過日足利市にある浄土宗の寺院で、完成した山門並びに境内整備事業の完成を祝う落慶法要がありました。
角塔婆と呼ばれる四角い桧の塔婆を境内中心に建て込み、白布を本堂より結び流す古来の落慶流儀で、
当山ご住職を導師として念仏や三宝禮など浄土宗の儀式に則り厳かに執り行われました。
総本山の京都・知恩院からも大僧正侍者の方がみえ厳粛さの内にも華やかさのある落慶となりました。
夕刻からは場所を移して祝賀会が行われ、僭越ながら感謝状も拝受しました。
そのあと記念講演が行われ、書家「相田みつを」氏のご長男であり「相田みつを美術館」館長の相田一人氏が「父・相田みつをの書と心」と題してご講演をされ、
感銘を受けたお話であったので少し紹介させて戴きます。
当山は相田みつを氏の墓がある菩提寺で、生前には氏が何度も訪れていて御住職との結びつきが強い寺院であったことが今回のご講演に繋がっています。
相田みつを氏は足利市に生まれ、これも弊社と御縁のある曹洞宗・高福寺の武井哲応老師(故人)と出逢い、在家のまま師事して仏法を学ばれています。
書家としてスタートしたものの今のように人口に膾炙するのは還暦を過ぎてからで、67才で他界されるまでの時間はそう長いものではありませんでした。
旧制中学の頃より短歌を本格的に学んだことが言葉を徹底的に鍛えるという訓練になって氏の作品を孤高のものにしています。
「誰のものでもない自分の言葉を、書という形式を借りて表現する」、そういう仕事でした。ただ言葉を書き連ねただけでは人の心は打たないもので、
一人氏のお話によればその原稿には何回もの推敲の跡が生々しく残っていたそうです。
平易さと稚拙さとの区別がはっきり出来る人だったと回想しています。
最初の作品集「にんげんだもの」で一躍有名になってから、その言葉は多くの人々を魅了し続けてきました。
今回の東日本大震災で人々の心を捉えたのが次の言葉でした。
「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる うばい合えば憎しみ わけ合えば安らぎ」
東北の被災者たちの間に略奪などの暴動が起こらないことを海外の人が不思議に思うその底辺に、
この言葉のような仏法の精神が知らず知らずのうちに日本人の心に流れているように思います。
三月、津波に襲われた小学校の校長先生から、用意していた卒業証書が金庫ごと流されてしまい、
代わりに相田みつを先生の書を贈りたいので適当なものを送ってほしいとの要望を受けた話しを披歴されていました。
考えたすえ一人氏は相田みつを氏の多くの書の中から「願」という一文字のみの書を送ったと言います。
貴重なつらい経験をしたことをこれからの人生に生かして大きく成長するよう願いを込めての選択だったと聞きました。
氏の文章の端々に師事した武井老師からの曹洞禅の教えがその底流にあるのが窺い知れます。単純明快に、言い訳をしない、本心をそのままに出す、
自分の足らなさを知る、そういった教えが伝わってきます。
曹洞宗の教えはその祖である道元禅師の記した「正法眼蔵」という宗典が元になっています。
その量は全95巻に及び、思想・思索の高さは極めて卓越していると言われ、数ある仏法書の中でも難解中の難解の書としても知られています。
凡庸な私など到底歯が立つものでなく、せいぜい解説本をめくるくらいしかできません。
そんな難解な教えの中から分かりやすく咀嚼して言葉を選び、残してくれたものが相田みつを氏の文章になっているような気がします。
「なまけると こころがむなしい 一所懸命になると自分の非力がよくわかる」
「かんのんさまがみている ほとけさまがみている みんなみている ちゃんとみている」
慰められたいがために読むと本来の意図とは違ってきてしまうのだと思います。
こういう生き方はどうですか、と読むと見方が変わってきますね。
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