FPの家グループの全国大会が福島県いわき市のスパリゾートハワイアンでありました。
ここはかつての炭鉱の町が廃坑に伴う町興しの一環で立ち上げた常磐ハワイアンセンターがそのもとになっているところで、
蒼井優さんの主役でヒットした映画「フラガール」で一躍その名を高めました。かつて高校1年の夏に仙台に行く途中に立ち寄ったことがあって、
実に43年ぶりのハワイアンでしたが、当時とは一新されていて驚きました。
統括支配人の下山田氏による東日本大震災時の2,000名を超える宿泊客・従業員の避難誘導の講演は迫真の内容で、
危機管理上の参考となる示唆に富んだものでした。情報が入ってこない中でいかに安全側にお客様を誘導していくか、確認できたことだけを優先して、
帰りたがるお客を説得、指揮していく姿勢はガバナンスの上からも大切なことだということが分かります。
3・11よりも余震としての4・11の際の被害のほうが施設にはダメージが大きかったことを初めて知りました。
余震と言っても震度6弱。一直線に入った亀裂から、施設が断層の上に載っていることが後から分かったといいます。
半年と見込んでいた再開にこれによりさらに1年余の時間を要したそうです。苦渋の契約社員のレイオフ、
アクセス道路の安全確保、原発被害の風説等々、いくつものハードルを越えてのハワイアン再開のお話は臨場感を持って迫ってきました。
翌日はバスをチャーターしての富岡町の視察でした。福島第1原発から20km圏内に位置する町で、いまだ避難困難地域に指定されているところです。
行って分かったことはここには福島第2原発が立地し、他に東電の火力発電所も存在していることでした。まさに原発の町です。道路から見る風景には人の影は無く、
大きな空地にはグリーンのシートで覆われた除染土の仮置き場が多く散見されます。
放射線量が強いためバスからの視察が中心でしたが、町全体があの3・11の状態のままで時間が止まってしまっています。
放置された車、倒れたままの家々、津波で流された駅の構内。3年間そのままの状態が晒されています。
富岡町で有名な桜並木トンネルはバリケードが置かれてバスで行くこともできません。車内でさえも線量計は1μシーベルトを表示して警告音が鳴りっぱなしでした。
昨年の8月に避難区域の再編が行われ、現在同じ町で「帰還困難区域」、「居住制限区域」、「避難指示解除準備区域」の3区域に分かれてしまいましたが、
人口11,000人の町で一部非難が解除されても果たして戻ることができるのでしょうか。
「住む」ということは、そこに学校があり、店があり、ガソリンスタンドがあり、病院があり、働ける職場があるということです。
一つ欠けても「住む」ことは叶いません。しかも除染の実施率はいまだに農地で0.2%、森林で0.1%、道路で8%、宅地は0という状態にとどまっているのです。
しかしガイドとして同乗して戴いた富岡町の自動車整備工場を経営していた平山さんは帰還を諦めてはいないといいます。
奥さんは奈良の実家に娘と住んで、息子は単身で高校へ進学。本人は3ヶ月に一度奈良へ行く以外はこうして街の復興に尽力しているのだというのです。
巨大津波による被害だけでも甚大なのに、それからの復興を妨げている原発被害。
除染困難、使用済み核燃料の最終処分法、管理維持するべき者たちの危機意識の欠如と無責任、どれをとっても原発を持ち続ける理由は見当たりません。
首都圏で使う電気をここ福島で生産し送っているという実態と、有事の際の直接の被害は生産地が負っているという現実に私たちは目を背けてはいけません。
今後何十年かかろうとこの地域の復興に手を差し伸べ続けねばなりません。
社会学者の山内明美氏の言葉を借りれば、「これからの日本は、あの『明るいナショナル』然とした右肩上がりの日本ではなくなる。
東京に住まう人たちは他人事だと思うだろうか。被災地の現実は、やがて東京の姿でもある。」と思ってしまうのです。
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