神社の境内は昔から神聖な鎮守の森とされ多くが鬱蒼とした林や森になっているのが常です。
そしてそこにはご神木と呼ばれて昔から大切にされてきた大樹が1,2本散見されるものです。
先月この稿で記した白河関址の白河神社にも「従二位のスギ」と呼ばれる巨木がありました。
鎌倉期の歌人で従二位の官位を与えられた藤原家隆がこの地に来て杉の木を手植えされたことからその名があります。
樹高47m目通り幹囲6.1mで樹齢約800年といわれ、比較的まっすぐ伸びた幹の上に千手観音の手のようないくつもの枝が強い生命力を感じさせる姿です。
神奈川県の最西部で真鶴と熱海の間にある湯河原の地に五所神社という郷社があり、そこにも楠の巨木がご神木として崇められています。
五所神社は1,350年前の天智天皇の御代に加賀の人の手により開拓された湯河原の地で、
土肥郷と呼ばれたこの地の総鎮守として信仰され天照大神をはじめとする六神が祀られています。
頼朝が石橋山合戦の際当社に先勝祈願し幼木だったこの楠に「苦難にも打ち勝ち互いに成長を誓い合おう」と声をかけたとされています。
そのせいもあって地元ではご利益のあるパワースポットとして人に知られる神社・神木になっています。樹高36m、目通り8.2m、樹齢850年とされる楠で、
幹のコブなどからかなりの老木のように見えますが高さ10m付近で二つに枝分かれした先には多くの枝葉が青々と生い茂って元気そうです。
一般に巨樹の定義は定かではないようですが、環境庁が行なった巨樹調査での目通り幹回り3m以上という基準が踏襲されているようです。
2,000年時点での調査によると確認された巨樹は6万本で未確認分を推測すると13~15万本ではないかと言われます。
国内ではスギ、ケヤキ、クスノキ、イチョウなどが長寿の木とされ、特に南に生育するクスノキの巨大さが他を圧倒しているようです。
知られているように楠はその幹や葉から虫に強い樟脳を取ることができることからクスリの木→クスノキになったという説があります。
独特の芳香を放し虫に強いことから仏像や家具の材料として使われてきました。よく大人しくストイックな人のことを「植物的」と呼ぶことがありますが、
まさに850年間ものあいだ同じ場所に立ち続け土からの水養分と葉からの光合成による炭水化物だけで風や雨、
雷、鳥や虫などの外的負荷によく耐えてこられたものと感心し畏敬の念さえ抱かせます。根元の幹を触っただけで何となくパワーをもらった気分になれるのもそのせいでしょうか。
しかし全国には上があるもので、ある調査での巨樹上位は以下のようになっています。
1 蒲生の大楠 幹周24m 樹齢1500年 鹿児島県姶良郡
2 来宮神社の大楠 幹周23m 樹齢 300年 静岡県熱海市
3 北金ヶ沢のイチョウ 幹周22m 樹齢1000年 青森県西津軽郡
4 本庄の大楠 幹周21m 樹齢1900年 福岡県築上郡
5 川古の大楠 幹周21m 樹齢3000年 佐賀県武雄市
6 権現山の大カツラ 幹周20m 樹齢 300年 山形県最上郡
比較的暖かい地方でのクスノキの長寿が窺い知れ丈夫な木であることが分かります。
伝承もあるのでしょうが武雄市の樹齢3,000年の大楠に驚かされます。
縄文時代の発芽であることになります。屋久島にも有名な縄文杉がありかつて樹齢7,200年と言われていましたが、
これも近年の炭素年代測定調査で約2,700年という結果を得ているようです。
世界に目を向けると上には上があるもので、
アメリカ西部キングスキャニオン国立公園にある通称「シャーマン将軍の木」と呼ばれるジャイアント・セコイアはスギ科に属する針葉樹ですが、
根株の直径11m高さ84mという途方もないスケールの木で樹齢は2,300~2,700年と言われます。文字通り地球上で最大の生命体と言われ今でも成長を続けているそうです。
樹皮に多くのタンニンを含んで害虫に強くその厚さ60㎝をもって山火事でも火を奥まで通さないとされています。
かつて1億年前の地球上の樹木がずっと大きかった時代の巨木群の最後の生き残りだと言われています。
人間の寿命が延びたとはいえ所詮100年程度の話。この世に生まれて3,000年近い時間を生き続けるということはどんな意味があるのでしょうか。
巨木は語らず黙したままですが、少なくとも小さな存在の人間も他の動物もこの樹木がないと生きていけないという事実です。ある時は食料として、ある時は資源として、
またある時は災害から身を護ってくれる盾として、まさに「寄らば大樹の陰」なのです。国土の7割を森林面積が占める我が国にあって、
その森林を「環境」と「資源」の二通りに都合よく使い分けてきたこと自体が不遜に映ってしまいます。
長く生きてきた老樹を境内という神聖な場所でご神木として大切にしてきた昔の人々の思いを大切にしたいと思います。
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