瀬戸内の寺町である尾道・福山を訪れてきました。かつて瀬戸内海の港町として
海運業や商業を営む豪商たちによって大いに栄えた尾道は航海安全や家運繁栄を願って多くの寺院が鎌倉時代後期に
建てられています。今回のお目当ては尾道の浄土寺と福山の明王院らの国宝となっている本堂や多宝塔です。
ここを昭和の時代に部分改修した松浦昭次棟梁の話を借りれば、創建当初から640年に亘って大きな改修の
なかったその保存のよさに感嘆させられるということに尽きます。
乾燥した瀬戸内気候にもよるのでしょうが、
それよりも何よりも携わった工匠達の技術の確かさが一番だと言われます。浄土寺では棟札が保存されており
嘉暦2年(1327年)再建で大工は奈良東大寺大工「藤原友国・藤原国定」と確認できています。中世の折衷様式を
よく反映しており、多少きつめの屋根勾配に凛とした美しい軒反りが本瓦葺きによく合っています。
5間四方の決して大きくない本堂ですが、内陣に安置されている本尊は十一面観音菩薩立像ですが秘仏のため三十三年に
一度の開帳でしか見ることができず、次回は2034年とのことでした。
都落ちしていた足利尊氏が九州平定後京の後醍醐帝を討つべく再上洛する折、戦勝祈願のためにこの浄土寺に参詣
したそうです。尊氏が参籠したという脇陣にはその際に詠んで奉納したという和歌が自筆で今も寺に伝わっており、
レプリカながらそれを見た時はちょっと震えました。使われている木材も自然のものを生かして使われており、
丸柱はコブが表しのままだし、くさび割りされた角材は素性のよい木目が表れていました。
細部の意匠でも教えられるところが多く、鎌倉から室町期の中世様式は素晴らしい建築が多いとされる由縁です。
尾道ではこの他に、非常に珍しい一遍上人の踊り念仏で知られる時宗建築の西郷寺や本堂と三重塔が絶妙な配置
を見せる西国寺、かつて五重塔であったものを上二層が傷んだため取払ってしまい三重塔になって山腹に聳える天寧寺を
巡礼してきました。
山頂にある浄土寺奥の院から見下ろす尾道水道と市街の景観を見ると、かつてここを多くの和船が行き来し賑わいを見せたのを
想像するに難くないほど狭い土地に所狭しと街並みと海と寺院が肩を並べています。
奈良や京都の官製の荘厳な寺院群とは一味違い、商人という富裕層が奈良から呼んだ工匠に規則に囚われない自由な感性で
作らせた気概がこの尾道寺院群にはあります。
帰りがてら中国と四国を結ぶ「しまなみ海道」を車で走ってみましたが、近代的な吊橋をいくつか渡ると30分もしない内に
もう伊予の今治に着きます。
穏やかな海と聞いていた瀬戸内海はあたかも湖のようにも感じられ、たくさん採れる魚介類や塩田による製塩によって 豊かな海であることがわかります。日本海や太平洋岸の荒々しい情景と比べると、きっと人間形成の上でも違ったタイプの人が 醸成されるのではないかと考えさせられました。
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