過去ログ 2001年07月01日〜2001年12月31日



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No.441 (2001/09/26 11:51) title:神津ジュヴナイル続き
Name:文雅@神月堂 ()
URL:http://urawa.cool.ne.jp/kamidukido/bekkan/kamidu/shokokamidu1.html

>桜 様
芦辺様より御指名いただいたので、横レス失礼します。
「白蝋の鬼」の件。
 私はこの話は雑誌には直接あたっていません。私がテキストにしたのはソノラマ文庫版とポプラ社28年版の単行本ですので。雑誌はおげまる様が現物を確認しているので某所にはあるはずです。ただ、初出「探偵王」昭和26年7月〜昭和27年6月で結構長く連載されているのと、他の方から特に改稿のお話を聞かないので、挿絵以外の内容の大幅変更はないと思うのですが。お役に立てず申し訳ありませんがもし改稿が発見されましたらお教え下さいませ。
 それから、これに関しては前年連載の「脱げない仮面」を改稿して「白蝋」にして連載し直したのではないかとの説もあります。確かに「はずせない仮面」というアイテムは同じですが、こちらは掲載していた雑誌自体が途中から不明なので全編がなく(中絶ではないかといわれている)、私も雑誌掲載部分は1.3回のみしか読んでいないので比較は出来ない状態です。ただ、その部分を読んだ限りではアイテムが同じだけではないかと思っています。

>芦辺拓 様
内容のまとまりというか読みやすさからいったら死神博士シリーズは一押しなんですが、でもせっかく復刻するなら、私としては手に入れにくいものの方がいいです。だって、復刻されたものを読んで神津の少年ものに興味を持って、その人が次の本を探した場合、ソノラマ文庫は見つかるかもしれませんが、その他の単行本は段違いに見つけにくいですから。
それから復刻に際しては作家ごとに簡単な「少年もの単行本リスト」をつけて下さると嬉しいです。宜しくお願いいたします。


No.440 (2001/09/26 10:04) title:その件は
Name:芦辺 拓 ()
URL:http://ashibe.hoops.ne.jp/

>桜さん

 唐沢俊一氏の『少年探偵の逆襲』ですね。僕もたまたまあちらの日記で見つけたのがだいぶ前で、以来非常に気にして光文社側に訊いているのですが、何だかはっきりしません。ただ向こうさんは、あくまでサブカル学の立場から、ツッコミとおちょくりの対象としてとりあげるのでしょうから、当方の作品アンソロジーとは違う内容になると思います。


No.439 (2001/09/26 09:09) title:探偵嫌い(3)
Name:中 相作 ()
Email:stako@e-net.or.jp
URL:http://www.e-net.or.jp/user/stako/frameset.html

 ■芦辺拓様
 私とて漱石など昔に読んだきりで、ときに思い出したように読み返してみたりする程度のものですが、新潮文庫の『彼岸過迄』はたしか二、三年前、いつのまにかカバー画が新しくなっていたので何の気なしに手に取ってみたところ、平成2年の改版で新たに収録された柄谷行人さんの「解説」に乱歩のことが書かれてありましたので、
 「あ。乱歩文献」
 と思って購入した次第です。どこにどんな乱歩文献が転がっているか、まったく見当もつきません。

 ■平山雄一様
 『シャーロック・ホームズを訪ねたカール・マルクス』の件、ありがとうございました。私の記憶力もいまだ全面的な機能不全には至っていなかったようで、一安心いたしました。しかしストーリーはまったく思い出せず、どんな感想を抱いたかも記憶にありません。これは記憶力の問題ではなく、よほどくそくだらない小説だったからだと思い込むことにいたします。どうしてこんな小説を読む気になったのでしょう。あるいは「大英図書館の閲覧室でホームズとマルクスが会ったのではないか」みたいな、つまり山田風太郎の明治ものめいた興趣を期待したのかもしれません。それにしてもフランスあたりの作家だと、掲示板で心おきなく罵倒できるからありがたい感じがいたします。

 ■古本まゆ様
 『山羊鬚編集長』の件、よくわかりました。たしかに「夢野久作氏とその作品」なら、「探偵春秋」の昭和12年5月号(2巻5号)に掲載されております。私はまた乱歩が「氏と作品」という別稿を書いていて、自分はそれを見逃していたのかと小さな胸を痛めておりました。しかしうしろに「〇」が五つも並ぶ価格となると、廻るまわる眼が回る、とでも叫びながらぶっ倒れるしかありません。

 ■桜様
 『山羊鬚編集長』、やはりそんなような金額ですか。廻るまわる眼が回る。

 ●探偵嫌い
 しつこいようですが、もう少しつづけます。
 近代小説なんて多かれ少なかれ人間の心理を、あるいは人間という存在を「探偵」することなしには成立しないものですから、小説家の探偵嫌いは自己撞着の傾きを帯びざるを得ないはずなのですが、にしても漱石の探偵嫌いは考察に値する何かであると思われます。
 たとえば昨日ご紹介しました『探偵小説の社会学』において、内田隆三さんは漱石の探偵嫌いの背景にロンドン留学時の「穏やかならぬ影」を見ています。つまり、俺が昔、ロンドンで黄色い下宿生だったころ、妹はスリー・キャッツで黄色いサクランボだった、ってやつですね(何のことやらさっぱりおわかりになりませぬかお若い衆。個人的には年にひとつ出るか出ないかの会心のギャグなのですが。じつはスリー・キャッツではなくてゴールデン・ハーフにしたほうがいいのかなとも考えたのですが、若いやつに媚びることはあるまいと思い直してスリー・キャッツにいたしました。は? お若い衆はゴールデン・ハーフのことさえご存じない? なーるほど。おおきに失礼いたしました)。引用しましょう。

