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赤石建設株式会社 一級建築士事務所
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令和2年1月


 新年おめでとうございます。
 令和になって最初の新年となる今年の正月は温暖化の影響なのか暖冬で推移しています。仕事をするうえで暖冬は歓迎すべきことですが、 寒いときは寒くならないと各地域でその影響が出るものです。県内にある榛名湖ではもうここ数年湖が氷結することがなく、名物だったワカサギ釣りができなくなっています。 かまくらで有名な秋田・横手では雪がまだなく雪まつりの開催が危ぶまれているとか、秩父でも名物の三大氷柱が凍らず閉園していると聞きます。 ひと一人の力は微々たるものですがCO₂削減に向けた取り組みが待ったなしのように感じています。
 そんな中、暖冬とはいえ家内が寒いところ嫌いなので正月休みに出掛ける場所もどうしても西側方面になりがちで、 今年はまだ見知らぬ土地ということもあって萩・山口方面を訪ねてきました。萩では松陰を育てた玉木文之進旧宅と毛利家の菩提寺東光寺を訪ね、 山口では念願だった瑠璃光寺五重塔を訪れることができました。
 幕末の長州志士たちを多く生んだ松下村塾のある場所は現在松陰神社の境内にあります。 何のことはない八畳2間くらいの粗末な小屋です。 松陰がここで教鞭をとったのは実際には1年半くらいといわれ、その後は野山獄、安政の大獄と翻弄され目まぐるしい若い晩年を送ることになります。 十一歳で藩主毛利慶親に御進講をしたとされる松陰を育てたのは叔父の玉木文之進でしたが、その教育ぶりは度を越していたといいます。
 この旧宅の隣にある畑のなかでの話しだったのでしょうか、その一端を垣間見る話しが残されています。 真夏のさなか畔に座って四書五経を素読させられている少年松陰は流れ出る汗に蠅が止まって痒くてつい手で掻いてしまいます。 そばで畑を耕しながら聞いていた文之進はそれを見て松陰を折檻します。近くで見ていた母親が目を背けるほどに殴り蹴られたといいます。そしてこう諭すのです。
 「それでも侍の子か。侍とは公である。公とは欲を捨てることだ。痒みは私。掻くことは私の満足。それを許せば長じて人の世に出たとき私利私欲をはかる人間になる。 だから殴るのだ。侍は作るものだ。生まれてくるものではない」。
 厳しいを超えて惨憺たる光景に見えます。松陰はそういう教育をされて育ちました。 地元では誉れ高い教育者として尊敬され「松陰以降」といわれるくらいに時代を大きく転換させた人として顕彰されていますが、今はその評価も分かれるといわれます。
 山陰・山陽は南北朝から室町期まで大内氏という守護大名によって長く治められ、 戦国期に毛利により滅ぼされるまで明・朝鮮貿易によって潤い250年ほどの輝かしい文化を花開かせていました。 その山口市中心部に大内氏ゆかりの瑠璃光寺という曹洞宗の寺院があります。ここに戦死した25代大内義弘を弔うための供養塔として建てられた五重塔があります。 法隆寺、醍醐寺と並んで日本三名塔として数えられるこの国宝の美しい塔は1442年建立で570年間にわたり山口の人に愛され続けてきました。
 駐車場から境内に入ってすぐ池越しに望める五重塔の佇まいは、山を背景にした美しい風景の中にあります。 瑠璃光寺以前にあった香積寺という寺院を萩に移す際この塔も移築される予定だったものを地元の人々が残すことを奉行所に嘆願して叶ったと記録にあります。 高さが31.2mある総檜造りの檜皮葺で、 通常内部には仏舎利を納めるものですがここでは由来の通り阿弥陀如来像と大内義弘像が塔では珍しい円形の須彌壇上に安置されているそうです。 軒の出を深くし逓減率が大きく軒反りも軽快で屋根勾配は緩く、しかも2層目以外は高欄を省略しているために塔身が細く締まって見え、美しいプロポーションをしています。 大正四年に解体修理されていますが全体に築後570年とは思えない保存の良さを感じます。庭園と山の組み合わせから四季を通じて風景を味わうことのできる立地も素晴らしく、 山口の宝と自慢する県民の気持ちがわかるというものです。公家好きだった大内文化の高さを伺わせます。 傍らには司馬遼太郎の「街道をゆく」からの引用で「長州は、いい塔をもっている」の碑が置かれています。
 戦国期まで大大名だった毛利氏が関ケ原以降長州一国に減封され一介の大名として凡庸に260年の江戸期を終えるとき、 幕末閃光のように多くの志士を出して時代を転回させたのは、もしかしたらその根っこに大内氏以来の高い文化度があって、 それが地の下で醸成し萌芽が始まっていたからなのかもしれないと考えてしまうのです。







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