今年の会社の研修旅行で滋賀県まで足を延ばしてきました。関ヶ原越えは一泊では無理かと思っていましたが、高速交通網が整備されてきておかげで、
彦根インターチェンジまで530qを6時間で行けるようになりました。街並みや古建築を見るのであれば、関西方面がやはり一日の長があり、
滋賀県は京都よりも寺院数が多いことでも知られています。1470年頃の応仁の乱で焼け野原となった京都とは違い、
それ以前の建築物が残されているのも魅力の一つです。以前この欄でも紹介させて戴いた西明寺や金剛輪寺、
湖南の常楽寺や長寿寺などの国宝群は信長の比叡山焼き討ちの時にもその難を逃れ、
鎌倉期の遺構として今に残されています。
滋賀はかつて近江といい、琵琶湖という大湖があったためか語源は淡海(あわうみ)―淡水の海、
から来たとされ、かつては多くの渡来人も住んだといわれます。琵琶湖の東西南北で違った土地柄を持っていて、
今回訪ねたのは湖東から湖北と呼ばれる琵琶湖西岸の町々で、彦根から長浜方面を見て廻りました。
彦根はといえば、大坂城の秀頼討伐を視野に入れた家康の命によって築城されたという井伊家の彦根城がやはり中心で、
大老井伊直弼暗殺を描いた映画「桜田門外の変」が封切られて公開されていますし、
なんといっても「ゆるキャラ」の発祥の元になった「ひこにゃん」が人気です。
この時も彦根城で「全国ゆるキャラ大会」が催されていて、長蛇の列ができていたのには驚かされました。
人気のほどが伺われます。
宿泊した長浜は御存じの通り秀吉が最初に治めた街で、北国街道の要衝地として栄えてきました。
黒壁の街並みを復元した町おこしで成功したところとしても全国的に知られており、
黒漆喰で覆われた黒壁スクエアには毎年300万人の観光客が訪れると言われています。
越前福井まで車で30分程度とされ、その北陸までの文化的近さも感じられ所です。
まちは来年のNHK大河ドラマに決まっている浅井三姉妹の三女「江」の地元として早くも幟や看板が多く立てられ、
新しい観光資源として取り組んでいることが分かります。
湖東の西明寺、長浜市内の浄土真宗別院の大通寺を見て廻ったほか、
向源寺にある国宝の「十一面観音立像」が見られたのは僥倖でした。
聖武天皇の天平年間に疫病除災のために造られたといわれる一木造りの観音像ですが、
その立ち姿や飾り等にインドや西域の雰囲気を伝えている美しい立像です。
本堂とは別の耐火構造の建屋に納められていますが、
鑑賞者が四方から見えるように展示されているのでそのお後姿も見ることが出来ます。
その日はちょうどご住職の説明のある日で、
中心部が安定のために逆三角形に繰り抜いてある細工についての説明があり、
その繰り抜く技術に感心しながら聞くことができました。
近江といえば「近江商人」。その商売の仕方は他に類を見ない「出張しての商い」を得意としてきました。近江の地は昔から豊な土地柄であったらしく、
その余裕が遠隔地商業を生んだ背景であると言われます。
近江商人にルーツ持つ企業だけでも、丸紅、伊藤忠、高島屋、東洋紡、日本生命、ワコール等々とずらり有名企業名が並びます。
近江商人の家訓に「三方よし」の合言葉があると言われています。「売手よし」、「買手よし」、「世間よし」。
前二つは分かりますが、最後の「世間よし」は商売に出向いた地域への貢献を説いたものといわれています。
そのために幕藩制度下でも全国的な経済活動が許されたのだと言います。
いつの世でも商売は自分だけ良ければよいというものではないことを、この近江商人の精神が教えてくれます。
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