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赤石建設株式会社 一級建築士事務所
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平成24年1月


 新しい年を迎えました。本年もよろしくお願い申し上げます。

 未曾有の大災害に見舞われた昨年から、復興に向けた新たな一年が始まろうとしています。原発事故も含めて、 この国の最重要施策として取り組んで行かねばなりません。

 そんな年の初めに、 日本橋・高島屋で開かれている 「隠元いんげん禅師ぜんじ黄檗おうばく文化ぶんかの魅力」と題された展覧会があり、 今、客殿・庫裏の新築工事を行っている寺院の宗派が黄檗宗で、そこのご住職がこの催しに携わっている関係もあり行ってきました。
 黄檗宗おうばくしゅうは京都宇治にある萬福寺が総本山で、ちょうど今年が創建350年の記念の年に当たっての開催です。
 多くの鎌倉新仏教と違い、創建が寛文元年の江戸前期と比較的新しい宗派と言えますが、あくまでそれは日本での布教の時期のことで、 本国中国では古くからある禅宗でした。当初臨済宗の黄檗派としてスタートしましたが、明治九年に分かれて黄檗宗となって独立します。
 黄檗とは元来木の名前が由来で、「きはだ」というミカン科の落葉樹が中国本山に多く自生していて、その山号に採られています。 当時中国福建省で同名の萬福寺住持であった「隠元禅師」の名声を聞いた長崎の興福寺住持が来日布教を要請して実現したものです。 時の将軍家綱にも謁見し、幕府と後水尾天皇の支援を受けて宇治に寺領を拝し、萬福寺を創建させます。当時最先端であった中国文化をもたらした功績は大きく、 その名の通りインゲン豆、スイカ、レンコン、普茶料理、煎茶と多くの食文化が伝わりました。
 現在の原稿用紙のスタイルや印刷に使われている明朝体などの書体も黄檗文化が伝えたものでした。本来禅宗ですから、座禅を組むなどの所作は同じですが、 最も他の宗派に影響を与えたのが「木魚」だと言われています。今では当たり前のように見える木魚ですが、 黄檗宗では「開ばん」と呼ばれ大きな魚の形をしたものを実際に棒で叩いていました。
 口にくわえている球体は煩悩を現わし、胴を叩くことによりその煩悩を吐き出している姿だと言われ、叩かれ続けた腹部は見事にくぼんでいます。
 他宗に遷るにつれて手元に置く小さな木魚へと変わっていきました。
 江戸中期から後期にかけてこの隠元禅師やその教えに帰依した著名人は多く、後水尾天皇はじめ老中酒井忠勝、稲葉正則から画家の狩野探信、 下がって伊藤若冲らがいて、若冲に至っては隠元豆図や双鶏図が残されています。
 禅の教えはあまねく今の日本に深く根付いて血肉となっています。学校で生徒が教室の掃除をしたり、合宿生活では布団の上げ下ろしもします。 日常生活の様々な雑事、炊事、洗濯、掃除もすべて「修行」であるというのが禅の思想の一つだからです。

 宇治の本山である萬福寺に行くと、あたかも中国に来たのではと見まがうほどの建築・造営がなされています。
 総門は中央の屋根が高く、左右を一段低くした中国式の牌楼式、法堂正面の勾欄は卍づくしの文様を構成し中国様式の独特の意匠となっています。
 この寺院には布袋様や韋駄天様、おびんずる様など七福神を始め多くの羅漢様が御本尊と共に納められています。 布袋様の大きなおなかとそのお顔を見るにつけ、禅宗・正法眼蔵にいうところの「見性成仏」・・・自分の心の中におられる阿弥陀様に気づかされること、 に思いを馳せるのです。
 「この世で実在するのは心だけであって、すべての事象は心の働きによって仮に現れたものである」。そう教えていますが、 そう思えるようになるまでにはもう少し時間が掛かりそうです。
 布袋様のようになれるように(メタボは別)、良い一年にしていきたいと思っています。





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