南アルプスの甲斐駒ヶ岳と八ヶ岳に挟まれるようにその芸術村はあります。
春の晴れた日にはソメイヨシノを前景に、普段遠くからはその山容が見えづらい甲斐駒ヶ岳のもっこりした山塊が間近かに見え、
反対側に目を向けると八ヶ岳のすそ野の広がりが一望できるといいます。
大正期に建てられた旧小学校の5,500坪の跡地に樹齢八十余年の桜の老樹をそのままに昭和50年に計画されました。
主宰したのは銀座の画廊で名をはせた吉井長三氏で、親交のあった小林秀雄や白洲正子をはじめ建築家の谷口吉郎らとの協業により芸術家育成の場所として企図・建設されました。
建設年は少しずつ異なりますが、大小10余の著名建築家の建物が置かれ楽しめます。
中央に位置する建物がここに最初に建てられた「ラ・リューシュ」。1900年のパリ万博の際にワイン館として建てられ、
その後シャガールやスーチンなどがアトリエとして使用したと言われる建物で設計はあのエッフェル塔を設計したエッフェルです。
現物の設計図を入手してそのままに建てられたものですが外観のみで中には入ることは叶いません。
外装のレンガタイルとその名の通りハチの巣状に組み込まれた部屋が往時の芸術家たちの雰囲気を蘇らせます。
芝生を踏みながらさらに奥に行くと、コンクリートの打ち放しのボックス状の建物が目に入ってきます。一目で安藤建築と分かる建物で光の美術館と名付けられています。
内外部ともコンクリートの打ち放しという無機質な空間に階段が設けられ、吹抜けの高い天井と壁の細長いスリットから差し込む光が主役です。
壁に掛けられた絵画に当たるのはこの自然光のみで人工照明は一切ありません。
きっと一日いると太陽の動きによって差し込む光が移動し時間によって照らされる絵や場所が変化し飽きさせない演出になっているのだろうと思います。
コルビュジェのロンシャン礼拝堂に差し込む光の数々に感動した若き日の安藤氏を彷彿させます。
そして奥に目をやると周囲のソメイヨシノに囲まれるように一風変わった建物が目に入ってきます。
安藤建築とは対極をなすような有機的な建物で桧の大木の上に小屋が載っています。それは茶室として作られたツリーハウスで建築史家の藤森昭信氏の設計によるものです。
残念ながら上に登ることはできませんが、その素材や造りは縄文建築団の赤瀬川原平さんや南伸坊さんらが手作りで仕上げたものと記載があります。
桜が満開のときにむせるような花びらの中で行う茶会ではどんな気分に浸れるのでしょうか。
そのほかに谷口吉生氏の設計による白樺派のための美術館や図書館、ジョルジュ・ルオーを記念したルオー礼拝堂など小ぶりながら秀逸な建築物が楽しめます。
一番奥の鬱蒼とした林の中には東京から移築したという梅原龍三郎のアトリエが設えてあります。設計はあの吉田五十八氏。
地味ながらほんのりむくった切妻屋根のラインと単純な組み合わせのように見える屋根は不自然さがみじんも感じられず平屋の良さが出ています。
設計とは適正な寸法を与えることなのだと改めて教えられる思いです。
一見無造作に置かれたように見え、統一感というものもないように思える建築群ですが、
しかしその一つひとつには小さい建物だからこその建築家の思入れや考え方が如実に表れているように思えて興味をそそります。
安藤氏が建築に光や空など自然を取り入れることを大切なテーマとしてしていること、
藤森氏は無機質というのとは違った有機的な素材を用いてクラフトの良さを出そうとしていることなどそれぞれの建築家としての立脚点が見えてくるようです。
天気の良い日に芝生に寝ころびながら良質な空間を持った建築に幼いころから触れることが出来ることを想像するとこれ以上の情操教育はないだろうと思えてきます。
私財を投げうってここを建てた吉井長三氏の思いもそんなところにあったのではないでしょうか。
そんな思いを抱かせてくれたのは、釜無川や中央本線が通る長野県境に近い山あいの山梨県最北部の旧長坂町、現在の北杜市にある清春(きよはる)芸術村でした。
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