住宅でも上棟式があまり華美に行われなくなってきて久しいですが、わが社ではそれでも最低限のことと考えて上棟式を行っています。
屋根の一番高い棟木という所に台を作ってお供え物を上げ、お施主さんと共に上棟までの感謝と、今後の完成までの無事と安全を祈願することにしています。
たいがいは神官を呼ばずに私が祝詞(のりと)をあげますが、祝詞の内容は分かりやすく咀嚼すると次のようになります。
「高天原にいる豊宇気(とようけ)の命(みこと)や、彦狭知(ひこさち)の命(みこと)たちにおかれては、地上に降りてきていただき、
用意しましたお供えものを食べてください。これまで匠たちが日夜励んで加工した材料で、今しがた組み立て終わり無事上棟することができました。
この棟木をはじめとする材料がいつまでも朽ちることなく、そしてこの家が千代に八千代に栄えるよう見守っていてください。」そんな意味の内容になっています。
私はいつもこのくだりを読み上げるたびにぐっとくるものがあります。墨付けから始めて、
材料を吟味しながら幾日も加工していく工程を踏んで上棟の運びとなりますが、大工棟梁にとっては間違いがないか、不足はないか、
建ちきるまで夜も眠れない日が続くものです。かつてこの欄で紹介した京都・千本釈迦堂のおかめ信仰や、近在の歓喜院本殿の門での言い伝えなど、
寸法間違いで命を絶った話は多く残っています。それだけに上棟式は感慨深いものがあるし、かつては「棟梁送り」までして棟梁の腕を讃えたものでした。
プレカットが主流になって墨付けや加工という労苦がないと、この祝詞の意味はぴんと来ないと思います。
そして、かつては必ずと言ってよいくらいに棟札をその時の記録として棟木の下に納めたものでした。
寺院建築での棟札の歴史は古く、現在中尊寺に伝わる保安三年(1122年)のものが最も古い棟札と言われています。
棟札には、上棟や竣工の年月日や工事関係者の名前などが書かれていて、年代を確定する貴重な資料ともなります。
古建築では、この棟札があるのとないのとでは建物の価値が違ってくるくらいに評価されています。
大きさはまちまちですが、長さは60pのものから先日の玉村八幡宮のように180pもあるものまであります。
剣先といって先を剣のようにとがった形にするのが通常で、下に行くほど巾も1割くらい狭くしています。
必ず上の方に仏法の守護神である「多聞天、持国天、増長天、広目天」の四天王名を書き、建物を守って戴くようにしてあります。
材料は主に檜材が主で、たまに杉や欅のものもあります。
改修や解体される本堂などから出てくる棟札は貴重な上、その内容を読むと建立時のエピソードが分かって興味が尽きません。
上棟・造営・建立・再建・修復・葺替・遷宮などの文字があって工事概要を知ることができますが、
再建と書いてあっても実際は修理だったり、修復と書いてあっても再建・新造だったりすることもあって文字だけで判断するには注意が必要です。
かつて足利市内で古い本堂を再建するため解体した際に出てきた棟札には、建築したときの内容が細かく具体的に書き記されていて感心しました。
よほど記録魔の住職だったようで、建て方の際の天気の様子も書かれ、幸い雨に降られず助かったことや、浄財を集めるのが思うに任せず苦労していて、
材料の質を落とさざるを得なかったことなども書かれていました。
何代か前に当たるであろう方の墨書を見て当の住職も、我がことのように感じ入っていたものです。
棟札のような正式なものでなくても、工匠が気軽に書き残した名前や落書きのようなものも出てきて資料になったりします。
肘木や枡組の木と木が組み合わさったところに描かれていて変色することなく、解体された時にきれいに出てきます。
きっと後世の人に見られることを想像しながら書き記したに違いありません。何百年以上も前の工匠の生活ぶりや仕事ぶりが透けて見えて面白い反面、
その工匠の仕事の出来具合が後世の人の目に晒されることにもなります。
亡くなった先代がいつも「解体されるときに恥ずかしくない仕事をしろ!」と言っていたのを思い出します。
きっと寺院建築の改修を多く手掛けてきて、いいもの・悪いものを見てきた経験から出た言葉なのだと思います。
後世、会うこともない人たちに見られるというのも「ものづくりのロマン」であると言えますが、反面、後世の人の評価に耐えるような、 責任あることなのだと戒めています。
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