建築学科を卒業した者にとって最初の関門となるのが建築士の国家試験であるのは衆議の一致するところですが、
他の業種と同様、建築分野でも専門性が分かれてきていることに鑑みて、その資格も多様化しています。
1,2級建築士の他、木造建築士、建築設備士、構造設計士、施工管理技士等々、多岐にわたります。
その中でも1級建築士の資格がやはり最終の目標となります。
建物の規模、コンクリートや鉄骨、木造などの構造種別に制限なく設計ができることを許されている国家資格が1級建築士です。
最短での受験資格が大学の建築学科を卒業後、2年間の実務経験を経て受検することができます。
学科と設計製図に分かれて試験があり、5教科ある学科試験に合格した者だけが設計製図の試験を受けられ、
その合格者が晴れて1級建築士となります。設計の試験に失敗しても3年間は学科免除となって再試験に臨めますが、それ以上は学科からの再受験となります。
今年度の設計製図の合格者が12月16日にありましたが、今年度の学科合格率は15.1%、その内の製図合格率が41.8%で総合合格率は10.3%となっています。
データから言うと、合格者の平均年齢は32.7才、男女比率は8:2だそうです。
5年ほど前から合格の門戸が狭くなり、平成18年度は総合合格率7.4%という低率でした。
司法試験や公認会計士とは一概に比べられないにしても、決して易しい国家試験とは言えません。
1級建築士を一躍有名にしたのは5〜6年前に起きた構造計算偽装事件、いわゆる「姉歯事件」でした。
建築界にとっても社会的にも衝撃的な事件でした。
構造計算ソフトによる計算フローの最後の判定で「NG」となったものを修正して「OK」とした単純な偽装に検査側も気づかず、
国会で大問題となり、テレビでは完成したばかりのマンションが解体されていく映像が流されたことはまだ記憶に新しいかと思います。
しかし「大山鳴動鼠一匹」。大騒ぎした結果は結局、姉歯1級建築士の「単独犯」で幕は閉じました。
国民の生命と財産を守るべき建築物を自らの利益のため偽装して構造の弱いもので設計したという建築士としての犯罪と、
それを見過ごした国交省側も責任を問われ、社会的信頼回復の為確認申請の厳格化の他、一手段として先の建築士試験の難度を上げるという方法がとられました。
果たしてそれが的を得た手段だったかどうかは時間の経過が必要でしょうが、少し論点がずれているようにも感じます。
なぜなら、難しい試験をクリアできた人が必ずしもモラルの高い建築士になる保証などないからです。
行政の責任をかわす姿勢が垣間見えるようです。
結果、1級建築士試験は難しくなり、さらに構造、設備等専門性の高い分野の資格が新設されました。
これまで不遇を囲った構造家や設備設計士たちには少しばかり日が当たりだして良いこともないではありませんが、
世は不況の時代。若者の建築離れが進む中での難化にどれほどの意味があるのか測りかねます。
昔から1級建築士は「足の裏についた米粒」だといわれてきました。その心は、「気になって取らなければならないけれど、とっても喰えない」。
資格としては取らなければならないけれど、資格だけでは食べていけないというアイロニーでした。
弁護士や医師などと違い、ある意味建築士としての職能が確立していないのだろうと思います。
それは建築士側の責任も少なからずあるかとは思いますが、土壌として「設計」という価値を認めてもらえない風土もあるのではないかと思います。
日本建築がその多くを大工棟梁の設計施工に負ってきた歴史、現在でもあるゼネコンやハウスメーカーによる「設計施工」の一貫工事など世界的に見ても珍しい形態が、
「設計」いう現物に表れにくい創造的行為を認めないことにつながっているとも言われています。
とはいっても米粒は米粒。取らないと前に進みません。
今年の試験で長男の息子が首尾よく合格となり、晴れて「1級建築士」の誕生ですが、政府の新年度予算でも公共事業費1兆円削減が確実な状況の中、 取っても食えない米粒となるかどうかは本人のやり方次第。音楽コンクールと同じで、到達点でなく、出発点の気持ちを持つのが大事だと、 我がことを振り返って思う年の暮れです。
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