連休を利用して相変わらず忙しく2日間の京都散策にでかけてきましたので2回に分けて書かせていただきます。
青葉香る時期の京都も人気のようで、駅構内からして人があふれていました。
今回は少し洛中から離れて北の方面を廻ってみようと寺院を選んでいきました。
初日は西本願寺から西陣方面を歩きました。通称『千本釈迦堂』と呼ばれる大報恩寺という国宝のお寺があります。
西陣の地名は応仁の乱の時に東西にわかれて戦ったそれぞれの陣地があったことから付いたことで有名ですが、
この本堂は京都市内にあって幸運にもその応仁の乱の火災を免れて創建当初のまま今日に至っているそうで、
京都市内最古の建築と言われます。鎌倉時代1227年の上棟が確認されており、昭和29年に解体修理がおこなわれています。
丸柱に蔀戸で囲われた鎌倉和様の古例として貴重で、桁行5間、梁間6間の平面に流れ向拝付きで、
檜皮葺きで引き渡し勾配が5寸ちょっとくらいかと思うような緩やかな屋根勾配になっています。向拝に水引や海老のような繋ぎ虹梁が
付いていないのが時代的特徴にもなっています。
この寺院には『おかめ信仰』という伝説が残っていて境内に『おかめ塚』が置かれています。
義空上人の発願により洛中洛外でも名の知れた 『高次』という棟梁がその造営責任者に選ばれましたが、名棟梁の『千慮の一失』ともいうべきか、
四天柱の1本を過って短く切り落としてしまいました。心憂いの毎日を過ごしている夫の姿を見た妻の阿亀は古い記録を思い出して、
いっそ斗供を施せばという一言を提案し上部にこの着想を入れて無事上棟の日を迎えることができたと言われています。
しかし、阿亀は女の提言を入れたことが世間に知れることを心配して、その身を夫の名声に捧げようと決意して、自刃し果てたと伝わります。
それ以降阿亀の徳に同情を寄せた人々によって『おかめ塚』が作られたと伝わります。なんと健気な奥方だったのかと思わずには居られませんが、
一緒に見ていた家内は無言でしたが、内心「私はいやだわ。」と思ったかどうか、
愚問のようだったので聞きませんでしたが。
西陣には学問の神様である菅原道真を祀る『北野天満宮』もあり、若い人が列をなして参拝を待っているのに少々驚かされました。
この天満宮の脇に『上七軒』と呼ばれる京都五花街の中で最も古い花街があります。天満宮再建の際に余った木材で7軒の茶店を建てたのが
はじまりとされる由緒ある花街で、舞妓さんの歩くのが似合いそうな古風な感じの街並みになっています。
ここにある『くろすけ』という豆腐料理屋さんで昼食を取りましたが、湯葉、高野、おぼろ、茶巾の豆腐づくしもなかなか風情があって楽しめました。
この後臨済宗の本山である妙心寺を廻り、有名な庭園をもつ退蔵院や大心院の塔頭を歩きこの日の宿である渡月亭に投宿しました。連休のせいか、
渡月橋は人人でごった返していて、保津川ではボートが多く出て、夕方の日差しに映えていました。
2日目の洛北、高尾方面は次号に続きます。
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