 《おそらく漱石は、誰かが知らぬ間に自分のことを盗み見し、発狂の噂を立て、それを日本にまで伝え送ったことに対して、卑劣な「探偵」行為の原型を見たのだろう。とはいえ、それは事態の一面にすぎない。たしかに漱石は「探偵」にたいして口をきわめた批判を行っている。だが、もう少し読んでみると、その批判は「探偵」という存在の仕方そのものに通底する近代文明の批評につながっていることがわかるだろう。》

 たいへん興味深い指摘ですが、漱石の「探偵」については『探偵小説の社会学』に譲ることにして、ここで司馬遼太郎の探偵嫌いを思い返してみますと(もしかしたら司馬遼太郎は、漱石の探偵嫌いを知っていたのかもしれません)、二人の探偵批判にはひとつの共通項があることに気がつきます。司馬遼太郎が「あばきたてる」といい、夏目漱石が「暴露」と呼んだ探偵の行為です。
 あばきたてる。
 暴露する。
 三島由紀夫ならこれを、
 「奥底にあるものをつかみ出す」
 と表現することでしょう。
 本日はここまでといたします。もうすぐ終わる予定です。


No.438 (2001/09/26 06:46) title:あとひとつは
Name: ()

 芦辺さん、今年五月頃、唐沢さんが光文社文庫から、少年探偵もの(こちらは、漫画でしょうか)、を編集されるようなことをHPでかかれていたのですが、ダブりませんか。
 のこりのあと1つは、海野さんのあとを書きつがれたのを収録されてはいかがでしょうか。

 雑誌「スムース」7号、最新号がでました。特集 古書にコミあり 書きコミ・挟みコミ。この雑誌にも、「附録」と「古本デッサン帳」縁起 林哲夫(4つ折り)の挟みコミ。扉野さんによる「指紋」のエッセイもあります(1頁)。

  中さん、古本まゆさんが書かれているように、たしかに、「山羊鬚編集長」が30万で出ていますね。


No.437 (2001/09/26 03:04) title:探偵講談『ルパン対ホームズ』!
Name:芦辺 拓 ()
URL:http://ashibe.hoops.ne.jp/

 9月24日(月)に探偵講談の会「名探偵ナンコ」を開かれた旭堂南湖さんのHPを見ましたら、なな何と、先に平山雄一さんからご教示のありました『評判講談全集』収録の白雲斎楽山「怪盗ルパン」(『ルパン対ホームズ』)を口演されるそうです。
 11月25日(日)、大阪・西天満「Team火の車稽古場」にて6:30開演とのみの情報ですが、まさにこちらの掲示板から生まれたプランともいえ、実に愉快です。ぜひ見に行きたいものです。


No.436 (2001/09/26 00:30) title:つらいつらい二者択一
Name:芦辺 拓 ()
URL:http://ashibe.hoops.ne.jp/

>森さん

 ここが実に悩ましいところなのですが、僕の選ぶ〈幻の名作〉は「面白さ」と「珍しさ」を最重要視しつつ、さてそのどちらかを選ぶかといわれれば「面白さ」を採りたいのですね。

 今回少年ものをとりあげるのは、かつては才能ある作家たちの情熱の発露しどころであったこのジャンルから、今は失われたかもしれない奇想や元気さを提供しようという考えからでして、そこには前回の『絢爛たる殺人』同様、最近とみに読者ではなく評論家の方を向いて書かれるようになったミステリに対する警鐘を込めているつもりです(まあ、そんな鐘など誰も耳を貸さないとは思いますが)。

 そのあたりを腹に据えて編集に当たるつもりですが、『吸血魔』は中途、ギャングの残党が出てきてアチャコチャし、そのせいで筋がもたつくのがつらいところですね。全く予備知識のない友人に、いきなりこの2作の一部を読ませて反応を見たりして、これでも苦労しておるのですよ。うーむ、このあと漫画のセレクトもあるし……。


No.435 (2001/09/25 18:24) title:神津ジュヴナイル
Name:森 英俊 ()

芦辺さん

 ぼくが『吸血魔』を推すのは、現状ではなかなか簡単に読めない作品を
復刻するのは、それが水準以上の出来であれば、かなり意味のあることで
はないかというのがひとつと、表題のインパクトの強さに加え、SFファン
やホラー・ファンの興味も惹くであろう内容が、営業的にもうまい方向に
結びつくのではないかと考えたからでした。
 ただ、『覆面紳士』というのも、たしかにありですね。こちらは特撮
映画の原作にもなっているので、そのあたりも売りになるでしょうし。


No.434 (2001/09/25 13:18) title:勘違いかもしれません
Name:古本まゆ ()
Email:mayu2@sb.starcat.ne.jp

中相作さま

「山羊鬚編集長」の「氏と作品」については、当方の勘違いの可能性もあります。入力の元になった本屋の目録は割と簡単に見つかったのですが、先日報告した以上の詳しいことは書いてありませんでした。
 通常は本と直接関係ない物を、こうした形で目録で出すことは少ないと思うのですが、「江戸川乱歩推理文庫65」の「乱歩年譜目録集成」によれば、「夢野久作氏とその作品」は「探偵春秋5月」に書いたことになってますので、古本屋が、「附録」というよりも「おまけ」として付けた可能性も否定できません。勿論その文章を出版社が附録として付けた可能性もあります。
 かえって混乱をまねいてしまったようで申し訳ないのですが、やはり現物にあたってみないと何とも言えません。参考までにこの本屋の値段は、「貼雑年譜」よりもちょっと高い、後に「0」が五つ付く値段でした。その程度には珍しい本です。


