高速道が休日は1,000円ときいて、折角なので長野県上田市を訪ねてきました。
この盆地一帯は塩田平と呼ばれ、多くの文化財的古建築が残されている地域でもあります。鎌倉時代中期に執権連署だった
北条義政が鎌倉から塩田城に移って以来、塩田北条氏三代の本拠地としてこの塩田平は栄えたと云われます。鎌倉と塩田を結ぶ
鎌倉街道が整備され、優秀な学僧が塩田を訪れて鎌倉文化が花開き、今でいう一大学園都市の様相を呈していたと云われます。
今でこそ鄙びた地方ですが、ここに国宝をはじめとする多くの寺院建築や仏像類が保存良く残されているのに驚かされます。
特に3つの三重塔が出色です。
「建長(鎌倉の建長寺)と塩田(安楽寺)」と比肩されたほどの曹洞宗・安楽寺には日本で唯一の八角三重塔が国宝として
残っています。中国の塔を彷彿させる禅宗様式で、大正期の修理の時に鎌倉時代末期の建立であることが判明。三手先、二重軒の
組手に扇垂木という定法に沿った技術は確かなものですが、見慣れない八角塔のせいか奇異な感じがしてしまうのも事実です。
更に、安楽寺から車で15分ほどの青木村というところには天台宗の大法寺があります。この三重塔も国宝指定されていて
「見返りの塔」という名で親しまれています。塔の姿があまりにも美しいので、思わず振り返るほどであるという意から
付けられたと云われています。これも鎌倉末期の建造で、塩田平を見下ろす丘の中腹に立っていて周囲の風光との調和も手伝って
美しい塔に仕立てられています。
逓減率という初重から次第に二重、三重と上に行くに従って巾を小さくしていく加減が絶妙で、特に初重を二手先にして平面を
大きくとっている手法は、奈良の興福寺三重塔にあるだけとされます。墨書により大阪四天王寺の工匠が呼ばれてきて作ったことが
分かっていると聞いて、地方のくずれがない簡素な洗練さの理由が分かりました。
塩田平にはもう一つ「未完成の完成品」と言われる前山寺三重塔(重文)があります。室町期の建造ですが、二重、三重部の
高欄や扉が加工途中になっており未完とされますが、その理由は分からないとのこと。
全国には13の国宝三重塔がありますが、東日本にあるのは鎌倉を除いてはこの塩田平に二塔だけで、ここが「信州の鎌倉」
と云われる所以です。かつて北条氏の権勢が偲ばれるのと共に、信玄や謙信の狭間で戦場となったこの地でよくぞ残されて来た
と思います。その後の保守・保存の努力に感謝ぜずには居られません。
上田には、近くに窪島誠一郎氏が主宰する「無言館」という美術館が前山寺の近くにあり寄ってみました。ここは太平洋戦争で
戦没した、東京美術学校(現芸大)などの画学生の遺作や書簡が展示されています。自分の恋人、家族との団欒、果たせなかった
想いを画面に描きながら、志半ばで散っていった画学生の思いが伝わり、心を打たれます。
三重塔はよい目の肥しになりましたが、こちらでは目に涙をためるだけでした。
|
|