以前、寺院新築の落慶(新築祝い)時の記念品として菩提樹の葉の葉脈を額に入れたものをいただいたことがあります。
お釈迦様が悟りを開かれたといわれるインド・ブッダガヤの聖菩提樹の葉とされているもので、「お釈迦様が悟られるまでの過程を偲び、悟られたことを喜び、
私たちが仏道(人生)修行に励む決意を新たにする糧となりますように。」と住職のお言葉が添えられています。
落慶記念にふさわしい大変有難いものだと感じ入ったことを覚えています。
仏教の開祖ブッダが木の根元に座って悟りを得たと云われる菩提樹は、正式には「インド菩提樹」と呼ばれる桑科に属する熱帯樹とされています。
よく日本の寺院境内にある菩提樹は葉の形状が似ていますが種類が異なり、
中国原産のシナの木科の菩提樹で禅宗の栄西が中国から持ち帰ったものがいろいろな寺院に植えられたと伝えられています。
もっともブッダガヤにあるインド菩提樹を日本で挿し木にしても、熱帯樹のため冬の寒さに耐えられず枯れてしまうようですが。
ブッダこと釈迦がこの菩提樹の下で悟りを開かれたのは今から2,600年も前のことで、
それが唐や朝鮮を経由して日本に入ってくるのが約1,000年前とされています。
その間仏教自体の変容と同じくインド菩提樹が日本に育ちやすい菩提樹になって行ったのも、むべなるかなということでしょうか。
不思議なことですが釈迦は悟りを開くという真理を得ながら、これといった言葉や教え、経典などを一切残していません。
今あるお経は釈迦が亡くなってから百年も経ってから出来上がったものなのです。しぜん仏教は釈迦の真理から少しづつ形を変えたものになって行きました。
インドから仏教の経典を中国にもたらしたのは西遊記の玄奬法師ですが、当時インドでは釈迦の仏教は新興宗教で席巻していたのはもっぱらバラモン教でした。
バラモン教は妖怪変化を好み、現世利益を求めるところがあるとされる宗教のようで、ガンジス川のワニをも神様にしたりしています。
仏教は入滅後バラモン教からイジメに近い干渉を受け次第に変化していくことになります。
そんな中で玄奬法師が仏教もバラモン教もごっちゃになった状態で持ち帰ったため、もともとはバラモン教の神様だった帝釈天や水天宮、
弁財天をはじめ、ワニを神格化した金刀比羅宮なども仏教に組み入れられていきました。
最澄や空海をはじめとした日本の平安仏教は後年から見ると不思議なくらいに違う印象を受けます。
我が家の菩提寺は高野山真言宗ですが、かねてからその加持祈祷や印を結ぶ儀式などにきらびやかな、異様な感じを持ったものでした。
空海の持ち帰ったお経にもバラモンの臭いが色濃くあるといわれる故なのでしょうか。
鎌倉時代になって農業生産が上がるにつれ人々が合理的精神を持つに至り、既成の加持祈祷に飽き足りない人々により新しい宗教が求められ多くの新仏教が勃興します。
中でも法然上人の説いた「絶対他力」に言う「弥陀の本願によって生かされている」という解釈には、釈迦の「人間は誰でも死に、そして万物もみな死ぬ。
しかしそれらは流転している」という境地と同じものを感じます。
多くの宗派はお釈迦さまに近づくための、その流儀が違うだけだと解釈すれば分かりやすくなるのかもしれませんが、
それでもお釈迦さまは元々には現世利益を言うような人ではなかったのではないかと思うのです。拝めばお金が儲かるとか、
供養すればおできが治るとか、少し違うような気がしますね。分からない訳ではありませんが、私たちはお寺にお参りする時ついそんな現世利益を求めてしまいます。
大いなる自然とか、宇宙というものに自分たちは生かされている。そしてそれは流転していくことを思うと、
今自分たちの行っていることは後世の人たちにとって役に立ち、迷惑になっていないか考えざるを得なくなります。
原発の問題や、消費税の問題もそんな風に見方を変えてみると違った方向に行くようになるかもしれませんね。
この夏のお盆にいくつかの新盆を廻らせてもらって、少しお釈迦さまのことを考えみる機会となりました。
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