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赤石建設株式会社 一級建築士事務所
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平成25年7月


 東京理科大学工学部建築学科が創立50周年を迎え、先日その周年事業にOBとして参加してきましたが、その眼目は移転新築となった葛飾校舎のお披露目でした。
 学生時代に通っていたのは飯田橋駅の外濠脇にある神楽坂校舎でした。非常に狭い敷地に高層校舎が林立しキャンパスと呼ぶには程遠い環境でしたが、 都心の一等地として立地には恵まれたところでした。しかし当時から文科省の設置基準に合わせるため移転や建て替えの計画が取り沙汰され、 紆余曲折あって今回の50周年を機に下町の金町駅近くの敷地に工学部のほとんどの学科と理学部の一部が移転することとなりました。
 神楽坂と野田にある両キャンパスを結ぶ中間点としての位置付けと、また近くの区立公園と一体になった水と緑の開かれた公園型キャンパスとして計画されたようです。
 設計は日建設計、施工が3工区を鹿島、大成、竹中の3社で分担、その所長や担当はオール理科大OBとの説明がありました。
 キャンパスツアーと称した施設概要の説明と見学会がありましたが、今の学生はこんな恵まれた環境で勉強しているのかといささか驚きました。
 研究棟と管理棟を挟む形で250mものキャンパスモールが軸線となって、その正面には図書館棟が配されています。 両脇に多樹種の並木を配してあたかもアメリカの大学にいるような錯覚さえ覚えます。

 製図室や研究室の大きさは神楽坂当時の10倍はあろうかと思われる広さで、体育館にはトレーニングルームもついて、 サッカー場には人工芝が張ってあります。学食に至っては昔の面影など全くなく、前掛けを付けた気のいいおばさん風の人は皆無。 えんじ色のベレー帽をかぶった制服姿の人たちがキビキビと配膳してくれます。食べるところは白で統一されたテーブルと木製のイスでどこかのカフェ風です。
 図書館棟も凝った形状をしていて、メインの大ホールは600人収容の多目的ホールで木質空間が印象的なものでした。 ICカードでの入場チェックを受け、スキップフロアになった吹き抜け書架が並んだスペースは明るく学習しやすい空間のように見えます。
 これではまるでホテルで接待を受けているような環境ではないかと、 今時の学生の学習環境にうらやましさと共に過保護の印象を持ったのは自分だけだったでしょうか。

 大学の都心回帰が止まりません。いっとき八王子や近郊に新キャンパス移転が相次いだ時期がありましたが今は昔。 法政大学の市ヶ谷校舎、明治大学の御茶ノ水校舎、芝浦工業大学の豊洲校舎など都心での超高層ビル校舎が競って建てられ学生を都心の一等地に集めています。 そうでないと今は学生が集まらないというのです。
 人気の一つのバロメーターである入試偏差値を見ても顕著で、かつて旧国立1期校や2期校と呼ばれた施設の整った地方大学の偏差値は下がり気味で、 都内の狭い私立大学のほうがより高くなっている傾向にあります。
 学生たちは大学に何を求めているのでしょうか。こんな首都偏重は世界的に見ても日本と韓国ぐらいといわれます。
 予想される地震災害のことも含めて、首都機能を分散するとともに、 質の良い学生を各地方が抱えられるように地方分権を進めていかねばこの国の将来に禍根を残すことになりはしないかと心配してしまいます。

 記念講演ではOBで1年後輩の佐野吉彦氏が「建築の価値を伝えた人たちの軌跡に学ぶ」と題して講演。今は安井建築設計事務所の代表取締役です。
 恩師をはじめいろいろな先輩や後輩と久闊を叙することができて楽しいいっときを過ごすことができましたが、 東京一極集中が経済活動と同じで格差を生んで富や知が集中してしまうことへの危惧を抱きながら、 北千住から東武線に乗って「地方の太田」へ帰ってきました。











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