No.433 (2001/09/25 13:11) title:マルクスとホームズ
Name:平山雄一 ()

中様、

>『シャーロック・ホームズを訪ねたカール・マルクス』といったようなタ
>イトルの翻訳小説を読んだような記憶があり、これはまさしく「ホームズ
>と同時代有名人をからませるパスティッシュ」の一冊だと思うのですが、
>そんなのはほんとにあったのでしょうか。

これはおっしゃる通り実在します。タイトルもそのとおりで、「シャーロック・ホームズを訪ねたカール・マルクス」アレクシス・ルカーユ、西永良成訳、中央公論社(C-NOVELS)、1982年。
袖の粗筋を一部引用すると、舞台は一八七一年「ビスマルクとティエールの操るロシア人暗殺者から、マルクスの生命を守るべく、ホームズは英仏海峡を渡りパリへと向う。折しもコミューヌに沸き立つパリでホームズを待ち受けていたのは、そのごもの彼の性格にある翳りを与えた、ひとりの女性との運命的なめぐり逢いであった。」
原作はフランス語で、1981年にでたものです。正直申し上げてつまりません。マルクスは生前そんなに狙われるほど重要人物だったんでしょうかね。
他には今河出文庫から出ているベアリング・グールドの「シャーロック・ホームズ ガス灯に浮かぶその生涯」でも一エピソードとして、大英図書館の閲覧室でホームズとマルクスが会ったのではないか、と触れられています。


No.432 (2001/09/25 11:50) title:神津ジュヴナイルでうわわわわわァ!(魂の叫び)
Name:芦辺 拓 ()
URL:http://ashibe.hoops.ne.jp/

>文雅@神月堂さん

 やや、実はこちらからお尋ねのメールを差し上げねばと思っていたところでした。実は、そちらのページの少年ものコーナーをそっくりプリントアウトして、光文社さんの方での検討材料にさせていただいたりしております。勝手してすみません。

 うーむ、いよいよ決めかねてきました。とても全てのテキストはそろえられないので『覆面紳士』と『悪魔の口笛』はSF的設定らしい(個人的には好きなのですが)ので脇に置いたのですが、うーむうーむ……。そちらのページなど見ると『がいこつ島』にも心が動いたりして。

>桜さん

 そのあたりは上記の文雅@神月堂さん、一つ。

>中さん

 不勉強な話で、漱石の主人公が、そんな乱歩の河津三郎(『幽鬼の塔』)や「世界を見てきます」と言ってさまざまな職業に身をおきながら大都会を観察した『赤い館の秘密』(A・A・ミルン)のアントニー・ギリンガムみたいなことを考えていたとは知りませんでした。

 ああ、それにしても神津ジュヴナイル……『吸血魔』か『白蝋の鬼』か、さあどっち? それとも第三の作品が?


No.431 (2001/09/25 10:05) title:神津ジュヴナイル
Name:文雅@神月堂 ()
URL:http://urawa.cool.ne.jp/kamidukido/bekkan/kamidu/shokokamidu1.html

初めまして。ここに書き込むのはとても勇気がいるのですが、神津の話なので乱入させていただきます。

>芦辺 様
現在、古本者でない普通の人レベルでは「白蝋の鬼」や「死神博士」のソノラマ文庫も探すのは困難だと思います。ただ、時間をかけて丁寧に古本屋さんを当たればないこともないので、個人的には、本当に手に入れにくい文庫以外の単行本の方を復刻して欲しいです。こちらは本当に入手困難で、今から探そうと思ったらかなり運もお金もいるからです(こんなことを書くとまたネットで入手困難を煽ると某さんに叱られそうですが)。
下記5編の中で選ぶのであれば私は内容的には「白蝋の鬼」、入手困難度からは「黒衣の魔女」か「吸血魔」です。
ただ、入手困難なものを優先して下さるというのであれば、リストにはありませんし、SF色が強いのですが「覆面紳士」を復刻していただきたいです。神津少年もの第1作の書下ろしですし、これに関しては残っている図書館も少ないので。資料はお貸しできます。


No.430 (2001/09/25 08:59) title:探偵嫌い(2)下
Name:中 相作 ()
Email:stako@e-net.or.jp
URL:http://www.e-net.or.jp/user/stako/frameset.html

 ■桜様
 先日発見された乱歩の手紙の写しは、新聞報道によれば1946年5月から翌年9月までの日付のあるものが三百六十一通とのことです。要するに戦後すぐのものです。「それらしいもの」の存在はあまり期待できぬように思われます。

 ■岩堀様
 芦辺さんのご卓説はご卓説として、探偵嫌い一般についてもう少しつづけます。
 本邦近代文学史を概観して一といって二とは下らない探偵嫌いとなると、衆目は夏目漱石に一致するでしょう。手許にある新潮文庫『彼岸過迄』の巻末には紅野敏郎さんの「注解」が附されているのですが、作中の「探偵」という言葉はこんなふうに解説されています。

