建築物はそれを建てる前には当然のように設計図が必要で、敷地に合わせた合目的な立案から始められるのが一般的です。
しかしこの立案というアプローチには設計するものの考え方や技術的な裏付け・予算などが複合的に絡み合い、人によって案そのものに大きな違いを生むものです。
それを多くの設計士から提案してもらい施主の考えに最も合致するものを選ぶ方法にコンペと呼ばれる設計競技があります。
その審査や決定の過程が透明で公正であるならば、その多くある応募案の中から最も良い案を選べる利点があります。
しかし応募する側の設計士からすれば当選する確率は何十分、何百分の一にならざるを得ず、多くの案が日の目を見ることなく設計図面のまま物置にしまわれる結果となります。
世界的な建築家の安藤忠雄氏をして「連戦連敗」を重ねるわけです。
学生時代に小さなコンペに参加する先輩に頼まれて幾日か徹夜で図面の手伝いをしたことがありますが、その多くが無報酬での参加となっています。
しかしその落選した一案一案には設計士の多くの思いと創造力と図面や模型を作成した膨大なエネルギーが詰まっていて、しまい込んでしまうには惜しいものがあるものです。
埼玉県立近代美術館で今回そんな実現しなかった設計案をいくつか集めて展示して作者の夢や思考に改めて触れてみるという刺激的な展覧会がありました。
名付けて「インポッシブル・アーキテクチャー」展。
年代記的に展示されていて古くはタトリンの第3インターナショナル記念塔や菊竹清訓の京都国際会館設計案などが模型を添えて展示されていましたが、
なかでも我々世代に最も身近に感じられたのが磯崎新氏の東京新都庁舎案とザハ・ハディド氏の新国立競技場案でした。
前者は1986年に実施された9社による指名コンペで、新宿西口の旧淀橋浄水場跡地に都庁を移す計画のものでした。
それぞれの案は日本を代表する組織設計事務所の名に恥じない優れた設計案が多く、その中から現在の丹下健三事務所のツインタワー案が選ばれました。
ほとんどの案が容積率の関係から超高層案となっている中で唯一磯崎案だけが低層案を提案。
シティホールという元々の意味が持つ大空間を内部に包摂した案は当時から話題となり、与条件を無視した確信犯的落選案として少なからずの支持を得ていました。
庁舎にシンボル性が必要なのか、災害時の避難計画に支障はないのか、完成後の維持費はといった懸念は現状を見れば明らかなような気がします。
いみじくもその落選案がのちにお台場に作られた丹下氏設計の某テレビ局の本社ビルに酷似しているのは示唆的アイロニーです。
後者の新国立競技場案はまだ記憶に新しく、白紙撤回されたあと再度のコンペで選ばれたものが今年竣工を迎えるべく工事中です。
2012年JSCが国際規約に準拠した国際コンペを行い、その流線型の圧倒的なデザインで当選案に選ばれたザハ案でしたが、
工事費の増大やスケールの大きさを批判され再度の修正案を試みたものの首相の白紙撤回で実現を見ずに終わりました。
その一方的なキャンセルに納得がいかないまま、ザハ氏は2016年3月急死してしまいます。磯崎氏はその死を受けて以下の追悼文を発表しています。
「<建築>が暗殺された。‥…悲報を聞いて私は憤っている。‥…新たに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪招致の切り札に利用しながら、
プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった。」
仕切り直しされた再コンペでは当初にはなかった条件が追加され、木材を利用すること、日本らしさを表現すること、日本語で提案することなどの文言が並んでいました。
うまく政治利用されてしまったことも含めて、この国の国際コンペを運営する企画力の未熟さを世界に示す例となってしまったことも残念ですが、
それ以上にその発信力とインパクトで日本を元気にするデザインと賞賛されたザハ案の実現を見られなかったことが返す返すも口惜しく感じられます。
今回の展示にはザハ事務所と日本の設計事務所JVによって揃えられた設計図書も一式展示されていました。2014年から基本設計を開始し約一年半で膨大な数の協議を行い、
意匠・構造・設備等で4,000枚を超える設計図をまとめ、都や関係区の許認可など40項目にわたる申請をすべて完了。2015年6月付で耐火安全及び避難安全性能評価書を取得、
構造性能評価では通常は一つの分科会を振動、鉄骨、風・膜部会の3部会に分けて20回の会議を設け6月5日付で構造性能評価書を取得し、
あとは大臣認定書を待って確認申請を行うばかりであったと説明書きにありました。その何十冊にも分かれた設計図面、評価書、風洞模型類の膨大さを見て、
それに携わった技術者たちの迫る工期に追われながらの辛苦の労力に敬意と慰謝の念を禁じ得ませんでした。
報われなかった提案と社会を穿つ目線。この展覧会の企画が実現しなかったこれら作品の怨念をあたかも墓地でその霊を弔っているようにさえ見えてきます。
そしてそこに並んだ多くのアンビルドの設計図や模型類こそが逆説的にも建築における極限の可能性や豊饒な潜在力を浮かび上がらせてくれているように思われました。
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