連休中の一日、北信濃の安曇野を訪れてみました。
かつて、安曇村や明科村、池田町などと呼ばれていたこの盆地一帯は、大同合併によって「安曇野市」に名前が変わって、
最近ではNHKの朝の連続ドラマの舞台としても注目を集めています。
以前、わさび園の透明な小川の流れに魅せられて何回か訪れたことはありましたが、
残雪の残る初夏の頃の来訪は初めてでした。
この盆地から見上げる北アルプスの雄々しい山並の美しさは他に類を見ません。
池田町立美術館の麓から見る北アルプスは南側の常念岳から始まって、北へ大天井岳、燕岳、餓鬼岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、
白馬岳と3000m級の名峰が所狭しとひしめきあっています。この時期、田に水が入り始めて山並を映し出し、丘には桃の花が色を添えて、
絵筆をとりたくなるような気持ちにさせられる風景となります。
学生の頃、前期試験の勉強と称しては毎夏信州の学生村へと来ていました。高遠町、乗鞍高原、聖高原、松原湖、
望月高原など場所を変えて1ヶ月くらい滞在したものでした。美しい風景と色々な人と巡り合いながら、
その朴訥で優しい県民性が好きで信州には特別の愛着を持っています。
この盆地を南に少し下るとすぐ松本平に着きます。国宝である松本城には観光客が多く訪れていて、
城内を観覧するのに3時間かかると聞いて中に入るのはあきらめました。この松本城は珍しい平城で外壁が黒く塗られていて別名烏城とも呼ばれていますが、
その外堀越しに見える三角形の金字塔のようにそびえている山が常念岳です。
『地元出身の作家・臼井吉見氏が書いています。松本の氏の小学校の校長はいつも外を指して「常念を見よ」と言ったが、
その言葉だけが今も強く記憶に残っている、と。』深田久弥さんの「日本百名山」の常念岳の項に出てくる話です。
松本の人にとってそのくらい特別の山であり続ける常念岳は日本アルプスを世界に紹介した英国人ウェストンをも魅了し、彼も明治27年に初登頂しています。
昔登山者が野営していると、頂上から風に乗ってお経と鐘の音が聞こえてきて夜通し続くので山へは二度と近づかなかったことから「常念坊」
という名前を付けたと同書にあります。そんな宗教的な名前を戴くにふさわしい荘厳な美しい山です。
この松本平を訪れたのにはもう一つ理由がありました。
新書「寺よ、変われ」で形骸化した葬式仏教に警鐘を鳴らし、
僧侶として多彩な活動の中から新しい寺の在り方を具体的に提起して活動している高橋卓志氏の寺を訪ねたかったからです。
松本浅間温泉の山あいにある神宮寺という臨済宗の禅寺です。
檀家とはいえ普段は行く機会の少ないお寺に、様々なイベントや法要を現代の人に受け入れやすく咀嚼して開催し、
お寺に信者が「面白く」行けるようにしている活動が新鮮です。
人が生きていく限り、宗教とは無意識のうちにも無縁であり続けることはできません。悩みや病気に際して、
解決できないまでもせめて相談に乗って聞いてもらえることができればどんなに気が休まることか。
そんな開かれたお寺に若い人たちが多く出かけてくるというのです。
今、死や生に対する価値観に変化の兆しが出てきていることに鑑みても、お寺の在り方も少しづつ変えていくことが求められているのでしょう。
大乗仏教が示す五戒の中の「不殺生」を反戦、平和に発展させ、八月には当寺で原爆忌を行うだけでなく、被曝した広島で燃えていた残り火を、
屋久島に住んだ詩人「山尾三省」氏の渾身の詩と共に、ホール入り口に「原爆の火」として灯し続けています。
形骸化した葬儀・法事の在り方を改めるだけでなく、様々な「苦」を抱えて生きている人々を支える拠点となるべきではないかと、
コンビニの倍、8万余もある寺の変革を訴えています。
地方から、少しずつ変革の兆しが芽生えているのを、少しうれしく、目を細めて見てきたのでした。
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