 《「好奇心」という観点からいえば、この「探偵」という職業はきわめて興味深いものだが、「道義」の上から、漱石は大いにこの職業を嫌った。とくに前期の作品では漱石の探偵嫌いは徹底していたが、この『彼岸過迄』あたりより自己及び他人の心を鋭く洞察する必要上、さほど嫌わなくなってきている。》

 漱石の探偵嫌いはデビュー作の『吾輩は猫である』から一貫していて、主人公の猫は「──なに探偵?──もってのほかの事である。およそ世の中に何が賤しいと言って探偵と高利貸しほど下等な職はないと思っている」などと呟きながらよその家へ忍び込みます。つまりこの猫は探偵を嫌いながら探偵的行為に及んでしまう存在であり、だからこそ同じ猫を主人公とした奥泉光さんの『『吾輩は猫である』殺人事件』なんてのが書かれもした道理です。
 なんだか長くなりそうですから、漱石における「探偵」なるものの意味は今年1月に出た内田隆三さんの『探偵小説の社会学』(岩波書店)にくわしく記されていることをお知らせしておいて、話を一気に『彼岸過迄』へ進めます。
 この作品には、大学を卒業しても定職に就かずにぶらぶらしている、乱歩の初期作品に出てきてもおかしくないような敬太郎という青年が登場します。彼は「警視庁の探偵みたような事がして見たい」と思っています。

 《元来探偵なるものは世間の表面から底へ潜る社会の潜水夫のようなものだから、これ程人間の不思議を攫(つか)んだ職業はたんとあるまい。それに彼等の立場は、ただ他(ひと)の暗黒面を観察するだけで、自分と堕落して懸る危険性を帯びる必要がないから、猶(なお)のこと事都合が可(い)いには相違ないが、如何(いかん)せんその目的が既(すで)に罪悪の暴露にあるのだから、予(あらか)じめ人を陥れようとする成心の上に打ち立てられた職業である。そんな人の悪いことは自分には出来ない。自分はただ人間の研究者否(いな)人間の異常なる機関(からくり)が暗い闇夜(やみよ)に運転する有様を、驚嘆の念を以て眺めていたい。──こういうのが敬太郎の主意であった。》

 これもなんだか乱歩の初期作品の、この世の退屈に倦み果ててしまった主人公を思わせる心理ではあります。
 中途半端で申し訳ありません。時間の都合上、本日はこのへんでおいとまいたします。


No.429 (2001/09/25 08:56) title:探偵嫌い(2)上
Name:中 相作 ()
Email:stako@e-net.or.jp
URL:http://www.e-net.or.jp/user/stako/frameset.html

 本日は二分割となっております。

 ■古本まゆ様
 ご丁寧にありがとうございます。『山羊鬚編集長』の「附・氏と作品(江戸川乱歩)」というのは、この本には附録があって、そこに乱歩の「氏と作品」なる文章が掲載されていたということでしょうか。この「氏と作品」もむろん未見です。なんだかもう大変です。今後ともよろしくご指導ください。

 ■やよい様
 『探偵たちよ スパイたちよ』の親本その他の件、了解いたしました。「江戸川乱歩の三つのリスト」は、ご推察のとおり『幻影城』に収録された「欧米長篇探偵小説ベスト集」の一部のようです。あとは当方で調べられるはずです。どうもありがとうございました。

 ■芦辺拓様
 ご教示ありがとうございます。
 私は以前、自分は司馬遼太郎にはなぜか関心がないと記しましたが、より正確にいえば司馬遼太郎が嫌いであるのかもしれません。探偵嫌いならぬ司馬嫌い。もっとも、著作のごくごく一部しか読んではおりませんから、嫌いといっても通り一遍の印象の域を出るものではありません。それがご投稿を拝読して、もしかしたら自分は司馬作品における公権力寄りの視点とでもいったものに馴染めなかったのかな、と思い返しました。
 私は金井美恵子さんのエッセイに出てくる悪口雑言のたぐいが大好きなのですが、そのひとつに、司馬遷の名を自分の筆名にしたがるような作家などろくなものではない、なんてのがありまして、はは、これは面白いやと思い、いつでしたか司馬遼太郎が好きだという女性とお話をしていたとき、
 「あなたは司馬遼太郎がお嫌いなの」と彼女。
 「司馬遷の名を自分の筆名にしたがるような作家なんて、けっ」と私。
 「あら、だったら乱歩だって同類じゃないの」
 「ギャフン」
 いやまさかギャフンとは申しませんでしたが、コントのオチのようなハラホロヒレハレ状態には立ち至りました。今度こうした機会があったら、もう少しましなことが喋れそうな気がいたします。
 そんなことはさておき、No.1139のご投稿はたいそう参考になりましたし、またそれ以上に、森江春策探偵の官憲批判やメディア批判を拝読しているような気にもなり、なんだか嬉しく思いました。今後ともよろしくお願いいたします。

 ■平山雄一様
 お知らせありがとうございます。そうでしたか。階段を昇っていったのはホームズ坊やのほうで、いっぽう部屋のなかではモリアーティ青年が……、といった筋立てでしたか。記憶などというのはやはりあてにならぬものです。それにしても、そのあとホームズ坊やはいったいどうなったのでしょう。なんとも気になります。いずれビデオ屋で探してみたいと思います。
 ところで、フロイトと来ればマルクスで、きのうあたりからまた妙な記憶が気になっております。ずいぶん以前、『シャーロック・ホームズを訪ねたカール・マルクス』といったようなタイトルの翻訳小説を読んだような記憶があり、これはまさしく「ホームズと同時代有名人をからませるパスティッシュ」の一冊だと思うのですが、そんなのはほんとにあったのでしょうか。最近とみに記憶力に自信がもてなくなっている私なのですが。
 ユジェーヌ・ブシュウにつきましては、気管切開術が仮死状態の人間の蘇生法なのだとしたら、やはり「早すぎた埋葬」に関係があるのではないでしょうか。むろん正確なことはわかりません。


