新年あけましておめでとうございます。
政権が代わって随分威勢の良い声が聞こえてきますが、果たしてどんな1年になるか期待と不安の気持ちが入り混じる巳年の幕開けです。
暮れの話になりますが、母校太田高校のラグビー部が創部以来初めて県大会を制して初の全国高校ラグビー選手権大会に出場しました。
野球で言えば甲子園と同じ憧れになる「花園ラグビー場」への出場を果たしたわけです。
PTA会長が終わると次の1年間は部活の後援会長にスライドして残るシステムのため、
その立場上開会式後2日目の出場試合を花園ラグビー場まで応援に行ってきました。
「ラグビーの聖地」と言われる花園ラグビー場は東大阪市にあり、正式には「近鉄花園ラグビー場」と言い、
全国初のラグビー専用スタジアムとして昭和4年に開設されました。新幹線の新大阪からだと、
なんば駅経由で近鉄奈良線の「東花園駅」まで約45分位の奈良県にほど近いところにあります。
駅からラグビー場まで10分ほどの道中は専門店や「花ラグ饅頭」の土産を売る店などが並んで、
さながら「ラグビータウン」の様相を呈しています。生駒山が望めるメインスタジアムは3万人収容の天然芝の緑が美しいスタジアムで、
かつてここで多くのラガーマンの名勝負が繰り広げられてきました。第92回を迎えた今回の出場校は東京や大阪の複数校を含めた各都道府県代表の51校で、
シード制がとられています。期間は冬休みを利用した12月27日から1月7日までの12日間で、
メインスタジアムの他に付随した多目的球技場2面も使って1日最大12試合で試合日程が組まれています。
その中にあって、唯一の初出場で公立普通校ということから少し話題性があった母校ですが、
その対戦相手は地元に近い滋賀県の光泉高校という2年連続7回目の出場を誇る強豪。それまで真冬の冷たい雨が降っていたのが、
試合開始直前に止み晴れ間がのぞくようになったのは選手たちにも応援団にとっても幸いでした。
試合は前半戦こそ互角に戦えていたかに見えましたが、後半はスタミナ切れのせいか、足が止まったように見え、
一方的な試合となってしまいました。結果は36−8。
得点差以上の力量の差があったように素人目にも思われました。
終了直前にあげた1トライがせめてもの救いで、この時ばかりは相手チームよりも倍はいると思われる応援団が一番盛り上がりました。
高校時代にラグビー部に所属していたわけではありませんが、
冬場体育の授業でよくラグビーはやらされ、多少足が速かったためラグビー部に欠員が出たりするとバックスとして応援に駆り出されたこともあり、
試合後、選手たちが一列に並んで応援団に挨拶する際、40年も前にもかかわらず諳んじている母校校歌を歌ったときは思わず涙が出てしまいそうでした。
太田高校のラグビー部は創設が全国のなかでも早く、明治40年創部で105年目という伝統を有しています。
そのため同窓会も初の快挙に動きが早く、卒業生2万5千人を対象に活発に協賛金集めが行われました。
いろんな町おこしが行われますが、地元の高校がこのような全国大会出場という大きな話題を提供することも一つの大きな町おこしになることを実感させられます。
高校はもちろん市役所、駅などにも立派な懸垂幕が下げられ、企業や各種団体への働きかけも活発になります。
なによりも市民感情としてのマインドが上がるのが一番の効用のように感じます。
応援団始め選手たちは4台の大型バスに分乗して高速夜行バスでの往復となりました。そして帰ってからはすぐセンター試験が待っています。
大事な時間を使っての「花園」でしたが、それ以上に今後の人生においてかけがえのない貴重な時間を経験できたことをかえって羨ましくさえ思います。
そしてこちらもこの歳になって花園へ行くことができ、いい時間を経験させてもらったことは僥倖でした。
年の瀬の慌ただしい中、日帰りはさすがに強行すぎるため、その日大阪に1泊しましたが、翌朝の出発時間も早いため、
道頓堀で食べた「たこ焼き」がせめてもの大阪の味となりました。
|