新年あけましておめでとうございます。
駆け込み需要なのか復興需要なのか分かりませんが建設業界は久々に活況を呈しての年越しとなっているようで、
建設労働人口の縮小も手伝って人手不足の状況になっています。
そんなあわただしい中にあって機会を得、大分・豊後の地を訪ねることができました。
国東半島は直径30qほどの大きさですが周辺は神仏習合の始まりとなったことで知られ多くの神社・寺院が各郷に鎮座していますが、
その中心になっているのが宇佐神宮と言われます。日本の津々浦々にある神様と言えば、お稲荷さん、八坂神社、天神様ですが、
八幡神社はそれらを超えて全国4万余社と言われ、その総本宮がここ宇佐八幡神宮です。
御祭神の八幡大神は応神天皇の御心霊といわれ、他に比売大神と神功皇后の2神が祀られています。
その起源は欽明天皇時代の571年とされ、古くから御神託つまり神のお告げをするところとして知られ
、東大寺の大仏建立時の神託や道鏡の神託事件などでその神威を現わして朝廷から篤く信仰されてきました。
その後清和源氏が八幡菩薩を崇敬したことから源頼朝の鶴岡八幡宮を始め武士の武運の神様として大いに名を馳せることになります。
国東半島の付け根に位置した宇佐の地は豊前・豊後の名が示すように豊かな国であり、昔から豊穣で災害の少ないところと言われ、
ここに弥生期、稲作技術を持った秦氏という多くの渡来人が渡って来たとされます。八幡宮の名の由来については諸説あるようですが、
八幡は「やはた」とも読め、八は八雲、
八千草などのように「多くの」という意味から「多くの秦」氏が起源という説が有力です。
最初は農業神だったことから、境内は広く周囲を川と堀に囲まれ、朱塗りの太鼓橋を渡った中には菱形池や初沢池などの多くの池を持ち、
農業の灌漑池だったことが容易に想像されます。
この宇佐の地は往年の名横綱双葉山の出生地としても知られ、宇佐神宮の駐車場入り口に大きな写真が飾られています。
彼が璽光尊に入信してその後の事件に関与したのも、宇佐という信心深い土地柄が影響したのでしょうか。
この国東半島一帯の有名無名のいくつかの古刹の中で、宇佐から少し東に行った所に「富貴寺」という天台宗の国宝本堂があります。
間口3間奥行き4間の方形屋根を持った九州で唯一の阿弥陀堂建築の傑作です。高さを抑えた禁欲的なプロポーションを持ち、
ご本尊の阿弥陀如来像は榧材の寄木造りで優美な姿をして定印を結んでいます。養老2(718)年の開基と寺伝は伝えますが、
実際は12世紀後半の創建と言われます。何度か手が入れられてはいるのでしょうが側柱や丸桁などは創建時のままと思われ、
千年近い歴史を感じさせる重みと風格のある建築です。
ここからさらに南下したところには「熊野磨崖仏」という岩肌に直接不動明王と大日如来を彫り込んだ日本最大の磨崖仏が、
全長87mの急勾配な石段を登ったところに座しています。
今見る国東半島の里山はのどかな田園地帯と山々にしか見えませんが、
かつてここが十二世紀ころには比叡山延暦寺と強い結びつきを持って「六郷満山」と称された大信仰地帯だったことが窺い知れます。
かつて外来の宗教だった仏教が渡来人たちによってもたらされ、
日本古来の神々の信仰と共存・融合していき神仏習合となって行く様がここ国東半島でみられるのです。
後年戦国期にこの地を治めた大友宗麟が宣教師ザビエルを招き、やがてキリスト教に帰依していったことをも考え合わせると、
豊後の国の宗教的な懐の深さを垣間見るようです。
良き一年となりますように!
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