No.428 (2001/09/25 07:31) title:何度かみかけますが
Name: ()

中さん、
『澪標の旅人』でタキによる乱歩からの話が『探偵小説四十年』(あとで見てみますと)とあっているので、この部分に立ち止まりました。
 先日発見された手紙類の中に、それらしいものがあることを期待します。

 芦辺さん、神津ジュヴナイルもの、長編ですね、「悪魔の山」は短編でした。ソノラマ文庫では、『白蝋の鬼』をここ一,二年で行き付けのブツクオフで何度か見かけますが、入手困難さはどうなんでしょうか。
 雑誌「探偵王」に連載されていたようですが、このバージョンと違いはあるのでしょうか。


No.427 (2001/09/24 23:58) title:ご報告ならびにまたまた神津ジュヴナイルについて
Name:芦辺 拓 ()
URL:http://ashibe.hoops.ne.jp/

 こちらにも書き込みのありました旭堂南湖さんの「探偵講談」の会に行ってきました。委細は拙HPの掲示板に日記形式で書いておきましたのでごらんください。とにかく面白かった! これもこちらでご紹介のあった「ルパン対ホームズ」の講談に挑戦される可能性ありとか。

>岩堀さん

 RESありがとうございます。「自由民権」うんぬんについては、テレビでの談話の中で聞きました。したがって正確な引用ができないのが残念でなりません。

>森さん、大鴎さん

 ご意見、ありがとうございます。実は『黒衣の魔女』と『吸血魔』を続けて読みまして、どちらもすごく面白かったのですが、その点では『吸血魔』がまさり、でも古沢姉弟らおなじみの顔ぶれが登場しないのが難かなあと思っていました。そこへ、今日『白蝋の鬼』を再読したところ、突き抜けた面白さに目をパチクリさせてしまいました。神津恭介のヒーローぶりも突出してるし。そこで大いに心が傾いてしまったのです。

 とはいえ、この作品だと、「そんなのソノラマ文庫で読もうと思えば簡単に探せるよ!」とか猛者のみなさんに言われそうなのがつらいんですよね。前回の〈幻の名作〉で「むかで横丁」がコピーの形でけっこう出回っていると聞いてなぜか大いに焦り、「今から間に合うなら外してください!」と光文社に電話した小生としては(ほぼ実話)。

 実際、『白蝋の鬼』の入手難易度、読者諸氏のご要望度って、どの程度なんでしょうね。


No.426 (2001/09/24 22:09) title:神津ジュヴナイル
Name:大鴎 ()
Email:makenos@ma5.justnet.ne.jp

はじめまして。大鴎と申します。

芦辺様

ここは敷居が高くて(笑)私如きが発言するのは気が引けるのですが、神津の
話なので意見を述べさせて頂きます。
いろいろな方のご協力等で入手出来る殆どの神津ジュブナイルは読みましたが、
やはり未刊のものより刊行されている物の方が出来は良いと思います。
未刊の長編では「骸骨島」が一番楽しめましたが、空飛ぶ円盤だとか水爆まで
登場する海野風?のSF冒険物で神津らしくはありません。
あと世の中がキナ臭い雰囲気になって来たので、これはちょっとと感じます。
個人的には「死神博士」「白蝋の鬼」「吸血魔」がベスト3で次点が「黒衣の
魔女」かなという意見です。因みにこれは神津読本で書かれているのでネタば
れにはならないと思いますが、「覆面紳士」や「悪魔の口笛」もSFなのです
よね。これはこれでおもしろいですが、入手困難さから言ってもやはり1冊と
なれば「吸血魔」だと言う意見です。
まあこの件に関してはやっぱり黒白さんの意見がないとね!

しかしファンの一人として何とか実現してほしい企画ですね。


No.425 (2001/09/24 21:36) title:素敵な挑戦
Name:平山雄一 ()
Email:hirayapa@parkcity.ne.jp

中様、
「素敵な挑戦」はけっこう面白い映画でしたね。あれの原作「7% Solution」はシャーロッキアナ界にとっても大きな影響を与えた作品で、
(1)ワトスン博士の未発表原稿という形式
(2)シャーロッキアナへの精神分析学の導入
(3)ホームズと同時代有名人をからませるパスティッシュ
というのがあれいらいはやるようになりました。もっとも日本では(2)ばかりがお盛んでかないませんが…。

>それは、ホームズ坊やの部屋を目指して階段を昇ってくるモリアーティ青
>年の姿、であるように思われるのですが、この映画にはそんなシーンが
>あったのでしょうか。

というのは逆さまで、ホームズ坊やが階段を上っていき、部屋に入るとそこにはモリアーティ青年が…というシーンを、フロイトがホームズに催眠術をかけて告白させています。実は…というとここからはネタバレになってしまうので、お楽しみに。たしか扶桑社文庫から原作が出ていたのではないでしょうか。

それからブーシェですが、ネットをめったやたらに検索しましたら、スペイン語でブーシェの履歴らしきものが見つかりました。スペイン語のできる友人に訳してもらったのがこれです。

