今、宮城県名取市で寺院講堂の工事が進められていてよく打ち合わせに行くことがあります。
名取市は閖上地区や仙台空港がある場所で東日本大震災の際は押し寄せる津波がリアルタイムで映像に流され被害の大きかった場所でもあります。
幸い当寺院は小高い山の上に立地していたため難は逃れることができましたが、印象の強い場所として記憶されています。
その名取から西方向に行くと仙台の奥座敷と呼ばれる秋保温泉がありますが、
その秋保からさらに北へ仙山線を越えて広瀬川の支流の大倉川に沿って一時間ほど行ったところに浄土宗の
「定義西方寺」(じょうぎさいほうじ)という大寺院があり現場の帰りに寄って見ました。場所は大倉川を堰き止めた大倉ダムを渡って一本道を遡った行き止りにあり、
その先は県境の山を挟んで山形県の天童になりますが抜ける道はありません。
よくぞこんなところにと思うような山奥に開かれた境内には夥しいほどの伽藍群が立ち並び目を奪われます。
縁起は平安時代までさかのぼるとされます。平家家臣団の一員だった平貞能(さだよし)が壇ノ浦の戦いで敗れたあとこの地に隠れ住み、
由緒ある平家伝来の阿弥陀如来を祀ったのが始まりとされています。
その後貞能公は世をはばかるため名前を同じ音の「定義」と改めたことが定義(じょうぎ)の号を持つ由来となったそうです。
その後江戸中期に良念という僧が出て「極楽山西方寺」として開山されています。
年間を通じて100万人が訪れるという宮城県有数の観光地とあって平日にもかかわらず多くの参拝客で賑わいその信仰の篤さが偲ばれますが、
浄土宗という宗派に囚われない布教活動をしているようで、健康祈願、子宝祈願、安産祈願などのご祈祷法要が毎日行われています。
駐車場からの道には名物とされる三角油揚げのお店などが軒を連ね昔ながらの門前の雰囲気を醸し出していますが、
建築ではまず山門にその彫刻の見事さで目を引かれます。昭和7年建立の楼門で登録有形文化財に指定されているとあり、
気仙大工の花輪氏の名と共に石井寅正という彫刻師の名が出ています。両脇には金剛力士像が立ち緻密さと迫力のある力作となっています。
そのすぐ奥には旧本堂に当たる「貞能堂(さだよしどう)」があり堂内には風神・雷神の彫刻が見えます。
さらに鐘楼堂を右に見て東に進むと開けた境内地に巨大な八角形の新本堂が目に入ります。
平成11年に6年の歳月を掛けて完成されたという建物は総青森ヒバ造りで二層式の銅板屋根に唐破風向拝が付いた荘厳なもので、
内部に入ると八角の構造体がそのまま現しになって見応えがあります。脇には鉄筋コンクリート造りの大きな寺務所が置かれ祈祷受付を兼ねてその盛況ぶりが窺い知れます。
寺務所を抜けて東に目を向けると少し離れたところに塔が見えるので歩を進めると開けた場所に庭園を備えた五重塔が鎮座しています。
塔を見るには少し離れた距離も必要であることを配慮したのか正面側は広く空き地をとって五重塔全体を鑑賞できるようになっています。
宮城県唯一の五重塔として昭和61年に建立され担当した大工は山形の加藤棟梁だと記されています。
解説板には工事中のデータや図面も掲示されていて、5年3か月の工事期間の間に1,200石の青森ヒバ材が使われ、
この量はおよそ30坪の住宅20棟分に相当すること、また掛かった大工の人工数は10,500人だったことが記されています。
つい木材だけで2億円、大工手間で2億数千万円位かと下世話な計算をしてしまいます。
屋根の軒の出を上層に行くほど減らす逓減率もよく計算され美しいプロポーションのように思えます。
貞能公が移り住んでから800年、寺号開山して300年という歴史の中で、
これだけの建物群を備え発展してきた西方寺には近在だけでなく遠方からも多くの家族連れや特に若いカップルが参拝に訪れています。
本来の浄土宗から言えば南無阿弥陀仏の念仏を唱えることがその宗旨かと思いますが、そこにご祈祷を入れたことが民心に受け入れられたのでしょうか。
ご祈祷する寺院はほかにもある中で、山深い四季折々の立地や境内の空気、そしてご本尊からの御利益も含めて人を寄せ付けるものがあるのかもしれません。
人は生きている間に病気や恋愛、家族、仕事のことなどいつも悩みに見舞われます。これはいつの時代にあっても避けようのないことです。
科学技術が発達して多くのことが分かってきたように錯覚してしまいがちですが、まだまだ分からないことの方が多いものです。
そこに人智を超えたものを感じてそれに縋ろうとするのは自然な形だし尊いものです。
天国にあこがれて地獄を恐れるという気持ちをなくした時人間は偉大さを失ったと言ったのは司馬遼太郎さんでしたが、
遠方よりこの地に来て定義如来尊におすがりし救いを求める信仰の在り様にあるべき宗教施設の一つの形を見るようでした。
死者に対してだけでなく生きているものにとってその苦の解放を見出してあげてこその宗教であってほしいと今思います。
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