時代的な流れから会社での従業員旅行というものが少なくなっている昨今ですが、
赤石建設では研修という名目で今でも行っていて、今年は1泊で長良川方面を皆で見て回りました。
バスで行く旅行先としては少し距離がありましたが、建築物を見て回るにはやはり中部、関西方面はいいものがたくさんあります。
ざっと一日目が明治村と国宝・犬山城、2日目が熱田神宮と国宝・永保寺と歴史建築廻りとなりました。
その中で2日目の熱田神宮と永保寺が楽しめました。熱田神宮は日本書紀にも記載され、1900年という歴史を誇っており、
信長が桶狭間の戦いに臨む際も必勝祈願したことでも知られ、
その大勝したことの返礼として贈ったとされる信長塀と言われる築地塀が残っているほどの由緒ある神社です。
本殿も含めた神宮会館が改築なってから1ヶ月ほどで、まだ境内にヒバの香りが漂っている状態でした。
職人魂なのでしょうか、つい柱や建具を指で叩いては仕上がり具合を確認してしまいます。
一同大がかりな造作に大変感心していました。
国宝の永保寺は岐阜県の多治見市にある臨済宗の古刹で、
鎌倉時代末期に夢窓疎石を開基として建てられたとあり、禅宗様式の開山堂と観音堂が創建当初のまま残っています。
隆盛を極めた室町期には30を超える僧坊や塔頭があったようですが、
応仁の乱の兵火でほとんどを焼失し二塔だけが残ったと言われています。
この多治見の地まで応仁の戦火が広がっていたことに改めて驚かされました。
開山堂は室町期の簡素な禅宗様仏殿で方三間の二重扇垂木で組物は三手先の詰組となっています。
観音堂は同じ間口ながら裳階を持ち、前面板敷きの吹き放ちで開放的、組物も簡素な出組で軒は垂木なしの板軒であっさり見せています。
いずれも軒の反りあがりは禅宗様式の典型のように反り上がって、あたかも鳥の翼のようです。
でもここの一番の見どころは虎渓山と呼ばれるそのロケーションの良さにあると思います。
山の起伏と土岐川の奇岩清流を借景にした園池のある庭園が一番の眼目なのです。
臥龍池と呼ばれる池に架かった無際橋はこの境内の中心です。見とれていてあっと思いだしたのが、
昨年行った山形・酒井にある土門拳記念館のパンフレットでした。帰ってから探してみてやはりと思いました。
土門拳はこの無際橋を1962年に写真に残しているのです。その墨絵のような写真があまりに印象的だったのですが、
この永保寺が被写体だったのです。私の撮った写真と何と違うことか。今更のようにそのセンスと技術に感服します。
本堂と庫裏が2003年に火災で焼失後、現在復興中で、上屋の架かった下で飛騨の匠による工事が進行中だったのは僥倖でした。 思わぬ工事現場で皆食い入るようにしばし見学し、目を輝かしていました。 いつも自分たちの現場でしか工事を見ていない彼ら若手の宮大工に一流の国宝や他の工事現場を見てもらえるのはこの上ない学習機会です。 その向上心さえなくさなければ、「今どきの若い者」も捨てたものではないのです。 「尾張のうつけ」と言われた若き日の信長も、家臣からは「今どきの若い者」は、と言われていたのですから。
|