上野・国立博物館で催されている「対決−巨匠たちの日本美術」を見てきました。
日本美術でライバルと目されてきた二人を比較対象とすることでその個性の違いを読み取ることを狙いとしたもので
興味深い企画だと思いました。
運慶VS快慶から始まる12組の「美の対決」はそれこそ名だたる巨匠たちの競演で、各分野に疎い私でも、
つい身を乗り出してしまうような作品群でした。
東大寺南大門の金剛力士像で阿形像と吽形像が運慶・快慶の二人の共作だと言われていたものが、近年の研究でどうも違うらしい
ことが分かってきましたが、そのことが展示された地蔵尊坐像の違いにより何となくわかるような気がします。
絵画の分野では「雪舟VS雪村」、「永徳VS等伯」、「宗達VS光琳」と垂涎の作品が居並びます。ライバルと言っても
時代的に同時代人でなかったり、師弟関係だったりと正確には対決とは言えない設定もある中で、「永徳と等伯」は正に同時代の
ライバルでした。足利将軍や信長ら一級の人物に仕えた永徳は当時画壇のスーパーエリートで、安土城の障壁画や大阪城、聚楽第の
壁画を手掛けます。晩年、狩野派が中心となって進んでいた御所も障壁画制作に割って入ったのが、能登出身で不遇の幼少期を
余儀なくされた天才・等伯で、その駆け引きに疲弊した永徳は一か月後に他界してしまいます。そして時代は等伯派に流れが移っていき、
秀吉の寵愛を受けるまでになっていきます。政治的な駆け引きもあったのでしょうが、その自然に対峙する強烈・大胆な構図の永徳と、
自然に溶け込むような画風の等伯の違いが時代が求めるものの背景にあるのだろうと思われます。
陶器の「長次郎と光悦」では利休好みの楽茶碗から始まり、長次郎の簡素な赤楽焼から光悦の豊麗な陶器への移ろいにため息が
漏れそうです。
そして最も印象的だったのが「円空と木喰」の彫刻群でした。
全国を放浪して各地にその何万とも何十万とも言われる仏像を
残したと言われています。原始的なアミニズムを連想させる円空の荒々しい刀跡で即興的な仏像は、それとは裏腹にどれも太陽のような
微笑みがお顔に表れていて、各地で市井の人々に慕われたろうことが容易に想像できます。
鎌倉以来千年近いこれらの日本美術を俯瞰するにつけ、人や芸術を向上させるものは良きライバルの存在であると共に、先人の偉大さと
その価値を大切に受け継いできた我々日本人の審美眼にも改めて敬服する思いです。
西洋化の嵐の中で廃仏毀釈という愚行を犯したことはありましたが、日本人の持つ自然への畏敬と、ものつくりの繊細さを
もっと現代の我々も大事にしなければいけないことを反省させられました。
猛暑日となったこの日も大勢の見学客でごった返していてその人気ぶりを伺わせます。
展覧会は時間と空間を廻りから隔絶される分集中でき、見終わった後の爽快感もまた格別です。
たまには暑い夏にはいいものですね。
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