長野市にある善光寺はいわずと知れた民衆信仰のメッカとして人気の寺院ですが、その創建の歴史は古い記録に乏しく、 一説に蘇我・物部両氏の争いによって難波の堀江に捨てられた仏像を秦巨勢太夫(はたのこせだゆう)が奉じて信濃に移したのが始まりで皇極天皇元年といわれます。
およそ1,400年の歴史を有する無宗派の古刹ですが、現在の本堂は焼失の後元禄年間に再建されたもので幕府方の甲良一系の大工集団が手掛けたことが分かっています。
間口5間奥行14間という変則な平面形をもち、広い外陣を持っているのは仏教が民衆化したのに対応したためといわれています。 奥の内陣上の屋根棟が東西軸で桁行方向の棟が南北軸のため上から見ると棟がT字型の入母屋屋根の棟になっており、
それが鐘を鳴らす撞木(しゅもく)に似ていることから撞木造りと呼ばれています。
そんな由緒ある善光寺に隣接して城山公園がありますがその中にあった長野県信濃美術館の建て替えが行われ、 「ランドスケープ・ミュージアム」をコンセプトに新しい県立美術館が完成しました。
駐車場と公園部分に10mの高低差があるのを巧みに利用した本館の屋上広場はその軸線を善光寺に向けたことが良く分かる場所として素晴らしい景観となっています。
床が木製デッキと御影石で張られたその視線の先に善光寺本堂の撞木造りの檜皮葺屋根が望める仕掛けになっています。 下には人々の集まる公園が眺望され遥か山並みまでを見渡すと善光寺の置かれた地理的位置関係が良く分かります。
そして今どきの美術館のおかれた状況をこの施設は良く表しているように思います。
設計段階で何回ものワークショップと呼ばれる市民との対話の機会を設けその声を設計に反映していくと、 市民に開かれたしかも自由に行き来できるものが出来上がっていったそうです。 敷居の高いアカデミックのにおいがプンプンする閉じられた美術館はこうした地方都市には求められないのだとそのトレンドを感じさせます。 中の展示スペースも可動間仕切りで自由に仕切れるユーティリティのあるものになっており、行った際には設計者のプランツアソシエイツの設計展示が行われていて参考になります。 ここまで見せてしまってよいのかと思うほどに設計図書から建築スタディ模型、サッシや金物の実物展示が公開されていました。 建築科学生や設計士の若い人にはぜひ見てもらいたい垂涎の設計資料です。
これらを見ていると大きな組織設計の方たちでも同じく細かい寸法やディテールへのこだわりを持ってやられていることに改めて敬意を抱くことになりました。
そして隣接の東山魁夷館との間のブリッジから見る「水辺のテラス」には中谷芙二子氏による「霧の彫刻」が定期的に表れる仕掛けになってその建築とのコラボが特徴付けされます。
美術館だからともいえますが、今どきの建築には様々な形でのアーティストや専門家集団が必要とされてきていることを実感します。 構造や設備だけでなくサイン計画、照明、展示計画、植栽、家具等々細分化された高度な専門性が求められているのです。
それもそのはずで人口減少社会にあって財政の先細るなか100億円近い総工費を掛けて地方再生の起爆剤として計画している行政側の覚悟も感じとれるのです。 これからは使う側の市民のほうもこれを受け止め覚悟を持って利用価値を見出していかねばならない番なのです。
せっかく近くまで来てお参りしない手はないので善光寺に足を延ばしてきました。 久しぶりに善光寺本堂に入りその広い外陣をしみじみ見回しながら手を合わせ、思い浮かぶままに色々なことをご祈願していました。
すると隣りに中学生らしき息子さんを連れた父子がやはり手を合わせていましたが、お父さんが息子さんに「いいか、お願いするんじゃないんだぞ。感謝をするんだ」。
隣りで現世利益を唱えている自分が恥ずかしく汗顔の至りでした。覚悟が足りませんね。
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