明けましておめでとうございます。
新年早々の1月の第4日曜日に日本建築学会群馬支所主催で「群馬の近世神社建築と近代和風建築」と題された見学会が催され、
参加してきました。
朝、前橋工科大学前に集合して、バスにて4つの重要文化財級の建築物を見て回る企画です。
参加人員は40名ほどで、案内役は県の文化財保護審議委員を務める村田敬一先生でした。
地元の建築物とはいえ中々あらたまって巡る機会のない建物を、説明付きで見られることはそうあるものではありません。
厳寒の中ではありましたが充実した一日となりました。
最初に行ったのは玉村八幡宮。本殿が県で最初に国の重要文化財に指定されたもので、800年の歴史を持ち、
境内には社殿の他、随神門、神楽殿を備えている由緒ある神社です。多くの棟札がしっかり残されていて、室町後期創建と思われる本殿、
奥行き2間、3間社流造りで屋根は柿葺きになっています。外観の様式は簡素でながらこの時代特有のバランスの良さを感じさせ優美です。
宮司さんの配慮で幣殿まで上がらせてもらい、創建当初の本殿彫刻彩色を近くで見ることができました。
金襴巻の正面柱や異形の水引虹梁などの彩色が見事です。
当時開発されたばかりの新田だった玉村の地で、永くに渡り大切にされてきたことが分かります。
続いて行ったのが伊勢崎にある旧森村邸。製糸会社、煉瓦工事等で財を成した連取・森村家はもともと旗本の駒井氏の地方代官を務めた家柄でした。
一時はこの地から伊勢崎駅まで他人の土地を踏まずに行けたと言われているそうです。
明治9年に上棟したとされる2階建て住宅は廃藩置県で解体された陣屋の玄関を式台付でここに移築したそうです。
セガイ造りや出梁式になった構造にも関わらず2階が蚕屋となっているのはいかにも群馬建築です。
蔵2棟、赤松とカヤの大木も含めて往時の隆盛が偲ばれます。印象的だったのは柱や梁に残された「打ちこわし」による刀の傷跡で、
当家のものは慶応四年三月十一日に受けたものとのことでした。百姓一揆と並んで幕藩制崩壊を促した社会運動の歴史を物語る資料です。
昼食をはさんでからは桐生天満宮に向かいました。ここは何と言っても本殿の彫刻に尽きます。ほぼ全面といってよいほどに彫刻と彩色で覆い尽くされ、
建築というよりはむしろ彫刻物というべき外観を呈していて圧倒されます。群馬のみならず北関東随一と言われる所以です。
彫刻大工は武州の名工・関口文治郎で、妻沼・聖天様の彫刻でも知られた人です。
絵師も狩野派の流れを汲む洞山益廣であることが棟札からわかっています。
その内容からして10年単位での工事だったでしょう。寛政年間上棟とのことですので、1789年ころと言われています。
江戸中期の権現造りで建築の彫刻化の進んだ部類の装飾建築の一つに数えられます。
また拝殿内部に掛けられている絵馬には絹売りの情景が描かれており貴重な往時の資料として残されています。
当時これだけの建物が残されたのには、それを裏付ける資金が必要だったはずで、
この絵馬に描かれた絹織物がもたらしたその財力の大きさから往時の桐生の底力を感じます。
そして最後が以前この欄でも紹介した太田の旧中島新邸でした。
村田先生の一連の碩学に裏打ちされた説明が分かりやすく、久しぶりに授業を受けたように感じられました。
近現代に使われる和風建築を理解するには、それ以前の日本の伝統建築を理解することが重要だという指摘は正鵠を射ていて、
デザインを考えたり読み解いたりする際のキーポイントだと思いました。多くの和風建築は伝統建築からの引用や暗喩によって成り立っていることが多いからです。
その裏には神社と仏教建築、更には神仏習合や本地垂迹説、そして明治初期の廃仏毀釈など歴史としての認識も必要とされることを教わったように思います。
それにしてもこの寒い中、歴史好きの向上心のある老若男女が40名余も参加されて熱心に見て廻られたのには、こちらが気圧されるようでした。
今年も良い年になりますよう。
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