2年ほど前、近江琵琶湖東岸にある「湖東三山」を訪ねたことを記しましたが、
それに呼応するように5年前ほど前琵琶湖南岸にある天台宗の三つの寺が「湖南三山」と称するようになったと聞いて、
連休を利用してそのうちの「常楽寺」と「長寿寺」に足を運びました。
いずれの本堂も鎌倉から室町期にかけての建立で国宝指定されていて、桧皮葺きの屋根ラインは中世の本堂建築の特徴が
よく出ていて質素で美しく、湖東三山にも劣らぬものがありました。常楽寺には一段小高い場所に立派な三重塔が残存していますが、
長寿寺の方は塔跡のみで、きけば信長によって安土城の菩提寺である總見寺に移され、今も安土の地に残されているそうです。
でも、湖東と違う点はそのロケーションにあるように思いました。大津から車で40〜50分のところですが、ひなびた田園地帯の
平坦な地に「ぞんざいに置いてある」という感が否めませんでした。国宝とはいえ、それは本堂と三重塔の伽藍のみであって、
寺院境内自体の運営は寺院自身の経営に依らざるを得ず、湖東のように観光地化して多くの拝観料収入の見込めるところでないと
境内全体の整備や保守はさぞや大変だろうことが想像されます。村の寺院として身近な存在であることはよいことですが、
文化財の在り方に考えさせられるものがありました。長寿寺で聞いた話ではかつて寺領としてある程度の石高が保証されていましたが、
明治以降寺領没収になると、檀家制度を持たないため、境内の保守は住民の奉仕と自前の整備に頼っているとのことでした。
その素晴らしい国宝本堂を持つが故の寺院経営の大変さに文化行政は手を差し伸べられないものなのでしょうか。
近くには奇岩で有名な「石山寺」、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があることからその名が付けられた「三井寺」、
比叡山延暦寺とその門前町・坂本にある西教寺等がありそれぞれを訪れましたが、いずれも歴史に彩られた壮観な伽藍群は関東にはない
景観を呈していて圧倒され続けていました。
でもそこに横糸を紡ぐ様に共通して現れてくるのは、長寿寺三重塔同様、織田信長の施策に纏わる歴史でした。
それまでよく知らなかったのですが、比叡山焼き打ちはその中心の根本中堂廻りだけを焼いたのではなく、比叡山全体に留まらず、
門前町の坂本の町をも焼き尽くしたことを初めて知りました。訪れた寺院の境内にはその受難の碑が多く見られその歴史の重さを強く感じました。
革命児としての信長側の理屈もあり、難を受けた側の理屈もあるのは承知しているつもりですが、他に方法がなかったのか
何とも惜しまれると共に、歴史とはその時々に生きている者が作っているのだという思いにさせられました。
長寿寺では、休日の高速料金がどこまでも1000円という政府の経済政策を利用して、車で実家に里帰りしてご両親と一緒に
訪れたという若夫婦が、群馬から来たことを聞いて互いに感激し合いました。住職が一日モニターで拝観者のチェックをして、
奥様が拝観説明をしているこの長寿寺で、先ほどの国宝を抱える寺院の御苦労を一緒にお伺いしました。
巡礼で訪ねてきた人の悩み事も相談してあげることもあるという住職夫人ですが、参道脇にあったお地蔵さんの名前が「聞きます地蔵」 となっていたのも、悩みを聞いてあげる彼女の命名だったのでしょうか。
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