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赤石建設株式会社 一級建築士事務所
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平成30年11月


 我が家の菩提寺宗派は高野山真言宗ですが、葬儀や法事で見る作法ではすこし他宗派には見られない一風変わったやり方をよく経験します。 仏具には金色に塗られた什器が多く用いられ、長い箸のようなもので水を左右に撒くようなしぐさをしながら「バン、バン、バン・・・」とおまじないのような文言が唱されていきます。
 後年の鎌倉期に生まれた浄土宗や真宗などのように信徒や門徒が自ら念仏を唱える作法と違い、我々の出る幕があまりないような印象を受けるものです。
 それが平安時代初期、空海が唐からもたらした当時最新の仏教とされた密教によるものだということを後年知りました。 密教は当時のインド・バラモン教などの影響もあり、 それまでの仏教とも趣を異にした加持・祈祷のもたらす現世利益の祈りの世界だということとされています。一般の仏教(顕教)と密教の相違をちょっと乱暴に分ければ、 釈迦を中心とする歴史的な世界が顕教であり、大日如来を中心とする超歴史的な世界が密教ということになるでしょうか。悟り得ぬ人々には曼荼羅や声明、 多くの荘厳具や絵や形や音楽、色彩や匂いを用いて真理を伝えることが必要とされ、密教美術と呼ばれるほどに独自の仏具を発展させてきたことが知られています。 要は形式が重要だったために道具が必要だったのです。密教は空海没後小野流と広沢流という二大法流に分かれ、片や醍醐寺、他方は仁和寺によって発展していくことになります。 今回この京都・醍醐寺の密教美術が展示されているというので六本木のミッドタウンにあるサントリー美術館に行ってみました。
醍醐寺は空海の孫弟子にあたる聖宝(しょうぼう)という僧が貞観16年(874年)に笠取山に開山したのが始まりとされ、古くから真言密教の名刹として知られているところです。 今回はおもにその密教宝物に関わる仏像や書画を展示していてあらためて真言密教の深い世界をみる機会となりました。
     
 不思議なもので禅や密教は本場の中国では廃れて日本で発展し残っているといわれます。 今回の展示も二年前に中国・上海と西安で「菩提の世界・醍醐寺展」と称して催され好評を博し合わせて百万人の来館者があったといい、 今回の展示はそれを受けての国内展示となったようです。
 展示されているのは聖宝が最初に上醍醐にお祀りしたといわれ展示ポスターにも使われた重文「如意輪観音坐像」を筆頭に、 本山薬師堂に納められている高さ3mはあろうかと思われる国宝「薬師如来及び両脇侍像」が一室を独占して目を引かせます。
 屏風や襖絵の類にも俵屋宗達のものなどが展示されていますが、ほかには何といっても為政者の文書・書簡類の多さです。 後醍醐天皇の「天長印信(てんちょういんじん)」や足利尊氏自筆書状、 織田信長黒印状、醍醐花見短冊など国宝・重文となっている時の権力者の状書類が目白押しに展示されていて圧巻です。 後醍醐帝の印信とは秘宝伝授の証明書のことですが、その自筆は仙人の図を透かし彫りにしたような蠟箋を用いて墨をかなり濃く磨って揮毫しており、 達筆で太く謹直な筆使いは人物の大きさを感じさすに十分です。 行書的要素もありますが楷書体に近く天皇崩御二か月前の揮毫とは思えない気力の充実さを見て取ることのできる筆致にしばし時間を忘れて見とれていました。
 加持・祈祷や修法(儀式)などの実践を重視してきた醍醐寺では、その効験によって多くの天皇や貴族、為政者の心を捉えてきたことから千年以上の栄枯盛衰の歴史を紡いできました。 聖宝の私寺からスタートしたものが醍醐天皇の帰依を得、勅願寺からやがて定額寺となって官寺に準ずるまでになっていきます。 鎌倉期には源氏の氏寺として庇護され、南北朝時代も切り抜け足利尊氏時代の賢俊、義満・義持・義教三代にわたっての満済と、 室町時代にこの二人の傑出した政僧を出し真言宗の名刹となっていきました。しかしその後の応仁の乱で五重塔を除きすべての堂宇を焼失、辛酸の時代が続きましたが、 天正年間に名僧義演(ぎえん)が出て天下人・秀吉の援助を得るに至り、その後秀頼まで二代にわたり援助は続き堂宇の再興を果たしていくことになります。 今も語り継がれる「醍醐寺の花見」は醍醐寺復興途上の慶長三年春のことで、その四ヶ月後秀吉はこの世を去っています。江戸期に入ってからは幕府とは距離を置くことになりますが、 修験道の力を借りた民衆と共に生きる寺院に生まれ変わっていきます。
 科学技術の発達した現代に生きる私たちには不合理に感じる加持・祈祷ですが、中世の時代に在ってはそれがある力を持ち、 それによって病いを平癒し国の行く末をも判断して来たことを見逃してはいけないと思います。 今にあっても厄年の年齢が来ると近くの薬師様に出かけて行って護摩木を焚いてもらい、その燻された煙を体につけてもらい厄払いをしている人もあるのではないでしょうか。
 人智では計り知れないものがこの世にある以上宗教に頼る部分も生まれてきます。 そのことが生きていく上で倫理のようなものとして自分を律している面もあるように思われるのです。
 余談ながら、「醍醐味」という言葉は開山した聖宝が上醍醐の笠取山にその場所を得たとき、 地主の横尾明神が湧き出る水を口にして「醍醐の味なり」と発したことからきているそうですが、 それを知らなくても展示内容の濃さから密教美術の醍醐味を味わえた「京都・醍醐寺」展でした。







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