FPグループの全国役員会出席のため、札幌を訪れてきました。
昨年の同会議以来で、前回は洞爺湖サミット開催に合わせて「環境総合展」が開かれて見学したことを
この「うんちく欄」で紹介しました。たった1年での経済の様変わりは目を疑うばかりで、リーマン・ショック以来、
北海道経済もその影響からあまり良くない状況が続いていると聞きました。
翌日のフライト前に少しばかり時間があったので、市内から車で40分位のところにある「モエレ沼公園」とい所を訪ねて来ました。
ここは、札幌市の市街地を公園や緑地の帯で包み込もうという「環境グリーンベルト構想」の拠点公園として計画されたものです。
もともとはゴミ処理場として利用した後、公園造成を行うという事業として整備が始められたようです。
周囲の貯留池としてのモエレ沼と共に大きなスケールでの公園地帯となっていて、
標高62mのモエレ山の頂上からは札幌市内が360度展望でき壮観です。
ここのマスタープランを行ったのが日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチでした。
長い間公園づくりのアイデアを温め続けてきたノグチにとっては絶好の機会であり、
「全体を一つの彫刻とみなした公園」の設計に精魂を傾けたと言われます。
彼はマスタープランを完成させた1988年の暮れに急逝してしまいますが、
その遺志は市によって継続され2005年に完成をみます。広大な大地に刻まれた彫刻家の夢と、
緑豊かな環境を次世代へ残したいという願いが結実しています。
中心にある「ガラスのピラミッド」の中にあるギャラリーでは彼の業績も紹介しています。
イサム・ノグチには昔、広島の原爆慰霊碑のデザインに関わった苦い思い出があります。
今の鞍型の形の慰霊碑は丹下健三氏の設計ですが、その前にイサム・ノグチにデザインが委託されていたことはあまり知られていません。
当初丹下氏から依頼されたとき、彼は大変意気に感じ無報酬でその設計を引き受け一心に取り組み、
子宮をイメージしたというアーチ型の量塊感のあるデザインを提案しました。しかし、製作直前になり、
国の専門委員会の岸田日出刀から「なぜ原爆を投下した国の人間が作るのか、日本人の手によるべきではないか」との反問にあい、
断腸の思いで辞退することになります。彼は晩年までその実現を望んでいましたがついぞ叶いませんでした。
モエレ沼公園にある彼のデザインした遊具施設の一つにその面影を見るのは余りに穿ち過ぎでしょうか。
余談ながらさらにその岸田は噛みつきます。碑に刻まれた文章を見て、 『「過ちは繰り返しませぬから」とは誰が誰に言おうとしているのか。 侵略戦争のようなものは二度としませんからとでも言っているのだろうが、
あの残虐無慚な死に方をした多くの人たちの冥福とは何の関係もないことだ。只一言、「慰霊」の二文字だけでいい』、と。 何とはなしに見慣れている情景の中にも様々な歴史と議論があったことを記憶しておく必要があるように思います。
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