ユジェーヌ・ブシュウ(1818-1891)
フランスの小児科医。パリ[第一]大学・医学部で教授の任にあり、喉頭挿管の套管(ブシュウ管)[の創案者]。
気管切開の推奨者で十九世紀フランス医学の巨匠であったアルマン・トゥルッソオ(1801-1867)の助言を得て気管切開術の分野で先駆的存在であった。

正しい発音はブシュウのようですね。早過ぎた埋葬については言及が無かったのですが、巽さんの御本にのっているブーシェとは矛盾が無いでしょうか。


No.424 (2001/09/24 19:57) title:神津ジュヴナイル
Name:森 英俊 ()
URL:http://www.tcn-catv.ne.jp/~mystery/top.html

芦辺さん

 内容うんぬんの話でないのでなんですが、やはり営業的なことを考える
と、入手困難な神津物を復刻することに意義があるのではないかと、個人
的には思います。ということで、とびぬけた作品がないようであれば、
『吸血魔』(タイトルもよいですし)はいかがでしょう。


No.423 (2001/09/24 17:15) title:司馬遼太郎の「探偵嫌い」
Name:岩堀 ()
Email:dc8y-iwhr@asahi-net.or.jp


  芦辺様
 
 >故・司馬遼太郎の推理小説嫌い、探偵嫌いについては一つの解釈を持ってい
 >ます。

 私は、司馬遼太郎の偏見では…と書きましたが、その偏見のよってきたるところ
 は、彼の「探偵嫌い」であり、更にそれは彼の「明治国家観」と関係ありとうの
 はまことに卓見と思います。彼の作品で最も人気のある「坂の上の雲」という題
 名の理由は、「明治と言う時代は、坂の上の雲を見ながら坂を登っていけばよい
 時代だった」という考えによるものらしいですが、確かに彼は明治の明るい部分
 を(「部分しか」というべきか)見ていて、暗部をみていないと思います。これ
 は、「明治という国家」を読むと更にはっきりしていますね。私は、この本を読
 んだ時に、司馬さんは明治時代の最暗部とも言うべき大逆事件についてはどう考
 えているのかなあと思ったものです。自由民権運動について、「…あまり高く評
 価したくない…」」と語ったというのは、私にとっては大変貴重な情報でした。

 私は、司馬遼太郎の小説、エッセイを愛読してきましたが、たしかに独断的なと
 ころがあって(必ずしも悪いというつもりはありません。それがいわゆる「司馬
 史観」の魅力になっているのは事実と思います)、歴史学者などは怒っていると
 いう話、聞いたことがあります。ある席で、「本当の日本人は鎌倉時代から…」
 というような事を言ったら、同席の梅原猛さん(と聞きましたが…)が、「それ
 じゃあ、万葉集の頃は日本人でないというのか」と怒り出して、双方共血相を変
 える程の激論になっというエピソードがあるそうです。


No.422 (2001/09/24 15:09) title:神津ジュヴナイルについて引き続きご意見拝聴&その他
Name:芦辺 拓 ()
URL:http://ashibe.hoops.ne.jp/

>桜さん

 おっしゃるのは「悪魔の山」でしょうか。いや、そこまではとてもとても……。引き続き皆様のご意見をよろしくお願いいたします。

>中さん

 故・司馬遼太郎の推理小説嫌い、探偵嫌いについては一つの解釈を持っています。司馬氏が「明治」という時代に崇拝といってもいいほどの敬慕の念を抱いていたのは周知の事実ですが、その一方で、あの時代における一つの選択肢であり、“もう一つの日本”を生み出した可能性もある「自由民権運動」には冷ややかな視線を送っていたようです。今、その具体的な文例を出せませんが、「私はあまり高く評価したくない一人」とインタビューで語っていたのを聞いたことがあります。

 明治国家を高く評価し、それに逆らった自由民権運動を余計ものと見る視点、さらに自身が新聞記者であったことから考えると、氏は推理小説に登場する探偵たちを「犯罪の真実は、“お上”たる警察とわれわれマスコミが認定するのに、何でお前たちただの市民が口を出すのか」と嫌悪していたのではないでしょうか。彼らによる推理――すなわち“公的なそれとは別の、もう一つの真実”は、各地で熱心に作られた憲法草案のようなものだったのではないでしょうか。

 司馬文学とは対極的なものとして捉えられる山田風太郎氏の明治もので、探偵役が警察組織とはこれまた対極的な、地にうごめくものたちによって担われることも暗示的な気がします。そして、こうした推理小説嫌いというと、私はいつも思い出すのです。松本サリン事件で容疑者扱いされたKさんについて、あるテレビ局が「犯人ではないかもしれない」とひどく控え目な特集を放送した際、局の回線がパンクするほど「あいつは人殺しに決まっている」「何で今さら余計なことをいう」と抗議電話をかけてきた人々のことを。

 以前、こちらで話題になった山下利三郎の件ですが、大乱歩ともあろうものが彼の「頭の悪い男」なる、本当に頭の悪い作品を「何となく恐ろしかった」と感じた不思議についても、私なりに一つの解釈を持っています。あの作品こそは、日本人好みの日常べったり、イマジネーション皆無小説であって、乱歩は本能的に日本ミステリが後世にわたって直面しなければならない「敵」をそこに見たのではないでしょうか。

