新型コロナの感染がなかなか収まらず早や一年が経ちます。なかなか通常の活動ができずにイライラが募りますが、 高齢者の仲間入りをしたせいか過日ワクチン接種の通知が来ました。治験の報告では深刻な副作用が出てなさそうなので接種しようと思っていますが、 一日も早く平常に戻ってほしいと願うばかりです。
　そんなわけでこの稿の取材を兼ねた「小さな旅」にもなかなか出かけることができずにいますが、今回は昨年の冬に尋ねた場所を紹介します。
　埼玉県の中央部に比企郡という地名の地域があります。鎌倉時代に頼朝の家臣団として活躍した比企氏の領地であったことからの地名だと思いますが、 その中に吉見町という町があります。そこにはかつて教科書にもあったと記憶していますが、「吉見の百穴」という国指定の史跡があります。 「よしみのひゃっけつ」と教わった気がしましたが地元の案内には「よしみひゃくあな」と掲示されているのでそちらが正規の呼び方なのでしょう。
　ここを流れる市野川東岸の小高い段丘壁面にいくつもの横穴が穿かれていて奇観を呈しています。その形状から「埼玉のカッパドキア」と呼ばれているそうですが、 少し大げさな感じがしますね。
　古墳時代の終わりごろ、６世紀末～７世紀後半に作られた横穴墓といわれ大正１２年に国の史跡に指定されています。 横穴墓は丘陵や大地の斜面を掘削して墓としたもので、死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期に築造された古墳の横穴式石室とほぼ同じとされています。
　付近一帯の丘陵地帯は凝灰質砂岩という比較的柔らかい岩盤でできており、掘りやすいことからこの地が選ばれたことが想像されます。 とはいってもこのような石室を掘るには数人の人数で１ヶ月以上は要したと考えられています。
　穴は一見無秩序に開けられたように見えますが、よく観察すると４５度の急こう配に倣って斜行する平行線上に配列されているのが分かります。 元々入口には石の蓋があったようですが、すでに江戸時代中頃には露出していたようです。 その後明治２０年に帝大の坪井氏が地元の協力を得て全面発掘調査を行い２３７基の横穴を発掘しました。 当初は小人のコロボックルの住居跡だという説もあって激しい論争になったそうですが、今は墳墓であることが定説になっています。 階段で上まで上がることができ、中をのぞくと奥の玄室（げんしつ）という場所にはベッドのような棺座（かんざ）が１ないし２設えられています。 平面形や天井形も様々でフラットなものやドーム状のようなものもあります。玄室からは金環や勾玉、埴輪などの副葬品が見つかっていて、 被葬者が一般人とは異なる地方豪族に近い人たちであったことが窺い知れます。そこからは比企郡の関東平野が一望でき、遠くには秩父の山々が望めるようになっています。
　これからは想像になりますが、この横穴式墳墓は朝鮮半島から大陸に多く見られるもので、副葬された須恵器などのことも考え合わせると半島系の渡来人との関連を思わせます。 かつてこの稿でも触れましたが、奈良時代の歴史書「続日本紀」に半島からの亡命渡来人を７１６年に武蔵国に集めて高麗郡を置いたという記述があります。 少し年代のタイムラグはありますが、墓の形式を母国の習いと同じにしたいという心情は理解できます。司馬遼太郎さんの言葉を借りるまでもなく、 高麗（こま）、比企（ひき）、久喜（くき）、飯能（はんのう）など半島の由来によりそうな地名がこの埼玉には多く点在しているのも偶然ではなさそうです。
　近くには戦国期武州松山城があって、江戸期にはこの百穴が城の武器庫に利用されていたと考えられていますが、 さらに時代が下って太平洋戦争末期になると戦局の悪化に伴い中島飛行機がこの百穴に地下軍需工場のための巨大なトンネルを掘りぬいてしまって十数基の横穴墓が破壊されました。
　発掘当初２３７基あった横穴は現在確認できるのは２１９基となっています。
　戦争とは国の史跡もなにもあったものではないことが良く分かります。