山麓にまるで北京の紫禁城かと思うような規模の大きい寺院建築が出来ています。
正面の本堂のテラスにいまにもラストエンペラーが登壇し、階下の中庭に数千の臣下が平伏している様をつい想像してしまいそうです。
しかしここは北京でも台湾でもなく地元群馬県のほぼ中央、榛名山麓の標高700mのところにある宗教施設なのです。
台湾の4大仏教の一つと言われる佛光山法水寺という寺院の日本における本山施設として昨年4月に開館したものです。
総本山は台湾の高雄にあり世界数十か所に布教施設を持ちその信者数は300万人に登るとされています。
開山の星雲大師という人がいまだ存命で設立が1967年という比較的新しい一門で、臨済宗を旨とした禅宗の宗派で日本の臨済宗ともつながりを持つとしています。
「どの宗派の方でもご自由に拝観できます」との案内に甘えて中に入ってみます。
入り口からは真っすぐ伸びた広い階段が200mほど続いて山門に向かって延びています。
百段ほどの階段を上るにつれて風景が開けてきて、上がり切った山門手前から振り返って望む東側の風景にしばし見とれて立ち尽くします。
どっしりとした根張りを見せる赤城山が関東平野の始まりをなすように鎮座し、左側奥には皇海山の山塊が南北にのび、北側手前には子持山と小野子山が近景をなします。
更にその奥には日光白根と武尊山の霊峰を望み、さらに北側奥には屏風のように立ちはだかる谷川連峰の白い峰々が目映く見えます。
久しぶりに冬の上毛の山々の美しさに見とれてしましました。
山門をくぐって中庭に出ると四方を囲むように本堂と脇堂がシンメトリーに配置され、閉ざされた空間と世界の中心にいるような求心的感覚が妙に意識を高揚させます。
好奇心があるように思われたのか、寺院の僧らしき方から声を掛けられ内部を案内してもらうことができました。
日本には東京や大阪、山梨などに複数の施設や道場がすでにあって活動はしていましたが、
その本山となる拠点施設を作るべく場所を探すうちに日本の中心で「へそのまち」と言われるここ渋川市を知ったとのことです。
その中で修行に適するといわれる標高700mの榛名山麓の中からこの赤城山を望む風景に大師自らほれ込んでこの場所を選んだとのことでした。
構想から20年、造成後の建築工事に6年の歳月をかけてここまで進んで昨年開館したもののまだ多くの計画が今後も残されているといいます。
脇堂には禅寺らしく書経室や座禅室が用意され、一般の会社の研修にも利用されているようです。
そして2階から繋がって導かれる本堂内部は全面吹抜けとなった天井高が30mもある大空間となっています。
正面には高さ7mある白い釈迦牟尼仏像が据えられており、ミャンマー産の白石1枚岩で彫られて彫刻と金箔押しが施されています。
更に周囲の壁には万仏崖と呼ばれる2万尊の仏陀がレリーフ状に嵌め込まれ壁面を構成していて圧巻です。
案内してくれた尼僧の方も台湾の方らしくたどたどしい日本語でしたが、柔和な顔で終始微笑んでの対応にその心の穏やかさを感じました。
聞くところによる宗旨は「教育による人材の育成」、「文化による弘法」、「慈善による社会への奉仕」、
「修行による人身の浄化」という四大宗旨をもとに「人間仏教」の実践を目指しているといいます。
山門前の幟旗には「倣好事」「説好話」「存好心」という修身口意三好運動という文字が踊ります。
「好い事を行い」「好い話をし」「好い心を持つ」ということを実践の運動としているようです。
日本の禅宗仏教では個人の修行と悟りという小乗仏教的な色合いが濃く厳しさを感じさせますが、この宗派には今を生きる信者と周囲の安寧を重んじる大乗仏教的な庶民性を感じます。
そのせいか門前の石仏や正面のキャラクター人形が分かりやすくマスコット的に作られ明るい雰囲気に映ります。
建築的にはすべて鉄筋コンクリート造りで屋根の瓦は釉薬によって黄色く統一されており、軒も出組にはなっているものの軒反りは端部で直線的に曲げられたものに省略されています。
総じて原色を使い装飾は華美に映ります。駐車場脇に据えられた鍾乳石などは中国本土から持ってきたものと説明されていますが、
日本では自然保護上問題になるのではと思うような大きさの天然物です。
それにしても日本での本山がこの規模ですから写真で見る高雄の総本山はそれよりもはるかに規模の大きいものに見えます。
これらすべてを信者の浄財から捻出したといいますからその信心の深さと財力に改めて驚かされます。
ここには葬儀や法事以外に繋がりを持てなくなった本邦の寺院運営に何か示唆的なものを感じますが、
我々日本人が抱く禅宗の厳しさとは少し趣を異にした違和感のようなものを覚えるのもまた事実です。
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