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赤石建設株式会社 一級建築士事務所
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平成30年9月


 暑い夏の二ヶ月余、上野の東博で「縄文特別展」が開かれているのは知っていたのですが、そのうちにと思っている間にとうとう会期末となってしまい、 慌てて最終日に駆けつけることとなってしまいました。最終日の日曜日とあって混雑は必至なので前売り券を用意、 9時半開場の30分前に並んだのですが雨にもかかわらずご覧の有り様。 その人気と集客力に改めて縄文への関心の高さを知ることとなりました。
 その企画は大変面白いもので、約1万年にわたる縄文時代を6期に分けてその時代順にクロニクルを作成し同時代の世界の遺跡とも比較しながらの展示の他、 国宝6点を一堂に会したコーナーも設けるというユニークなものでした。
現代の定義では縄文時代とは旧石器時代が終わったおよそ1万3千年前から約1万年続いた時代を指します。 その名どころとなったのは言うまでもなく土器に施された縄目文様ですが、縄文時代の始まりに少し遅れて氷期が終わりを迎え、 日本列島は温暖で湿潤な安定した気候に変わって現在とほぼ同じ自然環境や四季が整い、狩猟採集に適した定住型の生活が送れるようになったと推測されています。
 土器の発明出現は縄文時代の幕開けを告げるもので、その使用によって食料の調理方法は革命的に変わったと想像されます。 煮炊きすることができようになり有毒なものが無毒に、堅いものが柔らかくなり食料の対象範囲は各段に多様化したとされます。 その食糧事情の改善が約1万年にもわたって縄文時代が続いた理由の一つと言われているのです。 しかしその土器が単なる煮炊きの道具としてだけ作られたものでないことはその草創期の出土品からも容易に想像できます。 そこには完成された形や目を見張るような繊細で丁寧な文様が施され、やがてそれは新潟十日町から出土した中期の傑作「火焔型土器」に結実していきます。 四方向に飛び出た鶏頭冠突起や鋸歯状の小突起はその名の通り炎を彷彿とさせ、その大胆で端倪すべからざる形の均整に創造性と造形力の確かさを見て取れます。 石器などの割って削って作るという引き算型に対して、土器は粘土という可塑性のある材料によって継ぎ足して作れる性質があるため足し算型の造形と言われますが、 その足し算型の特徴をよく生かした造形がここに在ります。しかしこの立体的な造形は後期に行くにつれ廃れていき、 晩期の作風は沈線によって構図を描くおとなしい文様に変わっていくというのも示唆的です。 当然のことながらこれらの秀逸な土器の作者を特定することなどできません。 これらが「集団」の中で育まれていったとすることで縄文人の造形力を定義するしかありません。
 そして実用の土器に対して縄文人の精神性を象徴するのが土偶です。 土偶は主に埋葬や祈りの際に使われたといわれる人型の土器ですが縄文の草創期から晩期まで地域の偏りはあるものの一貫して見られるものです。 展示コーナーの中で最も人集りの多かったのが中期の国宝「縄文のビ-ナス」、 「仮面の女神」の土偶でした。高さが30㎝~45㎝位のいずれも子孫繁栄や鎮魂を願ってのものだということが妊婦や仮面の形状から窺い知れると云います。 興味深いのはそれら全てが写実的でなく抽象化、デフォルメされているということ。 妊婦は下腹部と臀部が強調され安定感があり、女神像の方は張り出した胴部を太く丸い足で支えカマキリの頭のような仮面を付けています。 さらに以前この稿でも紹介した晩期の青森・亀ヶ岡で出土しJR木造駅の駅舎のモチーフにもなっている「遮光器土偶」にいたってはその切れ長な大きな蛙のようなユーモラスな眼は何を物語っているのでしょうか。 武人の鎧を着ているようにも見えるし、髪の毛を結って首飾りを付けて装っている女性のようにも見えます。
 展示の最後には芸術家の多くがこの縄文の美に触れてその作風に影響を受けたとされるコーナーが設けられていました。 明治時代になって品川の大森貝塚の発掘をきっかけにして近代考古学が始まり「縄文」が発見されましたが、 研究対象としての縄文とは異なる縄文の芸術的な美の魅力を再発見したのが作家や芸術家でした。 画家の岡本太郎はその縄文土器に出会って霊感を得てその作風に生かして行ったといわれ、民藝運動の柳宗悦も土偶の蒐集家としても知られ、陶芸家の濱田庄司、 島岡米吉の名も紹介されていました。展示にはありませんでしたが、 かつて建築デザインの分野でも丹下健三氏が香川県庁舎を発表したころ「縄文的なるもの」「縄文か弥生か」などの建築論争が喧しかったのを思い出します。
 まだ仏教はおろか神道もなかった無宗教の時代。外来の文化の影響もなかった我々日本人の祖先たちの原点と息遣いがここにあります。 恵みを与えてくれる豊かな自然に対する畏敬と畏怖。 そこにアニミズムに近い多くの生きとし生けるものに対する精霊や霊魂の霊的存在を感じて生き抜いていた人たちの崇高さと偉大さを感じずにはいられません。 日本列島の南北に広く展開し1万年にわたって育まれた縄文時代の人びとが生き抜くために生み出した力強い形、 自然の恵みへの感謝や命への敬いの中で作り出された神秘の形はどれも尊いものに映ります。そして展示の中にあった同時代の世界の土器と比べて、 原日本人が手先の器用さに加えて豊かな想像力と造形力を持ち合わせ、 意外にもユーモアがあっておおらかでしかも女性を大切にしていたフェミニンな部分も感じられる愛すべき日本人像がここに在るように思えるのです。







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