 その後、探偵小説への非難に対して“つくりもの”“遊戯文学”としての架空性を弁護し続けた乱歩の戦いを思うと、山下一人は滅びても彼の背後にいるある巨大な潮流は一瞬も絶えることはなかったのでしょう。「いつもいつも同じ問い、いつもいつも同じ返事」という嘆息に象徴されるように。


No.421 (2001/09/24 15:01) title:Re : 丸谷才一編
Name:やよい ()

>中さま

文庫版「探偵たちよ スパイたちよ」はS56.10に集英社から出た単行本の「探偵たちよ スパイたちよ」の一部改訂増補版だと記載があります。
「ヴァン・ダイン論その他」は「宝石」(S32.9)に掲載、蝸牛社刊「教養としての殺人」(S54.11)収録のもの、とあります。
「江戸川乱歩の三つのリスト」には出典がありません。「第一次大戦前期の作品と後期のそれとでは……」で始まる前文と「古典ベスト・テン」、「黄金時代ベスト・テン」、「1935年以後のベスト・テン」が紹介されています。「幻影城」に同様のものが掲載されていると思いますが、私の手元で確認できません。渡辺剣次「ミステリイ・カクテル」でも同じリストが紹介されていますが、邦題の表記が若干異なるようです。(ex.ラインハート「廻り階段」/「螺旋階段」、グリーン「隠居殺し」/「リーヴァンワース事件」)
申し訳ありませんが、どなたかフォローをお願いできませんか?


No.420 (2001/09/24 14:11) title:やはり駄目だった
Name:古本まゆ ()
Email:mayu2@sb.starcat.ne.jp

中相作さま

「お手数」などということはありませんので、ご安心ください。
 当店のデータベースなどと大きな事を言っても、所詮は他店の目録の珍しい本の値段や函やカバー・月報などの有無や、BBSでの珍しい本についての書き込みを、その都度記録しているだけのものなので、書誌的なレヴェルものではありません。

「山羊鬚編集長」については、他店の目録のデータを入力したものですが、

    探偵小説「山羊鬚編集長」夢野久作 装幀・吉田貫三郎 昭12 初 函付 美
        春秋社 附・氏と作品(江戸川乱歩)

 というようになっております。

小林文庫オーナー様

 丁寧なご返事ありがとうございました。
 実は先日の東京出張は、大阪圭吉の「死の快走船」と乱歩の「人間豹」を狙っていたのですが、結果的には、どちらも駄目でした。しかし、出張費が出る程度には仕入れております。小栗の「○○○○の○○」とか、乱歩の「●●」とか。当店は高価な初版本や稀覯本中心の店にするつもりはないのですが、しかし、欲しい本の仕入れは本当に厳しいです。

 ところで、最近毎朝パソコンの電源がなかなか入らず、綱渡りの状況が続いております。注文の受付ができなくなると大変ですので、早く予備のパソコンを手に入れなくては。


No.419 (2001/09/24 14:04) title:第七の天
Name:大塚俊一 ()

町田の古本屋に以前からあるのは気がついていて手をつけなかった教養文庫の牧逸馬「第七の天」。よく、目次を見ると、「上海された男」が入っている。
やっとペンネームに無頓着に、ミステリーという切り口でまとめたものだということに気がついて、購入することになりました。裏表紙を見ると、ミステリーUもある。また、振り出しに戻って探さないと。


No.418 (2001/09/24 11:35) title:探偵嫌い(1)下
Name:中 相作 ()
Email:stako@e-net.or.jp
URL:http://www.e-net.or.jp/user/stako/frameset.html

 ■古本まゆ様
 余計なお手数をおかけしてしまいました。どうも申し訳ありません。
 黒白書房の夢野久作全集に関しましては、以前ある方から乱歩の文章が収録されていると教えていただいたのですが、私が何かを勘違いして記憶しているのかもしれません。ご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。
 春秋社の夢野久作傑作集に関しましては、じつに残念至極だと申しあげるしかありません。『貼雑年譜』完全復刻版と同程度かそれ以上の価格とあっては、『貼雑年譜』を購入してからもう半年あまりが経過したといいますのに、いまだにその影響で爪に火をともして明け暮れしている身としてはなんとも致し方がありません。またいつか機会がありましたら、よろしくお願いいたします。とりあえず、

山羊鬚編輯長 夢野久作傑作集(一)
 【発行日】昭和十二年四月二十日発行
 【発行所】春秋社
 【著】夢野久作
 【収録】跋
 【典拠】▼目録B、大衆文芸図誌

 といったあたりが判明しているのですが、お手許のデータはいかがでしょうか。

 ■やよい様
 いつもありがとうございます。下記のような感じでしょうか。

探偵たちよ スパイたちよ
 【発行日】平成三年四月十日/第一刷
 【発行所】文藝春秋/文春文庫
 【編】丸谷才一
 【収録】ヴァン・ダイン論その他:江戸川乱歩、小林秀雄/江戸川乱歩の三つのリスト

 収録の「ヴァン・ダイン論その他」は、「宝石」に掲載された乱歩と小林秀雄の対談なのでしょうか(掲載時のタイトルは「ヴァン・ダインは一流か五流か」)。それから「江戸川乱歩の三つのリスト」といいますのは、乱歩が作成した探偵小説のベスト作品表のようなものでしょうか。もうひとつ、この『探偵たちよ スパイたちよ』は、文庫オリジナルなのでしょうか、いわゆる親本が存在するのでしょうか。
 よろしくお願いいたします。

