福島県会津若松市にある「日新館」を訪ねる機会がありました。
言わずと知れた江戸時代にあった旧会津藩の藩校で、何年か前、
ベストセラーになった藤原正彦氏の「国家の品格」でも紹介された教育方法でも有名なところです。
「会津」と聞いただけで、心の奥になにか痛点見たいなものを感じてしまいます。
戊辰戦争の時、幕府佐幕派の領袖として新政府軍に朝敵、賊軍扱いされ、世に言う会津戦争で鶴ヶ城は落ち、
白虎隊などの悲しい悲劇を起こすことになります。歴史は常に勝者の歴史で綴られていますから、
私たちが教科書で教わる明治維新は薩長の新政府側が正義で、会津などの東北連藩側は悪のイメージで語られてしまいがちです。
中公新書に「ある明治人の記録」という本があります。 「会津人柴五郎の遺書」という副題が付けられ、北清事変で世界に名を馳せた柴五郎の半生が描かれています。
そこには会津落城の際に自刃した祖母、母、姉妹を偲びながら、降伏後下北の辺地に移封され、 藩の人々が寒さと飢えに苦しめられた半生が語られていますが、これを読んで強いショックを受け呆然とした覚えがあります。
「一体歴史というものは誰が演じ、誰がつくったものなのか」と答えの与えられない疑問を持ったものでした。 一藩をあげての流罪にも等しい、史上まれにみる過酷な処罰事件がこれまで闇に葬られてきました。
明治になってもこの敵意は続き、官庁への人材登用の点においても会津人は差別を受け続けました。 薩長藩閥政府、官庁独善主義体制は今なお続いています。
そんな会津にはかつて肥前・鍋島藩と並んで2大藩校と言われた「日新館」が存在し、その教育方法、
人材発掘のシステムには今日のような時代には特に見習うべきことが多いように思います。
中でも今の小学生低学年位を対象とした「什(じゅう)の掟」は有名です。
一、 年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
二、 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
三、 嘘言をいうことはなりませぬ。
四、 卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
五、 弱い者をいじめてはなりませぬ。
六、 戸外で物を食べてはなりませぬ。
七、 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。
八、 ならぬことはならぬものです。
時代的な差はあっても、今の子供たちに教えておきたいことでもあります。
最後の「ならぬことはならぬものです」の一文を前の藤原正彦さんは称賛していました。
しつけに理屈はいらない、価値観の押しつけが子供の教育には肝心だと言います。これを見るにつけ、
今と昔で一番違っているのは「公(おおやけ)」の精神ではないかと考えてしまいます。
マナーとか礼儀と言われるものが昔はできて、今はできていないような気がしてなりません。
長岡藩の「米百俵」の話ではありませんが、教育には国を挙げて取り組むべき責務があります。 経済の発展も、科学技術の進歩も全ては将来の人材たる子供たちへの教育次第なのですから。
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