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赤石建設株式会社 一級建築士事務所
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令和元年6月


この春、群馬県建設事業協同組合が前橋市に建設していた新群馬建設会館が竣工し、 その記念式典に建築家の内藤廣氏が招かれ記念講演をされたのを聞く機会があり多くのサジェスチョンを受けました。
 新会館はエッジのきいたシャープな外観を持った建物で設計はプランツアソシエイツと地元協同組合JVが担当し、 次世代の人材育成や技術力向上に向けた研修拠点として計画されたものです。講演をされた内藤氏は今回の建築には直接関係されているわけではありませんが、 建設業協会長と大学で同級との縁があってのことだと説明がありました。「海の博物館」や「牧野富太郎記念館」などの代表作で知られる、 自然と環境を配慮した設計で秀作を残されている方です。
 ちょうど日経アーキテクチャー誌の企画で内藤さんへのインタビュー形式で構成された「検証・平成建築史」が上梓された時期と重なったこともあり、 この平成の30年間を振り返り今後の提言も含めた内容となって含蓄ある辛口の講演となりました。 平成の30年、社会や政治経済は激動の時代でしたが、建築業界にとっても多くの出来事が重なりそれまでの考え方や価値観を見直すことを余儀なくされた時代であったと回顧します。バブルの崩壊に始まり、阪神淡路大震災、構造計算偽装事件、東日本大震災と多くの事件や災害が繰り返し起こり建築界を揺さぶりました。 いずれもこれまでの常識をも覆す大きな出来事でした。 また平成に入って急速に普及したIT化の中でCADというコンピューターによる設計システムが大きく進歩し設計や現場に普及していったことも上げられます。 これには功罪両面があるとして以下のような例を挙げています。功としては情報がコンパクトになり大量の図面の束をやり取りせずに小さく納められること、 構造解析が格段に進んで今まで解けなかったものが解析できるようになったことなどが挙げられます。逆に罪の面としてCADでは誰が描いても同じ線になってしまうこと、 新人でも現場を知らない人でも入力さえ要領よくできれば一見もっともらしい図面が描けてしまう怖さを指摘します。 図面に潜む問題を発見しにくくなることにこれからの課題の深刻さを提起していました。 内藤さんが最も危機感を持って語っていたのが現場の技術力の話。「シャドーワーク」という言葉があるといいます 。Aという主婦は部屋の隅々まで掃除しないと気が済まない。Bという主婦はそこそこ気にならない程度に掃除する。 この差はいかなる経済指標にも乗らないけれども、この気が済まない部分が文化のことであって経済行為とは逆ベクトルの営みで、この差をシャドーワークというそうです。 現場で例えれば大工さんで一日の仕事が終わったときに自分の仕事場を徹底的に綺麗にしていく人とそのまま帰る人がいます。 近年徹底的に綺麗にして帰る人がすごく少なくなったとし、 他の鳶や左官でも同じであることを考えると仕事に対する向き合い方や感覚が薄くなったということではないかと危惧します。
 バブル崩壊後に現場を知る能力のある所長たちがリストラで何人もやめていったことが今の状況を招いているといいます。 こだわりとか意地やプライドというものを持ちづらくなった、そういうことに対する社会認識や社会的評価を確立できなかったこの30年であったと述懐します。杭の未達問題でも免振ゴム偽装にしても最後のところでやってはいけないという倫理的判断で止められる可能性がいくつもの段階であったのではないかと指摘します。 シャドーワーク的なものを「江戸時代の尻尾」と呼びます。江戸時代の300年で作り上げた町場の職人意識。そういうものを100年位かけてみんなで蕩尽して尻尾の先まで食べ尽くしてしまったといいます。あれこれ指示しなくても大工がちゃんと仕口を作ってくれ、何も言わずとも左官屋がムラのない仕上げをしてくれる。それに甘えてきたんだと。親子三代くらいまではギリギリ精神として伝わる。じいちゃん、親父、俺みたいな。だから伝えられるのは大体80年からせいぜい100年くらいだろうというのです。これからはもう一度ゼロから作り直さなければ無理だと語ります。近作の「福井県年縞博物館」を例に、地方にこそまだ現場所長や職人に意地やプライドが残っているといいます。施工した地元ゼネコンで近在に住む所長が気概に富んで人間性も含めて素晴らしかったこと、その人に集まる職人の気質と技術に大手に負けない技量があったことから、ピロティ部分の柱や梁のコンクリート杉板打ち放し打設時にバイブレーターに頼らない割れ竹を使ったつつきやたたきを基本にクラックやコールドジョイントのない美しいコンクリートができたといいます。その見事さは自分の設計したものの中で最高のものだったといい、ぜひ一度見てほしいと語っていました。全国に多くの作品を設計してきた内藤さんから見える風景は情報化と経済で動く東京よりもむしろシャドーワークが少しでも残る地方を人口減少の問題と絡めて今後どうするかが課題として映るようです。 設計でも現場でもデジタル化して人となりが見えにくくなった建設プロセスにクラフト的な手段が少しでも残せれば全体を把握してミスの少ない心地よい空間が造れるのではないかと思います。 講演を聞いて平成という同時代を生きてきたものとして、普段感じていることをうまく言葉にしてくれたような痛快さが残りました。








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群馬県太田市に創業し、社寺建築・住宅建築を手掛けている赤石建設株式会社です。
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