先月に引き続いての京都散策の続編となりますが、2日目は一般にはあまり行かない洛西の高雄方面を廻りました。
渡月橋から車で国道162号線を30分も行くと「洛西の三尾」と称される「高雄・槇尾・栂尾」の山々があり、
中でも「高雄」は日本屈指の紅葉の名所と言われます。
その清滝川沿いにある3ヶ寺の内、今回は神護寺(じんごじ)が目的でした。この寺院の歴史は古く、平安時代初期に和気清麻呂が建てたと言われており、
その後空海と最澄が同時期に修業をしたことで有名です。
多くの国宝がある中、本尊の「薬師如来立像」と「伝源頼朝像」が特に傑作の誉れ高い名宝です。
この寺院は清滝川沿いの駐車場から山道の350段の階段を20分ほど掛けて歩いていかねばなりませんが、
着いてすぐ見上げる楼門の情景は、よく紅葉時の写真で見かけるあの神護寺山門の光景です。
金堂は更に奥の壁のように立ちはだかる石段を登ってその全容を見ることができます。翼のようにのびのびと広がる屋根や、肘木や透かし蟇股、
そして板唐戸が徐々に視界に入ってきます。この金堂は戦乱期に焼失していたものを昭和に入って再建されたものですが、建築的には傑作と言われているものです。
中にある「薬師如来立像」は千二百年前の製作と言われ、最澄も空海も拝したと言われます。ノミの跡が残る一木作りのお姿には周囲を圧倒する強い精神性を感じます。
そして寺宝の公開がちょうどこの日に当たった幸運から、藤原隆信筆と言われる「伝源頼朝像」を見ることができたのは僥倖でした。
かつてフランスの文化相だったアンドレ・マルローが「日本のモナリザ」とまで絶賛した肖像画ですが、
気高い顔立ちと品格のある画線は他を圧倒する雰囲気があります。
もう一つ、神護寺で有名なのが「かわらけ投げ」です。かわらけとは厄除と描かれた小ぶりな素焼きの盃のことで、これを錦雲渓が望める高台から、
遥か下の清滝川まで飛ばすことが出来れば願いごとが叶うというものです。
うまく気流に乗せられればふわりと飛ばすことができますが一回目はうまくいかないもので、
二枚で100円という理由が分かります。
高雄からもう少し北へ車で行くと、北山に出ることができます。
ここは言わずと知れた北山杉の産地で、床の間や数寄屋建築には欠かせない杉の磨き丸太や絞り丸太で有名です。
関東のように強い風が吹くことがなくまっすぐ垂直に林立することができると言われます。
ちょうど木材組合の主催するイベントが開かれていましたが、
600年続く杣木(そまぎ)と言われる京都の建築用材供給地の伝統を感じます。
京都の木材といえばもう一つは竹。化野念仏寺にある竹道などはもう京都ならではの雰囲気を醸し出しています。
古い伝統のなかで生きるということは困難なものがあると思われます。昔人のよき財産を残しながら、
現代の利便性のよい生活にも対応していかねばなりませんし、生活の糧も得なければならない。どちらかを程良く残し、
程よく我慢もする。そんな手慣れた生活の知恵を京都には感じます。「共生」と言われる考え方も決して最近に出た考えでなく、
すでに日本人自身が過去において実践してきた発想なのです。
エネルギー資源には恵まれない国ですが木材資源は世界有数の産出国です。
菅新内閣の新成長戦略のなかで林業の再生が高らかに謳われています。遅きに失したとも思いますが、やらなければならない我々の義務かと思います。
京都のような古都で見る物の中からそんな知恵を学ばねば古人に申し訳なくも思いました。
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