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赤石建設株式会社 一級建築士事務所
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平成31年3月


 この3月で東日本大震災から8年を迎えますが、所属する団体の事業の一環として福島の被災地を視察する機会があり浪江町を訪ねることがありました。 浪江町は福島第一原発がある大熊町・双葉町のすぐ北側に隣接した地域で、内陸北西に長い町域ですが請戸(うけど)漁港という良港と海岸線を併せ持つ町でもあります。 震災時にはその海岸線から大津波の被害を受け、さらには北西に吹く季節風に載って多くの放射性物質が第一原発から飛散し二重の苦しみを味わった地域でもあります。
 特定非営利活動法人である野馬土(のまど)という団体がガイドを派遣して、「福島第一原発20㎞圏内ツアー」という企画がなされています。 その案内に従って浪江から南相馬まで移動・視察しましたが、8年経ってもその爪痕は深く復興にはまだまだ時間の掛かることを思い知らされました。
 最初に訪れた町役場は前面がガラス張りの立派な庁舎でしたが、現在も補修工事が行われており閑散としています。 さらにすぐ東脇に仮設店舗が3軒ほど並びますが、ここが現在浪江町唯一の商店街と聞いて呆然とします。 バスで海岸線に出て請戸漁港に行ってみると防潮堤が長く築かれ漁船が出入りしている光景が見られるまでになりました。 さらに津波被害にあった近くの請戸小学校に案内されましたが、時計台の針は3時40分で止まり、階段と柱の間には太い流木丸太が波の力によってさし挟まったまま残されています。 幸い先生方の誘導指示が的確だったため、2㎞以上離れた大平山まで全生徒を避難できたと説明にありました。 その大平山から小学校を望むと2㎞という距離が直線距離にしても幼い子供たちにとっていかに長い道のりだったか。 迫る波を背に恐怖と時間との戦いの中での避難だったことが想像できます。
 小学校からは遥か遠くに第一原発の建物やクレーンが見えます。 震災前までは校舎の窓から見えるそれを安全で地域振興のシンボルとして毎日見ていたことを思うと忸怩たる思いが募ってきます。 その後バスを移動して市中を走ってみると広大な平坦地が広がっているのが見て取れます。 そこはかつて優良な水田だったところだといいますが今はどう見ても荒れ野としか見えません。そしてその中に不意に仮囲いに囲まれた黒い塊の見える場所が現れてきます。 除染土を詰めた黒いフレコンバッグが幾重にも重ねられた仮置き場です。東京ドーム何個分という比較説明がよくなされますが、一体ドーム何十個分くらいになるのでしょうか。 何か所かある浪江のこの仮置き場だけで昨年までで6万袋。 福島県内で1,100ヶ所ある仮置き場、 住宅や学校などに置かれている保管場所13万7,000ヶ所を合わせると2,200万袋という途方もない数の汚染土入りフレコンバッグが残置されているといわれます。 環境省はこれらを大熊・双葉両町に作っている中間貯蔵施設に保管するといいますが、そこへの運搬に何十年かかることでしょうか。 そしてさらには最終処分場の場所さえ決められないのが現実なのです。宮城や岩手の震災被害と福島が決定的に違うところがこの原発被害です。 前者は槌音と共に人も戻り復興も目に見えて進んでいますが、後者はその被害のために戻るに戻れぬ手つかずの状況が続きます。 病院もなく、商店街は先の町役場脇の仮設店舗3軒、コンビニもローソンの善意による日曜休日の平日6時までの1店舗のみ。 それもそのはずで震災前2万5千人ほどいた住民が現在はその百分の一の250人ほどになってしまっているというのです。
 避難指示区域のマップを見ると浪江町で避難指示解除が出た場所は常磐道の東側の駅から請戸漁港までの少しばかりの地域です。 町の面積の7割がまだ帰還困難地域となっています。避難指示解除地域といっても放射線量の数値は一定ではなく、場所によっては基準線量を超えているところもあります。 ガイドの説明では家の道路からの入り口を見ればそれがすぐにわかるそうで、帰宅できた家は道路面に何もなく、 帰宅できない家には蛇腹のゲートが設置されて入れなくなっているといいます。
 この帰還困難か解除かの基準になるのが毎時の放射線量ですがその線引きのあいまいさが以前から指摘されています。 今基準となっている「毎時0.23μ㏜」はもともと除染のための基準で年間1ミリシーベルト以下の被爆に抑えるために外にいる時間を八時間として割り出したものと言われます。 「農家でも八時間外にいる人はいない」とその現実性のなさは指摘されており、 実際に三春町や伊達市でガラスバッジ(小型の線量計)を子供たちに付けてもらった実証結果も大幅に少なかったと言われます。 国側との会議でそれを指摘すると「ずいぶん安全よりだった」ことは認めつつも「変更すると混乱が予想される」ため改変しなかったとされます。 混乱を危惧されるのは誰なのか、明らかに福島県民以外ではないかと地元民は憤ります。福島県民にとってはその土地にそのままいていいかどうかの基準でもあるわけですから、 改変されなければ上の検証も水泡に帰すと訴えています。安全だからいいだろうという考え方は現実に目を背けた他者の目線なのかもしれません。 基準が科学的根拠に基づいて安全を担保しつつ緩やかになるのであれば、先の家によって違う道路面のゲートももっとなくなってくるのではないかと思えるのです。
 目を開かせられる思いです。
帰宅されている家なのでしょう、ガイドさんに促されて奥にあるその家をみると庭に木の旗竿が建ち2本のロープが張られているのが見えます。 そしてそのロープには黄色いハンカチがたくさん結ばれてパタパタと風になびいているのです。 そう、あの高倉健さんの「幸せの黄色いハンカチ」の最終場面のような光景がそこにはありました。 言わずもがな、みんなの帰りをずっとずっと待っているよとでも言っているように。 この福島第一原発の電気を使っていたのは東京圏の我々でした。 私たちにできることはいっぱいあると思います。地元物産の購入、こういった視察を通じた理解、そして脱原発への意志表示等々。 当事者意識を持ち続けることこそが必要なのだとツアーに参加して思いを新たにしました。








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群馬県太田市に創業し、社寺建築・住宅建築を手掛けている赤石建設株式会社です。
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