上越・北陸新幹線の駅を持つ商都・高崎市は平成の大合併で倉渕村や榛名町なども併せて人口規模が37万人の群馬県随一の市となりましたが、
ここ2,3年の間に駅近郊に立て続けに大規模な公共建物がオープンし話題となっています。
駅西口の線路沿いに2017年にオープンした体育館機能を持つ高崎アリーナ、昨年暮れには駅東口に2,000人規模の大ホールを持つ高崎芸術劇場、
そして今年6月には1万人以上のライブコンサートが可能なコンベンション施設としてのGメッセ群馬が開館しています。
事業母体はアリーナと芸術劇場が高崎市でGメッセが県なので異なりますが国からの補助金もあるとはいえ、その総投資額は816億円ほどになると言われています。
東京スカイツリーの建設費が650億円と言われていますからそれを上回る金額が注ぎ込まれたことになります。
2010年に高崎市が発表した「高崎市都市集客施設基本計画」という方針に従って進められた事業のようで、駅東口地域は音楽を中心とした文化ゾーンに、
西口地域をビジネスゾーンとして位置づけ、文化の力が都市力を高めるという発想で街づくりを進めたとされます。
その中でも「音楽の街」高崎の中心となるのが高崎芸術劇場と呼ばれる多目的ホールです。
以前この稿でも紹介した地方オーケストラの草分け的存在で高崎の市民楽団でもある群馬交響楽団の本拠地がレーモンド設計のモダニズム建築として残る群馬音楽センターですが、
その老朽化と狭隘化のために代替えとした施設が今回の劇場となるようです。
駅から劇場へは数百メートル続くペデストリアンデッキで繋がれ雨の日でも濡れずにアクセスできるようになっています。
劇場ホールというと多くは音響や構造的な理由からコンクリートや石張りなどで外壁面ができているケースが一般的ですが、
この劇場は道路側に面するファサードがすべて総ガラス張りで一見商業施設かと見まがうデザインになっています。
都市に大きく開かれた劇場を目指したと説明にあるのは夜間になるとその利用風景が外部から透けて一見スクリーンとして見えるように意図したからのようで、
きっと日が暮れると内部が照明に照らされて外から浮き上がって見えるのだろうと想像します。
2,000名収容の大ホールと400名ほどの小ホール、そして人材育成を目的としたスタジオシアターの三つのホールを持つ巨大な芸術施設となっています。
そして三施設のうち最も新しくオープンしたのが旧高崎競馬場跡地に建てられたGメッセ群馬と呼称される北関東最大規模のコンベンションセンターです。
先の芸術劇場から歩いて15分ほどの距離にあり同じ駅東口に位置しています。
行くとその大きさに圧倒されます。2,000台収容の駐車場棟と歩道橋で連結されてなんとも巨大です。
1万平方メートルあるとされる無柱の大展示ホールは1万人コンサートも開催可能とされ、大小17室に分割可能な会議施設を擁していると喧伝しています。
県が威信を掛けて進めた巨大事業でしたが、その計画段階では使途について様々な議論があったと聞いています。県立サッカースタジアムや教育機関、都市公園、
行政関連施設等多くの案が検討されたようです。
これまで県内で受け入れられなかった国際会議や展示会、ライブコンサートなどの大規模イベントを誘致し、
交流人口を増やして飲食や観光などへの経済効果への期待や新ビジネスの創出にも貢献できると謳われています。
各施設は東京オリンピックの開催に間に合わせる予定で工事が行われ、設計はいずれも東京の大手組織設計事務所が担当しスーパーゼネコンが工事も請け負っています。
その機能性やデザイン、素材やディテールなど素晴らしい建築になっていることは論を待ちません。自分のまちにもこんな施設があったらいつでも利用したいと思います。
またこういう施設があるからこそ保たれる技術の継承というのも確かにあるとは思います。しかし、そこまでで思考停止してしまってよいのか。
建物は工事が完成して終わりではありません。
併せて800億円余もの税金を投じて、今後もその維持費や運営費におそらく毎年数億円あるいは数十億円の費用が掛かっていくのではないでしょうか。
音楽、とりわけクラシック音楽を支えているのは今の六十代以上の高齢層が中心、
東京から一時間の距離にある利便性を生かしてのイベント企画なら逆に言えば東京の施設を使えばいいこと、
都市間競争で一都市だけ勝ち残ることを目指しても日本全体の人口が減少していくのだからそれは意味をなさないのでは、などなどと思ってしまうのです。
ハコモノ行政とよく言われます。計画の時点では新しかったのものが実現するまでの紆余曲折で完成した十数年後には陳腐になっていることもあります。
予期せなかったこととはいえ今回の新型コロナ禍によっていずれの施設もオープンしたものの休眠状態です。
今を生きるものとしてまた建築に携わる者として「SDGs」といわれる人口減少社会での
持続可能な施設建物とはどうあるべきかを自らに問わないわけにはいかない、
そんな自責の念をもって高崎を後にしました。
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