5月から天皇退位に伴い国号が平成から令和に移り、新天皇即位と最大で10連休という長い休みも相まって世間ではお祝いムード一色でしたが、
31年前の昭和から平成への移行の際は天皇崩御を受けての改元であったため、
全体に自粛ムードが拡がり平成天皇即位という慶事は粛々と進められ沈鬱とした空気であったことを思うと隔世の感があります。
当社でも10連休というわけにはいかないまでも幾日かの令和連休としたため、それを利用して少し北の方に足を延ばしてみました。
2016年に開通した北海道新幹線にまだ乗ったことがなかったので新函館北斗駅まで「はやぶさ」に乗車してきました。
今年3月にダイヤ改正が行われ東京からの所要時間が4時間を切るまでに早くなったのです。
飛行機の1時間20分には遠く及ばないにしても青函連絡船時代と比べれば天と地ほどの差があります。
今でも運航している青函フェリーの青森-函館間は4時間かかりますが、
今回トンネル内の最高速度も160㎞/hにスピードアップされ龍飛崎から青函トンネルに潜って松前半島・吉岡に出るまでの所要時間は約20分。
「これから青函トンネルに入ります」とのアナウンスが流されてトンネルの説明を聞いているうちにもう松前半島という感覚です。
トンネルの入り口から出口までは距離にして54㎞ですが、前後の陸底部がありますからそれを除く実際の海峡底部は23㎞ほどで時間にすれば10分足らずでしょうか。
波荒い津軽海峡をあっという間に潜り抜けるその速さに先人の苦闘の恩恵を感じずにはいられませんでした。
本州と北海道を繋げる青函トンネル自体の構想はすでに大正期からありましたが、地方の願望の域を越えませんでした。
それが実現に向けて風を一変させたのが世にいう「洞爺丸事故」でした。
昭和29年9月の台風15号が一度九州に上陸後日本海に抜けて北北東に進んでそのまま消滅かと思われていたものが、再び発達し津軽海峡に入って函館を直撃。
その時の気圧960ヘクトパスカル、最大風速は50m/秒を超えたといいます。
風雨がおさまったかに見えたのを機に函館港を出た洞爺丸は猛烈な風浪を受けることになり引き返したものの港に着くことなく横転、
近くの貨物船被害と合わせた遭難者数は1,430名という、タイタニック号遭難に次いで史上2番目の大海難事故となってしまったのです。
戦後復興期の世に大きなショックを与え、国鉄の安全対策が非難されました。そして安全な陸路、トンネルで結ぶことが洞爺丸事故のような大事故の対策であるとされ、
天候に左右されない安全な輸送の道を確保するという、北海道の長年の悲願がさらに青函トンネルを後押ししていったのでした。
昭和21年から細々と始められていた地質調査には10年が掛けられ、
その結果から下北ルートでは水深が深いことや環太平洋火山帯の一部に掛かることなどから津軽ルートに決定されていきます。
氷河期時代の終わりに最後まで北海道と陸続きとなって、マンモス象やナウマン象の通路となっていた場所の下を通ることになったのです。
海峡幅23㎞、水深140m、本州側の龍飛では冬100m以上の季節風が吹きつける海峡下に、
海底面からさらに土被り100mを確保した海面から240mの深さの海底トンネルが昭和39年に着工されます。トンネルと言っても本坑が1本だけあるわけではありません。
先に先進導抗が掘られ続いて作業抗が平行に作られて同時進行のように本坑が掘られていくのです。この間多くの出水事故に会いながらも、
その都度ボーリングマシンーンの開発や水ガラス注入技術などの先進技術を駆使してこれらを克服していきます。しかし予算は膨れ続け、
青函トンネルは官民一体で要望しながら出来上がってみれば無用のものだという声が出たのを皮切りに、プロジェクト自体に疑問を呈する声が政府内からも聞こえ始めます。
昭和62年の大蔵省田谷主計官の「昭和の三大バカ査定」発言が飛び出したのもこの頃です。昭和の時代に大蔵省が行った予算査定の中で三つのバカな査定があったとし、
それが「戦艦大和・武蔵、伊勢湾干拓、青函トンネルだ」と発言したのです。「伊勢湾干拓は台風の後大堤防を造ってはみたが、干拓がその外で行われ無用の長物となった。
航空機時代の到来を見極められずに大艦巨砲主義を固守し大和・武蔵を建造したように、今から新幹線を造っても時代遅れ。
建設費も維持費も国に出させその上に固定資産税も免除せよと言っている。まるでオンブにダッコに、オシッコだ」とまで言い放ちました。
本工事着手の前にも公団総裁が田中角栄幹事長に青函トンネルの説明をしたところ、「世界一の長さを持つトンネルになるのでは困る、
せめて世界第2程度にならないか。」との質問があったとされています。
あの剛腹をもって鳴る田中角栄をしてそう言わしめるほど当時の日本には身の丈以上の大事業だったことが分かります。
着工から実に24年の歳月をかけ津軽海峡線が開通、世界一長い海底トンネルが生まれていきました。そして2016年に北海道新幹線が整備されて開通したのです。
真冬の風雪の強い時も、台風の進路が予想されていても、いま私たちは安全に遅れることなく北海道に渡ることができるようになりました。
その安全と速さの影に多くの先人の犠牲と労力が払われていることを思うとき、五稜郭の満開の桜も少し違った風景に見えてくるように感じます。
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