新型コロナウィルスの感染拡大が増加の一途を辿っていてなかなか終息の兆しが見えてきません。つい先日も群馬県のしかもこの太田市に感染者が発生し、
市単独で小学校の通学を行っていたものも休止せざるを得ない状況に追い込まれました。
年度末で学校行事はもとより各種会合や予定催事が通常の時期より多いことも重なり、世間では悉くそれらが中止・延期となって混迷をきたしています。
明らかに初動の遅れにつきます。感染の場合広がる前に叩くということを逸してしまうとそれを抑え込むことが時間とともに難しくなってきます。
何しろ相手は微細な生き物です。大腸菌をラグビーボールとすれば、ウィルスはピンポン玉かパチンコ玉程度のサイズといわれます。光学顕微鏡では見ることができず、
その百倍もの倍率を実現する電子顕微鏡でないと覗くことはできません。
それにしても不思議です。60兆から70兆はあるとされる人間の細胞にこんな小さなウィルスのRNAが入り込んだだけで病気を起こし最悪の場合死に至らしめる。
そんなウィルスとはなんなのか。生物学者の福岡伸一さんの本によれば、細菌類と違いウィルスは栄養を摂取することができません。呼吸もしない。
もちろん二酸化炭素を出すことも老廃物を排泄することもない。つまり一切の代謝を行っていないのです。
ウィルスを純粋な状態にまで精製し濃縮すると「結晶化」することができるといいますからまるで鉱物に似た物質といえるのです。
しかし単なる物質から一線を画している唯一のそして最大の特性が自らを増やせるということです。自己複製能力を持っているのです。
しかも単独ではなにもできないで他の細胞に寄生することによって複製するという方法を取ります。
名前の由来となった王冠(コロナ)のような膜の周りに飛び出た突起物を他の細胞に差し込み侵入。
宿主細胞は何も知らずそのRNAを自分の一部と勘違いして複製を行い細胞内でウィルスを生産されていきます。
新たに作られたウィルスが細胞膜を破って一斉に外に飛び出すというメカニズムはさながらエイリアンです。
生命の律動を持たずただ自己複製能力しか持たないウィルスを生物とするか無生物とするかは長らく論争の的であって、いまだに決着していないとされます。
すでに国内で今回のウィルスに対して分離・培養に成功したとされますが、ワクチンや特効薬開発までにはまだ年単位の時間がかかるとされますから、
マスクよりもこまめな手洗いやアルコール消毒が最も効果的とされます。
コロナウィルスのRNAを包む被膜であるエンベロープの主成分は脂質でアルコールや石鹸で破壊できるからです。
RNAやDNAといえば、昔高校生の頃生物の授業で細胞の一つひとつの中に遺伝子が組み込まれていて、
その本体がデオキシリボ核酸・DNAであること、
そしてそのDNAは二重らせんの構造をしていてたった四つ塩基—文字列しかない組み合わせでできた鎖のようなものであることを知識として習いました。
そして二重になっている意味が傷ついた場合の修復・複製を容易なものにしていることにも驚いたものでした。文章にするとたった三行くらいにしかならない記述ですが、
生物の教科書に載るまでにはワトソンとクックによる二重らせん構造の解明など多くの研究者の成果の積み重ねがあったはずです。
不思議だったのはさらにその先の微細な物質構成についてでした。私たちの体も含め、あらゆる物体は「原子」でできていて、
その中心には非常に小さい原子核という粒があり、その周囲をさらに小さな電子という粒が廻っているというのです。
現在ではさらに細かく陽子や中性子などを構成する素粒子のことまで分かっていてそれらは質量がゼロだとされています。
当時手の甲をじっと見つめてその皮膚をずーっと目に近づけていくとこの中で電子が廻っているのだということがどうにも実感として湧かなかったのを覚えています。
いや今でも同じ感覚です。そうだとしたら体を構成するものはスカスカの状態になってしまうし、素粒子が質量を持たないなら体重があるのはなぜか、
物を持ったりできなるのはなぜかなどと考えてしまいます。
この先を更に深堀していくと物理学でいう「量子論」の分野に入っていくようになり、私の頭ではここでストップしてしまいます。
宇宙そのものが無から生まれたといわれていますから、結局人間の存在も基本は無の状態になっているのだろうなどという屁理屈で思考停止です。
余談ながら、千円札の肖像になっている野口英世もこのウィルスを追い求めた一人でした。日本での彼の評価に相反して海外での評価はほぼ過去のものとされています。
当時ウィルスが見えるほどに顕微鏡は発達しておらず、彼が発見したとされる梅毒やポリオ、狂犬病、
黄熱病の病原体は当時まだその存在が知られていなかったウィルスによるものであったという事実です。生前こそは業績をたたえられた面もありましたが、
今はそのほとんどが忘れ去られたものとなっています。
そういう意味において彼の立身出世の生い立ちはともかく、見えないものを見ていたという錯誤があった点ではウィルスの被害者の一人だったと言えなくもありません。
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