FPグループの全国施工技術委員会という会議が大阪であり、北関東の担当委員として出席してきました。
日程の関係から前泊が必要でしたが、
せっかくの折りなので大阪でなく京都に宿を取り、久しぶりに長男に会い杯を傾けました。
京都府の文化財課にいて、いま清水寺の中にある「朝倉堂」の解体修理工事を担当しているようです。
越前朝倉氏の寄進により創建されたことからその名があるようですが、清水の舞台入り口の横に上屋が掛けられているところが朝倉堂の現場でした。
あいにく研修日とのことで現場案内は叶いませんでしたが、一人ゆっくり清水寺を見て回りました。清水寺はこの朝倉堂の他、奥之院、三重塔も改修中で、
修学旅行生の大円団でごった返して大渋滞でした。夕方にもかかわらず、
記念写真のメッカである仁王門横の大階段では旅行生の団体が順番待ちの状態で大混雑。
40年前の高校生の自分に思いを巡らせていました。
歩いてみて改めてずいぶんと高低差のある地形を感じます。清水がこんなに起伏に飛んだ山あいにあり、大舞台の架構ほどの段差があって、
湧き水の出る場所であることが良くわかります。奈良仏教に属する法相宗としてかつて坂上田村麻呂のころは霊場だったことに思いを馳せます。
時間があったので、
清水から待ち合わせ場所の四条大橋まで散策するように東山の街並みを見て歩きました。
途中たいそう立派な五重塔が街中に所狭しと立っているのが目に留まりました。それが法観寺の五重塔で、八坂の塔としてこれまで聞いたことはありましたが、
こんな清水寺のすぐ下の狭い場所にあるとは知りませんでした。清水の山の裾ですから坂が多く、二年坂、三年坂など風流な名前が続きます。
「八」は昔は「いっぱい」の意で用いられて、八百万の神、八百屋、
八雲などものが「たくさんある」ことを指していましたから、
八坂は「たくさんの坂」というくらいの意味か、あるいは一説に「渡来人の八坂氏」かとも言われます。
いずれにしろ、東寺や醍醐寺と共に京都三大五重塔の一つに数えられている名塔で、聖徳太子との縁がある寺院です。
平安京遷都以前から建っていたと言われていますが、現在のものは足利義教によるものだそうです。夕暮れ時の京都町屋の風景に49mもある和様の塔が、
あまりにもしっくりと納まっている情景に歴史的時間の流れを感じさせられます。
廻りが薄暗くなってきた中、建仁寺にも立ち寄ってみましたが、
ここでも方丈や三門で改修工事が行われていて足場で覆われていました。
洛内は改修工事が多いですね。ご存知のように建仁寺は茶を普及させたことでも有名な栄西禅師が開祖となっている臨済宗建仁寺派の総本山です。
京都五山の第3位に列せられる名刹で、俵谷宗達の「風神雷神図」の国宝があることでも有名です。
入場時間はとうに過ぎていたのですが、修学旅行生と一緒に引率の先生に成りすまして法堂内にだけ入ることができました。
天井画の双龍図の下、三尊形式の釈迦如来像が夜の闇に神々しく佇んでいるのは一種感動的ですらあります。中学生の子たちでさえ、
そのお姿に感動を隠せない様子でした。
短い晩秋の夕暮れ時をあわただしく東山界隈を歩き回りいささか疲れました。
祇園で久しぶりに一緒の食事というのでどんな京料理に案内してくれるか期待していましたが、入ったのは「もつ鍋」の店。
今、京の都では流行ってるんですか〜?
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