 ■小林文庫オーナー様
 桜さんにも申しあげましたとおり、『澪標の旅人 馬場孤蝶の記録』の乱歩に関するエピソードは、やはり「小説的虚構」である可能性が高いと思います。しかもそのエピソードを記し、乱歩が森下雨村に出した礼状の文面を写したあとに、

 《* 乱歩の探偵小説に対する雨村の反応、および乱歩の礼状につては、タキのメモがうすい鉛筆書きのため判読不能の箇所が多く、中島河太郎「日本推理小説史」江戸川乱歩「探偵小説四十年」を参照、正確を期した。》

 なんて註記がわざとらしく入っているのも怪しげです。意地の悪いことを申しますと「礼状につては」などと脱字も見られる始末で、校正にも正確を期していただきたいものだ。いずれにしてもこれは怪しいと、私の変質的な詮索癖がうずうずと疼いております。
 夢野久作全集に関しましては、とんだお手数をおかけしてしまいました。お詫びいたします。

 ■桜様
 ご親切にありがとうございます。そのアンソロジーは存じておりますが、まだまだ見落としているものも多いだろうと思います。お気づきのことはぜひお知らせください。


No.417 (2001/09/24 11:34) title:探偵嫌い(1)中
Name:中 相作 ()
Email:stako@e-net.or.jp
URL:http://www.e-net.or.jp/user/stako/frameset.html

 そんなことはさておき、とにかくこの映画は、ホームズがモリアーティを敵視する理由、あるいはホームズが探偵になった理由をフロイトが分析し、ホームズの心的外傷が明らかにされるという筋立てになっていたようです。ホームズにとってモリアーティが「厭うべき何か」であった理由は、結局は幼児期に体験した心的外傷に根ざしており、ホームズが「他人の秘事を、なぜあれほどの執拗さであばきたてねばならないのか、その情熱の根源」もまた、幼児期の心的外傷に求められるという寸法でしょう。ホームズの「心の謎」に、フロイディズムが照明を浴びせたというわけです。
 さて、前置きが長くなりましたが、司馬遼太郎の推理小説観は、仰せのとおり「司馬さんの偏見ではないでしょうか」とも見えるほど、相当に感情的なものです。ここにはたぶん、それが流行しているからというだけの理由で作家の意向や資質に関係なく推理小説を書かせようとした文芸ジャーナリズムへの反撥もあったと思われますが、とにかくじつに率直に「ミステリ嫌い」の弁が述べられ、「探偵嫌い」の理由が記されています。
 そしてこの瀬戸川さんの文章は、司馬遼太郎の推理小説観への批判の役割、とまではいえないまでも鏡のような役割を果たし得ていると思われます。つまりこれを読んだ読者は、映画のなかでフロイトがホームズに尋ねたのと同じように、「司馬さん、あなたはどうして推理小説がお嫌いなんですか? 他人の秘事を執拗に暴きたがる探偵を、あなたはどうしてそれほど嫌っていらっしゃるんですか? その感情の強さに、何か秘密があるんじゃありませんか?」と尋ねたくなってくるのではないかと思われる次第です。
 そして(そして、という接続詞を二段落つづけて冒頭に使用してしまいました。私はちょっとお疲れなのかもしれません)司馬遼太郎は、探偵たちの「厭うべき何か」はその「変質的な詮索癖」であると打ち明けています。ここで大雑把な推断をくだしてしまうならば、この点は岩堀さんもくりかえし指摘していらっしゃいますが、司馬遼太郎は探偵たちに自身の戯画を見たのではなかったかと思われます。自身が歴史に対して示している「変質的な詮索癖」の卑小なカリカチュアめいたものを、探偵たちのなかに感じてしまったのではないかと思われます。むろん「心の謎」のことですから余人が窺い知ることはそもそも不可能でしょうし、これを世の「ミステリ嫌い」や「探偵嫌い」の諸氏一般にそのままあてはめることもできませんが、司馬遼太郎が表明していた推理小説や探偵に対する強い感情は、そうした事情を忖度させるに足りるものだと思います。
 要するに、人は他人のなかに自身の似姿をしか見ないものかもしれず、たとえば私が乱歩のことを語ったとしても、それは私が乱歩のなかに発見した自分自身のことを語っているに過ぎないのかもしれません。だとすれば、司馬遼太郎にとって推理小説は、乱歩の作品にちなんでいえば「鏡地獄」のごときものであったのではないでしょうか。
 ずらずら長くなって恐縮です。きょうはこれまでといたします。「探偵嫌い(2)」は、急な用事が入ったり、あるいは手ひどい二日酔いで起きあがれなかったりというような事態に立ち至っていなければ、明朝投稿いたします。

 ■桜様
 『澪標の旅人 馬場孤蝶の記録』、乱歩に関係ないところは思いきり読み飛ばして最後まで確認しましたが、評伝とも小説ともつかぬままで終わっておりました。どうもすっきりいたしません。
 少なくとも乱歩が残した資料には(むろん公刊されている資料ですが)、村上タキなる女性が尋ねてきたという事実は記されていません。それに、『澪標の旅人』でタキが乱歩から聞き出したとされているあれこれは、じつは乱歩が『探偵小説四十年』に記していることばかりです。やはりなんだか怪しいように感じます。
 作中で村上タキに仮託されている女性が実在し、彼女が残したとされるメモもまた現存するのであれば、文学趣味的装飾なんぞに走ることなくそのまま公開すればよかったものを、と思われてなりません。


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