FPの家グループでかつて全国組織の役員を経験した方々のOB会というのが仙台であり、久しぶりに旧交をあたためる事が出来ました。 OB会といっても私も含めて会社では現役の方々がほとんどですが、上は78歳から下は50代までの広い年代が集まり、刺激になる情報を聞くこともできました。
東北圏の復興景気バブル、埼玉県南の工務店需要の落ち込みなど地域性と国の施策でまだらな景気様相が見て取れます。
そして世代交代による会社の承継の問題は参加した方々みなさんの関心事であったようで、息子に社長を譲った会社、娘婿に承継した会社、いまだ予定の立たない会社等、
成功した事例やそうでない例を話題にした情報交換は大変関心を惹くものでした。規模の大きい会社であればともかく、
我々クラスの規模では会社の業績や方針は社長個人の資質によって左右されるものです。その辺を読み違えると事業承継がうまくいかないように感じられました。
会社は社会的な責任も負う存在です。お客さんへの保守責任、従業員の雇用確保、地域社会への貢献など、簡単に止められるものではない部分があるものです。
泊まったのは秋保温泉。訪れたのは昨年の5月以来でしたが、盆明けの平日とあって一番大きな旅館でしたが閑散としていました。
仙台駅から秋保温泉までは車で40分ほど掛かりますが、いざ大宮から新幹線「はやぶさ」に乗れば、ノンストップで1時間6分という速さで仙台に着いてしまいます。
トンネルの多さと時間が短いので「景色をゆっくり」というわけにはいきません。そんなことから帰路は少し旅館を早めに出て、
角田に寄ってみたいこともあって東北本線経由で第三セクターの運営する「阿武隈急行線」という路線に初めて乗ってみることしました。
JR槻木(つきのき)駅を始発として、角田(かくだ)、丸森を経て福島駅に通じる、文字通り阿武隈川に沿って走るローカル線です。
電化はされているもののワンマン運転の2両編成で、半数近くが無人駅というのどかさですが、晴れるとたおやかな稲穂の田の先に蔵王山が望めるといいます。
かつては福島付近の急勾配で輸送量に限界のあった東北本線をカバーするために計画された路線でしたが、その後の本線の複線電化により客足が減り、
逆に鉄道ファンには垂涎の「日本有数の赤字線」で知られていました。その後、福島・宮城両県と阿武隈川観光開発とが第三セクターを設立して今に至りますが、
遅い午前の時間帯でしたが私の他は数人の乗客しかいない状況でした。しかし、久しぶりに地方のローカル線に乗り、
晩夏の雨を集めて流れが急な茶色い阿武隈川の風景を堪能することができました。その途上に角田市という古い城下町があり、
かつて福島石川藩からここに移封された石川昭光公の菩提寺である長泉寺という曹洞宗の古刹があるので訪ねてみました。
角田駅から歩いて10分くらいで行けるこの寺院は6、7年前に再建され新しい本堂になっています。間口15間、奥行10間という大きな本堂で、
法隆寺の西岡常一棟梁の弟子と言われる小川棟梁の手によるものとのことで、その工事の様子は「長泉寺建立記」という本でも見る事が出来ます。
階高を抑えた緩い引き渡し勾配は中世風で西陣の千本釈迦堂の屋根を彷彿させます。
向拝の広い間口、縋破風上の蓑甲の取り方、隅角部の隅延べ等にその特徴を見て取ることができます。
内部は大縁の天井が地垂木をそのまま表した意匠となって、全ての柱は丸柱という構成です。
桧と米ヒバの良い材料を揃えたとみえ数年経った今でも狂いの少ないものとなっています。
それにしてもこんな地方にと思うほどに大きな境内伽藍群です。入り口の山門脇に袴腰鐘楼が建ち、参道正面の150坪の本堂裏手には位牌堂が、
更に脇には座禅堂と大書院が併設、手前には2階建ての庫裏が別棟で建っています。4百年ほどの歴史を持ち檀家数が角田の人口の1割に相当する3千と言いますから、
かつて石川氏のよほどの庇護があったことが窺い知れます。
角田は人口3万ほどの町でJAXAの角田宇宙センターがあり、液体ロケットエンジン研究所があることでも有名ですが、
その駅舎のデザインは城下町としてはモダンなものとなっていて少し戸惑います。
駅に地域性を出すということが良い事かどうかは分かれるところですが、この意匠が何をメタファしたものなのか、待ち時間のいとまでは計りかねました。
再度乗った阿武隈急行はその後河港の丸森を過ぎて福島県の伊達市に入り少し混み合って来ましたが、
「急行」らしからぬゆっくりとした速さで約1時間かけて福島駅にたどり着きました。
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