北関東自動車道路は関越自動道の高崎ジャンクションから茨城県ひたちなかまでの北関東３県をほぼ直線で結ぶ145㎞ほどの高速道路ですが、 全線開通から今年3月で１０周年を迎えました。当初の予想よりもかなり多い交通量になっているようで、国道５０号線の混雑緩和を目指したとされますがその東西方向の利用の多さに驚かされます。この高速道のおかげで地元太田市から太平洋側や日本海に出るのにどちらも３時間程度で行けるようになり内陸地にとって海が至極近くなりました。
　栃木県の真岡付近から茨城県水戸にいたる道は平野部を貫き周辺の景色がよく見え楽しませてくれます。そんな中に茨城県中西部、栃木県境に接して笠間市という町があります。 人口７万ほどの地方都市ですが、稲田石と笠間稲荷という二大観光資源を擁して有名です。
　今でこそ御影石というと中国産のものがその経済性から市場を席巻し、あまり国産のものは見ることが少なくなりましたが、明治期よりこんにちまで劣化が少なく、 硬く白さの際立った世界的にもトップクラスの品質を持つとされる御影石として稲田産の花崗岩は墓石はもとより国会議事堂、最高裁判所、 東京駅など主だった公共施設にも多く利用されてきました。香川庵治町・愛知岡崎市と並んで日本三大石材産地と称されます。
　そしてもう一つの観光資源がその稲田石を敷石として使い、茨城県で常に１位の年間３００万人越えの参拝客を集める笠間稲荷神社です。
　その歴史は古く伝承で白雉２年（６５１年）創建とされ１,３００年以上前に遡り、日本三大稲荷の一つに数えられます。
　門前に架けられた大鳥居と正面の拝殿は比較的新しくそれぞれ鉄製とコンクリート製で造られています。 しかしここの眼目は何といっても国の重文に指定されている木造の本殿です。江戸後期、安政から万延年間に建てられた銅板葺き総欅の権現造りで、 その周囲にはめ込まれた彫刻群によってその価値が高められています。側柱間に入れられた「蘭亭曲水の宴」と称される嵌め彫刻は精緻を極め、 梁の上には中国の故事が彫られ、向拝には「八方睨み龍」と呼ばれる海老虹梁が触ると折れてしまうのではないかと心配するほどに深く繊細に透かし彫りされています。 建築部材としての柱や土台、長押、頭貫など面として現れる部分はすべて「地紋彫り」が施されています。
　甲良系の東照宮建築から繋がる江戸桃山建築の最後を飾る彫刻群です。棟札から大工は地元の二人の棟梁の名が記されていますが、 彫刻師の中に群馬県境町出身の「弥勒寺音八（みろくじ　おとはち）」の名が確認されています。
　弥勒寺音八はその父音次郎と共に江戸後期上州を中心に活躍した彫刻師で、近在に多くのすぐれた彫り物を残してきました。 音次郎は宮大工棟梁として主に建築のほうを手がけ、音八は彫工として協業していたと思われます。近しいところでも当社が携わった寺社で桐生・観音院、世良田・総持寺総門、 太田・冠稲荷神社聖天宮などで音八の彫刻が確認されています。冠稲荷・聖天宮では外周の嵌め彫刻の他、 内部天井鏡板に嵌め込まれた丸い金龍がきれいに残されていてその力量を今に伝えています。
　音八はこの笠間稲荷本殿の彫り物に安政年間末より１０年の歳月を費やしたと言われます。機械工具がなかった時代、 欅材の堅い材料を手彫りしては刃を研ぎ、研いでは彫りの連続であったでしょう。今でこそ門前が整備され殷賑な雰囲気を醸している笠間稲荷ですが、 江戸後期にあっては田畑と雑木林の広がる鄙びた田舎での住み込み作業だったことが想像されます。
　しかし音八は明治期になって皇居の大改造の話が持ち上がりこの笠間稲荷の完成を待たずに宮中に召されます。笠間稲荷での仕事が音八の北関東での最後の仕事となりました。 そして明治の東京に出て宮中賢所の表玄関車寄せ正面の菊の紋章を彫るという名誉ある仕事を拝命して表舞台に飛翔していったのです。
　音八の１０年掛けての辛苦の彫り物が１５０年の時間を越えていまの私たちを魅了し驚かせています。