愛知県は旧の地名でいうと西の尾張と東の三河からなっていますが、
旧藩のころから今に至るまで「せっかちな尾張」と「のんびりな三河」というように多少の気質の違いがあると云われています。
その三河の中央部で知多半島と渥美半島に包まれるように、海沿いに西尾市という人口17万ほどのまちがあります。
この地域は町名に吉良町という場所を抱えることからもわかるように足利氏系列の吉良氏が鎌倉期より守護として治めたことでも知られています。
この吉良町の鄙びた田園地帯の中に金蓮寺(こんれんじ)という寺院があり、その中の弥陀堂が愛知県で最古の木造建築物として国宝指定されています。
全国的にも数少ない平安時代の阿弥陀堂建築の流れを汲む優美な建物として知られています。
一般に寺院は小高い場所や山上に立地している場合が多いですが、この金蓮寺は道路面と同じ高さにあり車で行くとつい見過ごして通り過ぎてしまいます。
国宝指定の建物がある寺院とは思えないほどに雰囲気がのんびりとして、その日も朝練に行くのでしょうか、
小学生くらいの野球チームが年頭の祈願に詣でていてまちのお不動さんのような雰囲気です。門柱を入ると正面にその弥陀堂は建っています。
方三間の平面に正面三間通しの庇と右側面後部二間の庇を付けた平面となっていて、見るからにこぢんまりとした瀟洒な建物です。
柱は面取り角柱で上に舟肘木を載せ、垂木は手前の地垂木が細かい繁垂木ですが軒先の飛燕垂木は間隔の広い疎ら垂木となっています。
隅木は振隅にして正方形平面に寄棟造屋根を載せ、庇は縋破風でさばいています。全面庇は開放でその奥に蔀戸を吊り側面と背面に板扉を開く形式で、
いずれも平安時代の貴族住宅や天皇の住まいである内裏に用いられた建築に共通する特徴を有しているとされます。しかし、専門的には内部に四天柱を立てず来迎柱としている点や、
床下に足固め貫を使用していることなどから鎌倉中期に属するものであるとされています。
国宝建物としては管理も緩やかで、背面の板扉を開けて入館料は喜捨とし内部を見て歩くことも写真撮影も自由でした。
中のご本尊は阿弥陀座像で左右に観音菩薩と勢至菩薩の各立像が配されています。平成の修理で江戸期に塗られた塗膜が除かれ金箔下の漆喰が露出して黒く見えます。
この弥陀堂は頼朝が三河守護の安達盛長に命じて建立させた三河七御堂の一つと伝えられ、七堂のうち唯一現存する建物となっています。
昭和二十九年に解体修理されたとありますがその洗練された様式美と共に保存の良さは奇跡的と特筆されてよいかもしれません。
地元民の信仰心の厚さと歴代領主の庇護によるものと言ってよいと思います。
この周辺を長らく治めてきたのはこの地名のもととなった吉良氏です。
足利義氏を祖としてあの忠臣蔵で有名な吉良上野介を輩出した三河吉良家の流れです。鎌倉、南北朝、室町期から江戸期にかけては高家として仕え、
赤穂事件後に改易されますがその後復興し明治期に士族に配されるという名門のお家柄です。
忠臣蔵では判官びいきで大石内蔵助が義で吉良氏は悪に描かれるイメージがありますが、
この金蓮寺弥陀堂の保存の良さを見るにつけ吉良氏の地元領地への慰撫と庇護は厚かったことが伺い知れ、その印象を新たにする思いがしました。
室内は一室形式で折上げ天井を持つ小組格天井を頭上に正面の蔀戸を開けると正面から開放的に外を見ることができます。そこから見える農村風景にこの弥陀堂はよく溶け込み、
当時の鎌倉時代の人々の安寧への祈りが伝わるようで、清廉な気持ちにさせられました。
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